6 抗えない運命
しいて言えば日照権関連の法律はある。
「でもね、影に人格を認めちゃいないし、物として扱ってもいない。影を犯罪者や被害者に設定した法律もない――ライガ、影がしたこと、影にしたことを犯罪とするには、それを規定した法律が必要なんだ。我が国は法治国家だからな」
「いや、でも、確かにそうかもしれないけど――公序良俗に反するって言うか、良心が痛んだりしないの?」
「公序良俗と来ましたか」
ひなたがあからさまに笑う。
「ライガの考えも間違っているとは思わないよ。でもさ、一部とは言え治政者に能力が知られている以上、その依頼を断っていたら我々もとっくに抹殺されていた。非協力的な相手に持たれたくない能力なはずだ」
「あ……」
「影の一族としては、能力を提供し代価を求めることによって保身するしかない。形だけでも持ちつ持たれつの関係のほうがいい。実質的には対等じゃないが、対等だぞと虚勢を張れる」
言葉を失った雷雅をチラリとひなたが盗み見る。
「影の一族の存在を知っているのは一部の治政者のみだ。金を払えば影の一族を使える、それは彼らにとって既得権益、大昔から続いてきた権利を取り上げるのは難しい――ま、金持ちの特権ってやつだな。それにさすがに無謀な依頼は断るし、わたしの知る限りそんな依頼が来たこともない」
「こんなこと聞くのもなんだけど……シャドウ・ビジネスってどれくらいの利益があるの?」
「うん?」
今度は面白そうな顔をして、ひなたが雷雅を見た。
「かなり儲かっている。一族全体に配分して、生活に困らない程度にね――災厄魂狩りの報酬は狩人個人の収入になるけど、全員が狩人になれるわけじゃない。それに一族の中には、同族間の結婚が多いせいかもしれないが身体が極端に弱かったり早世する者も多い……狩人にならないで、一般的な職に就いて生計を立てることもある」
「一般的な職って?」
「そりゃあ、そこら辺を歩いている人たちと同じような、ってことだよ。ビジネスマンだったり公務員だったり――ちなみにここのマスターも昔は凄腕の狩人だったが、今は引退してこの喫茶店を経営しているし、わたしの代わりに秘密警察の窓口になってくれている」
「秘密警察って? 窓口って?」
「秘密警察、秘密だから言えない……なぁんてね。まぁ、警察の組織図になく、国家予算にも出てこないがちゃんと組織も予算もある、そんな感じだ。隠された警察と思えばいいんじゃないかな――窓口って言うのは、災厄魂を狩る依頼や成功した時の報酬を受け取る窓口、名義だね」
「ひなたさんじゃダメなの?」
「うん、煌一が秘密警察に勤めてる……災厄魂に関する秘密警察には影の一族が何人か採用されている。採用って言うか、常に何人か寄越せって話だな。普通の人間じゃ災厄魂を見ることすらできないからね――煌一の妻のわたしが直接仕事を請け負ってみろ、不正を疑うヤツが出てくるかもしれない。なんで、マスターが請けた仕事をわたしがさらに請け負ったことにしている」
「なんかさ、中途半端に法律が適用されていると思うのは気のせい?」
「気のせいじゃないと思うよ」
ひなたが笑う。
「治政者どもは自分たちが作った法律の不備を解釈によって自分に都合のいいように変える特技をお持ちだ――ってことだね。ちなみにシャドウ・ビジネスに税金はかからない」
「えぇ? なんでさ?」
「影を取り締まる法律がないのと同じ理由。それにシャドウ・ビジネスを公にできないからってこと。払うほうも裏金、受け取ったほうも領収書なんか切らない」
「シャドウ・ビジネスって言うより、バックサイド・ビジネスって感じですね」
「裏稼業ねぇ――どちらにしろ、ライガやライガのお母さんに迷惑がかかることはないよ。キミの個人的な収入は喫茶室『陽だまり』での給料だけを税務署に申告することになる」
「本当に給料、貰えるんですね」
「そこから疑っていた?」
「疑うって言うより、さっきも言ったけど、わけが判らないって言うか、現実と思えなくって」
「でも、現実に起きていることだってのは判っているんだろ?」
「そうですね」
雷雅がひなたを見る。
そうだ、判っている。僕は自分を守るため、契約しないわけにはいかない。母さんが承知してるって言うのも嘘や作り話じゃなく、きっと事実だ。僕はこの人が言うように『陽の一族』で、災厄魂に狙われる存在で、影の一族に守ってもらわなければならなくて、目の前にいるこの人は『影の一族』で――そう思うものの、踏ん切りがつかない。
「サインする前に母と話をさせて貰えますか?」
黙ってひなたを見ていた雷雅がやっと口を開く。
「明日の昼間なら……昼間は災厄魂も活動しない。災厄魂に憑りつかれた人間に遭遇すると厄介だけど、わたしが一緒なら回避できる――一緒にお母さんが入院している病院に行こう。話の内容が誰にも聞かれないよう、わたしが能力を使う」
「そんなこともできるんですね」
「周囲の影に命じるんだ、『聞くな』ってね」
「そうですか――僕はもう、自分の家には帰れない?」
「引っ越しの時には一緒に行ってもらうよ」
「判りました――よろしくお願いします」
雷雅がひなたから目を逸らし、軽く溜息を吐いた。
「僕もそのうち、ひなたさんみたいに、周囲の人間が馬鹿に思えてくるんでしょうか?」
「なんだ、それ?」
「友達にも言えない秘密を抱え、理解して欲しくても打ち明けられないまま、自分はあんたたちとは違うんだって考えるようになるのかな?」
「……」
「友達と馬鹿話して笑い転げることもなくなる――」
「ライガ……今日はもう寝たらどうだ? 疲れただろう?」
「……」
雷雅の答えはないが、ひなたはマスターに『お願い』と声をかけている。
「あのね、難しいかもしれないけれど、友達とは今まで通りでいていいんだよ――隠し事は嘘とは違うし、騙すのとも違う。みんなそれぞれ、友達だろうが言えないことの一つや二つあるものだ」
マスターに促され立ち上がった雷雅に、ひなたの声が小さく聞こえた――
カウンターの奥のドア、つまり店内に入ってきたドアから内廊下に出て、さっき降りてきた薄暗い階段を昇る。あれから何時間も経っていないのに、ここに来てから長い時間が過ぎたように感じる。
「ひなたお嬢さまは、それこそお嬢さま育ちで、大きな態度、横柄な物言い、雷雅さまがお嫌いになっても仕方ないかと――」
階段を昇りながらマスターが言う。
「けれど決して意地の悪いおかたではありません。本来、お優しいのです。あんなご気性ですから、それを素直に表現なさいませんし、お立場で物事を判断なさる習慣が身についてらっしゃいます。それがあのように出てしまわれるのです」
三階のドアには施錠してなかったが、中に入るとまた廊下で、ドアが二つあった。
「奥がわたくしめの部屋でございます――雷雅さまには手前の部屋をお使いいただくことになります。が、今は何もない空き部屋、今日のところはわたくしの部屋で我慢なさってください」
マスターが開錠して奥のドアを開ける。開けた途端に部屋の照明が付いたように感じた。勝手口だったようで、短い廊下の先にドアがあり、その手前で『トイレはこちらでございます』とマスターが言った。反対側のドアはきっとバスルームだ。突き当りのドアの向こうはダイニングキッチンでリビングに続いていた。
マスターは雷雅にリビングのソファーを勧め、熱い日本茶を淹れてくれた。テレビのリモコンをテーブルに置くと、すぐ戻るのでお好きにお過ごしくださいと言って、一番近くにあったドアを使い、部屋を出て行った。きっと外階段に通じる玄関があるのだろう。思った通り、重たそうなドアが開閉され、施錠される音が聞こえた。
見渡すと、内階段に通じる入ってきたドア、マスターが出て行った外階段に出られる玄関に通じるドア、それ以外にドアが二つある。きっと六畳の部屋なのだろう。ひなたは二LDKの部屋を提供すると言っていた。もうじき自分もこのマスターの部屋と同じような造りの部屋に住むようになるんだと、雷雅がぼんやり思う。
そういえば窓がない。居室にはあるんだろうか? それにベランダは? 家のベランダは東向きで、朝早く干さないと洗濯物が乾かないと母さんがボヤいている。南向きにベランダがあれば母さんが喜びそうだ。
マスターが淹れてくれたお茶に手を伸ばし、一口啜る。まだ熱いお茶は程よい渋さの中に仄かな甘みを感じさせた。美味しい……そう思った時、雷雅は目頭が熱くなっていくのに気が付く。胸が詰まるようで呼吸も苦しい。
今日、何度目だ? でも、何も考えずに泣けるのは今日はこれが初めてかもしれない。雷雅の口から嗚咽が漏れる。
たった数時間で僕の人生は大きく変わった。これが運命ってモンなんだろう――




