58 名に籠めた祈り
命令なんかしたことがない。頼んだり、相談して決めたり、いつでもそうしてきた。他人を自分の意思のみで動かすなんてこと、考えたこともなかった。
でも、
「僕の――陽の一族の責任なんだね」
と感じ、それを声にした。すると言葉の意味と重さが雷雅を追いかけてくる。
「僕、今、一気に体重が増えた気がする」
弱り顔で笑う雷雅、冗談に応えたいのに応えられない龍弥……互いに流れていく何か、流れ込む何かを感じながら、それが何かが判らず探るように見つめあう。
立ち上がったのは雷雅だった。
「一緒に来て」
と、自分の寝室に向かう。何も言わず龍弥がついていく。
ラグに座るよう龍弥に言い、自分は机の引き出しを開けて中を確認する。入れた時のままだ。桐箱に触れると、やっぱり仄かな熱を感じる。守り袋と桐箱を取ると引き出しを閉めた。
「これから僕が話すことと見せるものは、僕がいいと言うまで誰にも知られるな。読み取られるのもダメだ」
龍弥の向かい側に腰を降ろして雷雅が言えば、複雑な笑顔を見せて龍弥が答える。
「俺はライガに従う」
うん、と雷雅は頷いた。
どこから話そう? どれから見せよう? 重要度が低そうなものからか? それとも重要そうなものからか? 迷う雷雅だが、実際、どれが重要かなんて、今の僕には判っていないと思い直す。それなら直感に従うしかない。
まずは守り袋から紙片を取り出し、裏側に掌を翳す。現れた筆文字に龍弥が目を丸くし、雷雅を見る。
「いつ気が付いた?」
「持って帰ってすぐ――なんとなく思いついて、掌を翳して『顕れろ』って念じてみた。そしたら出てきた。消えろって思えば消える。陽である僕にだけ読ませたいんだと思った。僕じゃなかったとしても、読んでいいのは陽だけだってね。だから相談できずにいたんだ。読める?」
「うん。貸してみて」
龍弥がテーブルに置かれた紙片に手を伸ばし、触れそうなその瞬間、弾かれたように引っ込め雷雅を見た。
「ダメだ、拒まれてる――触ろうとすると静電気みたいにビリッと来る。ライの考え通りライ、そうじゃなきゃ陽にしか読めないようにしてるみたいだ。少なくとも影には読まれたくないんだ」
少し首を傾げて雷雅が再び紙片に手を翳す。
「これでどう?」
恐る恐る龍弥が紙片に触れ、今度は手に取って紙面を見る。
「どうやったんだ?」
「鎮まれって、心の中で言った。影を怖がったのかも?」
「そうか。こんな紙でも陽の命令には従う? 陽の能力は底知れないってことだな――読み上げる? それとも意味を言えばいい?」
「現代語で書かれているなら読み上げ、古文なら意味でいい」
古文じゃ正確な意味が判らないかも、苦笑する雷雅だ。龍弥が、雷雅なら古語辞典でも持ち出しそうだけどね、と少し笑って呟いた。
「うん……この内容じゃ、影に触らせたくないはずだ。影の絶滅を願ってる」
一通り目を通した龍弥が雷雅を見て言った。
「影の絶滅?」
「それと同時に陽の一族への恨みも書かれてる――最初から行くよ」
再び龍弥が紙片に視線を落とす。
「陽は生身のヒトでありながら、ヒトならざる力を欲し神に願った。ヒトの世に存在する矛盾、ヒトの心に潜む混沌、それらからヒトを救うためのその願いは聞き届けられ、その代償として生まれたのが影である。影は陽より生まれ、陽が陽である証となる。因って陽と影は裏表、常に同時に存在する。陽があれば影があり、影あれば必ず陽あり。その理は神でさえも覆せない」
ふと龍弥が黙る。雷雅が瞳を巡らせる。
「龍弥以外の影、今は近寄るな。見るな。聞くな。知るな」
雷雅の声が部屋に響く。煌一かひなたが今、この部屋を覗こうとした。そう感じた雷雅だ。龍弥が黙ったのもその気配を感じたからだ。覗こうとする気配が遠のいていった。
頷いて龍弥が続けた。
「陽として生まれれば陽として生きる。影として生まれれば影として生きる。だがわたしは願う。運命より逃れ、本来のヒトとして、ヒトの時を望む。陽であろうとヒトなのだという根本に立ち、陽ではなくヒトとして生きたいと願う――陽と影が常に同時に存在するものであるのなら、影が絶滅した時、陽もまた亡びるだろう。それこそが我が願い」
「自殺願望?」
雷雅が苦笑し、
「茶化すなよ」
と龍弥が釘をさす。
「いや、茶化したわけじゃ……あぁ、でも、そうじゃないのか。ヒトとして生きたいんだから」
「ライが言いたいことも判んないでもない。陽が亡びるってことは、これを書いた人も亡びるかもしれない」
「これを書いたのが陽と決まったわけじゃない――それともやっぱり陽なんだ?」
「うん、どうもそのようだよ」
「これを書いた人は、陽と影が滅んでも、本体は人として、能力を持たない人として生きていけるって言っているんだよね?」
「そのあたりは書いた本人もよく判らなかったみたいだ――まだ続く、最後まで読めば判るよ」
龍弥の解読が再開される。
「陽の運命は人生を歪曲させ、幸せを遠ざけた。願ったのは平凡な幸せ。それすら許されず、心は引き裂かれ彷徨うばかりだ。かの人に我が名を告げることさえできず、星が流れるように消え去るのみ」
「流れ星? 名を告げず……」
雷雅の動揺に、龍弥が言葉を止める。
「ライ?」
「いや、最後まで聞いてからにする」
「うん……」
不安げに雷雅を見た龍弥、気を取り直して先を読む。
「ここに我が子の名を定め、同時にかの人と我が子からわたしの記録を消し去る。わたしの記録を二人から読み取ること、それを誰であろうと影に禁じ、かの人と我が子を、わたしがしようとしていることで起きる余波より守る。傍にいて守ってやれない不甲斐なさに身体が震える。わたしが再び二人と見えることができるのは、影を絶滅させる準備が整った時だろう」
グッと雷雅が息を飲む。これを書いたのは僕の父親か。煌一が僕や母さんから父親の記録を読み取れないのはこの命令が有効という事だ。そして、僕の父親は陽と影がいなくなることを望んでいる――
「影が絶滅した時、陽は平凡なヒトに戻れると信じる。もし、そうはならず、陽もまた消滅するのであれば、かの人と我が子に申し訳なさは残るものの、それもまた享受するしかない。二人をも亡ぼすことは本意ではない。だが、大切な人よ、わたしとともに行こう。ヒトならざる能力を持つ陽は存在してはならないものなのだ。そして、その能力のために愛する人と引き裂かれる不幸を繰り返してはならない。人の世の幸せのために生まれた陽と影が、人の世の幸せの犠牲となって不幸になるという滑稽なことは改めるべきだ。ヒトの世の矛盾、ヒトの心に潜む混沌、それもまたヒトの姿であり、その苦悩の中で生きることこそ本来の生、苦悩がなければ真の幸福も望めない。我が子に――」
ここで少し龍弥が口籠り、チラリと雷雅を見たが、すぐに続けた。
「我が子に『ライガ』と名付ける。字は来たる我としたいところだが、流星のようなわたしの子ならばライは雷がいい。そして幸せを祈りガは雅、雷雅とする。この腕に抱く日が来ることを信じ、今は離れ行く。健やかなることを」
これで終わりだよ、龍弥がそっと告げる。雷雅が龍弥を見て『うん』と頷いた。
「あと、日付が入ってる」
龍弥が言った日付を聞いて雷雅がフッと笑った。
「僕が生まれる前日だ」
「うん……」
「これってさ」
雷雅が龍弥を見ないで言った。
「書いたの、僕の父親ってことだよね?」
雷雅の質問は答えを求めるものではなかった。文面に答えは出ている。
「ライ……」
龍弥の呼びかけに雷雅が龍弥を見た。だけど龍弥は雷雅を見ているだけで何も言えず、雷雅も口にすべき言葉が見つからない。
雷雅と龍弥、それぞれが深い溜息を吐いた。




