57 陽は影に選択される
とにかく部屋に帰ろうと内階段を昇る。
「それにしても、マスターはなんであんなに大奥さまに拘るんだろうね」
雷雅の問いに、龍弥の足が止まった。
「それも部屋に帰ってからにしよう」
声を潜めて龍弥が再び階段を上る。
部屋に帰ると龍弥が缶コーラとグラスを二つ持ってきて注ぎ分けた。
「昔ちょっとだけ聞いたことがあるんだ――マスターが結婚を嫌がった理由」
「狩人の仕事に専念したいんじゃなかった?」
「うん、そう言われているけどね……実は大奥さまに恋い焦がれてた」
「えっ?」
雷雅が大奥さまを思い起こす。
「だって、マスターにとって大奥さまは親代わりなんじゃ? マスターは幾つ? 五十かそこら?」
「そうだね。単なる噂だから、実際どうだか判んないよ」
影の世界にも噂なんかあるんだ――変なところで感心する雷雅だ。
「でもさ、さっきのマスターの様子を見て、噂は本当だったのかもって思っちゃったんだよね」
龍弥がコーラを口に含み、炭酸が染みたのか、少しだけ顰めっ面をする。
確かにそうかもしれない……年齢を理由に否定的なことを言ったけれど、改めて考えてみると納得できる点もあると考え直す。何もかも大奥さまのため、すべてを大奥さまに、マスターからはそんな感情が滲み出ていた。そして煌一のあの怒りは煌一もまた、龍弥と同じく噂に信憑性を感じたからなんじゃないのか? さつきのこともあるかもしれないが、自分の祖母に恋慕するマスターを嫌悪した。しかもマスターの恋情は今も続いている――
「そんなに長く思い続けていられるものなのかな?」
「噂が本当だとしての話? 今もマスターは大奥さまを思っているか?」
雷雅の問いに龍弥が少し考える。そしてフッと笑った。
「未経験の俺たちには、まだまだ判らないんじゃないのかな?」
「そうだね、僕たち、まだ若いもんね」
龍弥に雷雅が冗談で答えた。
そして静寂が訪れる。コーラの泡が立てる音まで聞こえそうだ。龍弥が待っていると感じる雷雅、雷雅が待っていると感じる龍弥、どちらからも本題を言い出せない。打ち明けるか迷う雷雅、訊きだしていいものか迷う龍弥、決断したのは龍弥だった。
「俺に話すと、煌一さんに知られると思ってる?」
雷雅が龍弥の顔を見、龍弥が雷雅を見る。
「ライの悩みは煌一さんに知られたくないこと?」
続く龍弥の言葉に雷雅が俯く。
「判断つかないんだ。影に知らせたものか、黙っておくべきか」
「陽にまつわることなんだね」
龍弥が軽く溜息を吐いた。
「ライが言うなって言ったことを俺が煌一さんに話すと思う?」
「龍弥がそんなことするとは思わない。でも煌一さんが読み取るかもしれない」
「ライってさ、自分が陽だって時どき忘れるよね」
龍弥が薄く笑った。
「誰にも言うな、読み取らせるな、そう俺に命じればいいんだよ」
「あ……」
雷雅がハッと龍弥を見る。そうか、影は陽に絶対服従、その手があった。でも――
「そんなことできない――タツヤを無理に従わせる? ヤダ、そんなの」
そうだ、いやだ、でも僕はきっとそうする。そしてそのうち平気で影に命じるようになる――予感に雷雅の目頭が熱くなる。
「無理に従うわけじゃないよ。信頼できる相手の指示だから従うんだ」
龍弥が苦笑する。
「それに影だって相手が陽なら誰にでも従うってわけじゃない」
「うん? 絶対服従なんじゃなかった?」
「例えばひなたさん――ひなたさんはライを見つけた最初の影だ。これは無条件でライに隷属する影になる」
「隷属? 出会った日、ひなたさん、僕と契約する権利は自分にあるって言った。他の影は手が出せないって」
「俺も実は勉強不足で詳しくは判らない。ライの護衛につくって決まった時に煌一さんがササッと基本的なことを教えてくれただけだから――最初に陽を見つけた影の権利ってのは、その陽に隷属する影全員に対して、陽の代理として命令する権利のことだ。ひなたさんはライの補佐役であり、ライに隷属する影の親玉みたいな感じ」
「そうなんだ?」
「最初に出会った影を陽は、必ずその立場に立てるしかない。その影から影の一族について知るために――でもそれは最初だけ。陽の影に対する知識が増えて影の特徴を掌握したら、陽は補佐役を解除できるようになる。そうなると、隷属させている影の序列を陽が決めることだってできるようになる」
「ねぇ、ちょっと待って、聞き流すとこだった――陽に隷属する影って?」
龍弥が不思議そうな顔で雷雅を見る。
「さっき、自分で陽は影を従わせるって言ったやん?」
「うん、でも、龍弥の言い方――隷属する影ってことはさ、隷属しない影もいるって言う事なんじゃ?」
あぁ、と龍弥が頷く。
「陽の一族がライ一人の前提だと、すべての影をライは従わせられる。でもさ、他にいたとして、ライとソイツが別の命令を下した時、影はどうすればいい?」
「混乱するね。そんな時はどうするの?」
「陽を見つけた影以外は、隷属する陽を選べるんだって」
「選べる……」
「でも、ひなたさんはライ以外を選べない。煌一さんも俺もマスターも、他に陽が現れればそちらを選ぶことができる……らしい」
「らしい、なんだね」
雷雅の苦笑に龍弥が気恥ずかしげに笑う。
「同じことを俺も煌一さんに言った。煌一さんも困ってたよ。大奥さまにも確認したけど、詳しいことは大奥さまも判らなかったって」
「陽の一族は、いつ滅亡したと考えられていたの?」
「幕末らしい。尊王攘夷を進めるヤツ等にとって陽の一族は邪魔な存在だった。自分たちが推す君主の敵対勢力になりかねない。影の隙をついて陽の一族はことごとく暗殺された、って言うのが今の定説。ことごとくって言っても、その当時で数名しかいなかったって」
「なんか、それ、判る気がする――『陽の一族』なんて呼ばれ方からして排除したくなりそうだよね。でも、影の能力は惜しくて残した」
そうだね、と龍弥が苦笑する。
「影は結局、駒でしかないからね」
「いや、そんなつもりで言ったんじゃ……」
判ってるよと、もう一度苦笑する龍弥だ。
「でさ、陽は、その影がどの陽を選んだかって判るんだ?」
これが判らないとなると、陽だってうかうかしていられない。
「それは何も聞いてない。選ぶ方法も判ってない――基本的には信頼関係だろうって煌一さんは言ってた。影の意思で選ぶんだから」
「ってことなら、タツヤ、僕と仲良くしてね」
雷雅の冗談に、クスッと龍弥が笑う。
「でさ、陽に初めて遭遇した影、陽が初めて遭遇した影ではなくて、ね――前者は俺や煌一さんやマスター、初めて会った陽がライって関係。で、後者はひなたさんだね。ライが初めて遭遇した影、ってこと」
「うん、ややこしいけど判った」
「このまま俺や煌一さん、マスターが他の陽と遭遇しなければ、ライが俺たちの絶対になる。ライには逆らえない。で、この先、別の陽と出会ったら、その時初めて俺たちに選択権が生まれる」
絶対逆らえないなんて、そんなんでいいのかと思うが口にしなかった。話の腰を折っちゃいけない。
「さっきも言ったけれど、影は信頼する陽に従う。ここで問題になるのは、影がどちらの陽のこともよく知らない場合だ――この場合、先に命令した陽に従うことになるらしい」
「はい? 早いもん勝ち?」
つい雷雅が呆れる。
「だってさ、影は陽に逆らえないとなれば、最初の命令に従うしかない」
「あぁ……」
「先の命令より、後の命令のほうに理があると、確実に影が思えば変わるかもしれない……最初の命令に逆らって後の命令に従えるようになるかもって煌一さんは言うけど、その場にならなきゃ判らないって話だ」
「なんかさ、影に同情したら、タツヤ、怒る?」
「同情って、陽に逆らえないってことに対して?」
「うん……」
龍弥が面白そうに雷雅を見る。
「普通は怒ることなのかもね。でも俺、そんなふうに感じるライだから信頼してるんじゃないかな――それよりライ、だからさ、ライは命令することに慣れる必要があるんだ」




