51 予兆と予感
ひなたの真面目な顔に、漸く雷雅の笑いも止まる。そして心に浮かんだ疑問を声に出した。
「ねぇ、日本以外の国にも影の一族っているの?」
その質問に煌一が答えた。
「昔はいた。今は、判っている限りいない」
「昔? 絶滅したってこと? で、陽の一族は?」
「それが陽の一族は日本でしか確認できない――諸外国では影の能力を持った者は悪魔と恐れられ迫害を受けたんだ。ひょっとしたら影も陽も、向こうでは同じ扱いだったのかもしれない」
ふうん、と雷雅が黙る。
他人の影を操り、その影を使って本人さえ操れるとしたら、悪魔と恐れられもしよう。そしてなるほど、世界征服とやらもできそうに思えてきた。
「できるとしても、させない」
するとひなたが首を捻る。
「ライガ、今、影が世界征服を企むと考えた?」
「うん、そう考えた、でもさせるもんか」
「させないってのはいい考えだ。だがライガ、今話しているのは災厄魂の話だ。なぜ影と思った?」
「えっ?」
そうだ、ひなたの言うとおりだ。大奥さまは『災厄魂を操って』と言った。それなのに僕は? 影を操って、と考えた。
「敵対するのが陽の一族の誰かだとしたら災厄魂だけでなく、影も使うはずだ」
雷雅の答えにひなただけでなく、煌一と大奥さまも唸る。
「雷雅とやら、おまえ、それを誰に教わった? いや……体を流れる陽の一族の血がおまえに答えを導き出させたか――」
呼びかけて起きながら、大奥さまは自分で答えを出した。
「だが、まぁ、今は影の一族も纏まっている。そして、そこに陽の一族の雷雅が現れた。雷雅のもと、さらに影の一族は結束を固め、世の平和を守ることだろう」
「ちょ、ちょっと待って、そんな大役、僕には――」
慌てる雷雅に大奥さまがニッコリ笑う。優しい顔だ。
「なに、心配いらない――わたしの孫の煌一は祖母のわたしが言うのもなんだが、少しばかり器用さに欠けるが、影の中でも随一の力を持つ。その嫁のひなたは、孫とは正反対に力はそこそこだが実に器用、わたしでさえ驚くほど多種多様の能力を持つ。その二人が補佐につくのだ、なんの心配もいらない」
「でも――」
言い募ろうとする雷雅を大奥さまが遮る。聞く耳などないのだろう。
「用は済んだ、さっさと帰れ」
立ち上がり、自分がさっさと奥のドアに向かおうとして急に振り返る。
「……あんた、裏家?」
マスターの存在に今、気が付いたのか?
問い掛けにマスターが立ち上がり、一礼する。
「大奥さま、お久しゅうございます」
「あんた……そうか、木陰の執事に雇われたんだった」
そしてひなたをチラリと見る。
「そうかい、家の嫁の跳ねっ返りはあんたのせいか」
「恐れ入ります」
クスクスと大奥さまは笑い、それじゃあね、奥のドアから姿を消した。
帰るぞ、と煌一が立ち上がり、龍弥もそれに倣う。
「いや、だって、僕……」
大奥さまに言われたことを受け止めきれずに呆然とする雷雅の肩に、やはり立ち上がったひなたが手を置く。
「何しろ帰ろう。ここに居ても何もできない――帰ってゆっくり話そう。タツヤ、ライガを頼むよ」
ひなたに頷いて、龍弥が雷雅の腕を引いて立ち上がらせた。
「ライ、俺がいる。心配するな」
タツヤに寄り添われて応接室を後にした――
玄関の間を出ると正面の車寄せにすでに車が用意されていて、すぐさまマスターが運転席に乗り込んだ。エンジンこそ切ってあるが、キーは差し込まれていたようだ。マスターがエンジンをかける。
助手席に乗り込む龍弥、先に乗れと煌一に言われ後部座席に雷雅が乗り込み、隣に煌一、最後にひなたが乗ってくる。三人乗っても少しも窮屈さがない。
「和服だと車の乗り降りが面倒なんだそうだ」
なぜかこっそり煌一が雷雅に耳打ちした。
あらかじめ開けられていた門扉は車が敷地を出て、一般道に乗り込むタイミングを見ているうちに閉められた。車道に出てすぐにひなたが呟いた。
「ミツマメ、食べたかった」
「馬鹿言え、わざと小さな匙を寄こして、おまえに着物を汚させるつもりだったんだぞ」
煌一が聞き咎める。
「大丈夫、蜜を先に啜れば匙が小さくても零さない」
ミツマメの蜜、啜っちゃうんですか? 呆れながらも雷雅が問う。
「饅頭が一時間、羊羹が二時間……ミツマメにも何か意味があるんですか?」
「なんだ、今の話、聞いてないのか? いやがらせだよ。粗相をさせて虐めようってだけ」
面白くなさそうに煌一が言った。そこまでするんだ? さらに呆れる雷雅だ。
意地悪で厭味だし強烈だけど、確かに無視できないものを大奥さまには感じる。影の一族に君臨しているのももっともな感じがする。それに……なぜか僕は毛嫌いするほどじゃない。それもやっぱり僕が陽の一族だから? それにしても、僕のもとに影の一族の結束が強まる? 僕のもとに? 無茶ブリするなよ――窓の外を眺めながら雷雅はそんなことを考えていた。
「帰ったらミツマメをお作りしますよ」
笑いながらマスターが請け合うと
「寒天、すぐには固まらないじゃん」
ひなたが剥れる。
「こんなこともあろうかと、昨夜のうちに仕込んであります」
さすがマスターと思う雷雅だった。
ひなたの機嫌は直ったものの、煌一は仏頂面のままだし雷雅もさっきの話が気になって塞ぎ気味だ。それでも、多少日が傾いたものの、日没までは一時間以上ある時刻に帰り着いて雷雅はホッとしている。だがその時は、自分がホッとした理由に気が付いていない。
龍弥が陽だまりの鍵を開け、立ったまま煌一がそれを待ち、ひなたは外階段を使って着替えるために自室に戻る。マスターは車を駐車場に入れに行った。龍弥がドアを開け、煌一が何か冗談を言いながら店に入り、龍弥が何か答えている。
ふと雷雅が振り返る。視線を感じたと思った。でも誰もいない。あの男か? いや違う。あの男なら存在を隠したりしないだろう。では誰だ?
「ライガ、早く入れよ、雷雅の代わりに虫が入ってきそうだ」
龍弥がドアを開けっぱなしのまま雷雅を呼んだ――
着替えを終えて戻ってきたひなたがカウンター席で、ミツマメを一口食べてニンマリ笑んだ。
「この寒天の程よい弾力、エンドウ豆のさりげない塩気、そしてなんと言ってもこの黒蜜! わずかに加えたレモンが爽やかに風味を増し、感じるか感じないかほどの酸味が得も言われぬほど味わいを深くしている……さぁ! 添えられた粒餡とともに、単純ではない甘さを堪能しようではないか!」
嬉しそうな顔でひなたを眺めるマスター、ひなたの隣で煌一がこっそり耳を塞いでいる。客席に座った雷雅が小さな声で龍弥に耳打ちした。
「食レポを仕事にしてる人が、これを聞いたら弟子入りしたいって言いだすかも」
クスクスと笑う雷雅に龍弥が少し安心する。神影を出た時には真っ青だった雷雅の顔色も戻ってきていた。
話すのは落ち着いてからでもいい、慌てたって意味がない、店に入るなりそう言って煌一は喫煙ブースに入り、マスターが『まずはミツマメでしょうね』とスーツの上着を脱いでカウンターの中に入ってエプロンをかけた。
カウンター席に座ろうとしたが、マスターに『あちらのお席でサイダーでもお飲みになってお待ちください』と、涼しげなグラスを渡された雷雅と龍弥、言われたとおり客席に行き、上着を脱いでから座った。
「カウンター席より、こっちのほうが寛げる」
龍弥にそう言われ、なるほどと思う雷雅だ。カウンター席では寄りかかれない。出来上がったミツマメはマスターが運んでくれた。
ミツマメを食べ終えて、甘くなった口をお茶で直す。そろそろ日没だ。ひなたがマスターに『夕飯はなぁに?』と訊いている。
(えっ?)
そのとき、雷雅の心臓が、ずきっと音を立てた。そして、脳裏にある光景が浮かび上がった。
「危ないっ! 神影の大奥さまが! 神影が襲われたっ!」
雷雅の叫び声に煌一が立ち上がり、ほかの三人が息を飲む――




