48 神影家 本宅
翌朝、食事を終えて、コーヒーを楽しみ、そろそろ自室に戻って宿題でもしようかと、雷雅と龍弥が話していると内階段のドアが開いて、ひなたが陽だまりに姿を現した。
「おはよう。マスター、朝食、二人分――ライガとタツヤは少しここにいて」
そう言うと、いつもの席に行ってしまう。
今朝は焼き鮭と焼き海苔、出汁巻き卵、味噌汁は豆腐にワカメにアゲとネギ、そんな朝ごはんだ。マスターがトレイに食事をセットし始めた頃、店のドアベルがチリンと鳴って、煌一が入ってきた。
「よぅ、ライガ。少しは元気になったか?」
それだけ言うと答えを聞きもせず、煌一もひなたのいる奥の席へ行ってしまった。
雷雅と龍弥が顔を見かわしていると、マスターが
「コーヒーのお替りを差し上げましょう。ちょっと待っていてくださいね」
と、トレイを二つ、奥に運んで行った。
マスターがカウンターに戻り、サイフォンがポコポコ音を立て始めるころ、
「なんだって!」
ひなたの叫声が店に響いた。
「うるせぇ。黙れ、ひなた。いいから座れ」
続いて、押し殺したような煌一の声がする。何事かと腰が浮く雷雅と龍弥、コホンとマスターの咳払いが聞こえて座り直す。
コーヒーを口にしながら、気にしていない顔で雷雅と龍弥が聞き耳を立てる。当然マスターも気付いているが、見て見ないフリでグラスを磨く。あれきりひなたの声も煌一の声も聞こえない。きっと、影を使って内緒話だ。
思い立ったようにマスターが、再びコーヒーをセットする。出来上がったコーヒーをカップに注いでいると、奥からひなたの声がした。
「マスター、コーヒーちょうだい――ライガに持って来させて」
予知能力? 驚く雷雅と龍弥に、長年の勘ですよとマスターがウインクした。
呼ばれたのは雷雅だけだ。気になってそわそわする龍弥にマスターがトレイを渡して、
「先に行って、テーブルを片付けてください。お皿は重ねて構いませんから――不慣れなところをお使いだてして申し訳ありませんねぇ。最近年で……」
と笑う。
意を察した龍弥は奥に行くと、だらだらとひなたたちが食べた食器を片付た。二人分の食器を小さなトレイに乗せきるにはコツが必要だ。そこへ雷雅がコーヒーを運んできた。だが、テーブルには食べ終わった食器にひなたのパソコンもあり、コーヒーは一人分しか置けない。雷雅が龍弥を待って突っ立っている。
「おまえら……」
「いいよ、そっちのテーブルに移すだけで――タツヤもそこに座れ」
煌一は難しい顔をしたが、ひなたは微笑んで取り成した。龍弥と目くばせした雷雅がほっと安堵の息を吐く。するとマスターがやってきて、さっさと不要な食器を下げてしまった。煌一は苦笑いするだけで何も言わなかった。
ひなたの隣に煌一、その正面に雷雅が座り、龍弥は隣のテーブルに席を取った。マスターが雷雅と龍弥にアイスティーをサービスしてくれたところで、やっとひなたが口を開いた。
「神影の儀祖母さんが、ライガに会いたいと言っているそうだ」
煌一が額の髪をかき上げ、龍弥がストローを咥えたまま雷雅を盗み見る。
「わたしは午前中、昨日、話した書類を作成し、出来次第、裁判所に持ってく――ライガは午後になったら、煌一に神影に連れて行ってもらえ。わたしとは向こうで合流しよう」
「午前中に書類は出来上がるんですか?」
「添付しなければならない書類は、申し訳ないが……お母さんがご存命のうちから用意していた。郵送でも受け付けるが行ったほうが確実だ。受付済みって主張できる」
「神影のおばあさんは僕になんの用が?」
ひなたが煌一を見る。
「それが――顔が見たいとしか言わない」
煌一が苦々しげに言う。
「久しぶりの陽の一族、ぜひともご尊顔を拝みたい、だってさ」
「ふん、何か企んでるに決まってる」
クリームソーダちょうだいと、ひなたが声をあげる。カウンターのほうからマスターの『承知しました』と言う声が聞こえた。
「顔を見るためだけにわざわざ呼ぶはずがないよね?」
自分もクリームソーダを頼もうかと思いながら雷雅がひなたに問う。アイスティーがまだ残っているし、なんだか水分でお腹がタプタプしそうだ。
「僕が行かなきゃダメなの? 会いたきゃこっちに来いって言えない?」
雷雅の言葉に煌一とひなたが目を丸くし、龍弥がブッと吹き出した。
「いや、その発想はなかった」
苦笑したのは煌一だ。
「神影に行くのは罠にかかりに行くようなものだ。だけどね、ライガ、祖母さんをこの建物に入れるわけにはいかない。ここに影が入るにはひなたの許可が必要で、その許可はいったん出せばずっと有効で、撤回できない。祖母さんを出入り自由になんかしてみろ、大変だ――言わばここは最後の砦、そんな感じなんだよ」
「神影に行かず、どこかに場を設けてってのも論外。壁に耳あり、影にも目あり」
なんだそれ、煌一がひなたを馬鹿にして笑った。
マスターがクリームソーダを運んでくる。ひなたの前に置くと、
「気が利きませんでした」
と、雷雅と龍弥の分もテーブルに置いた。まだアイスティーが残ってると言いかけた雷雅に、いいのですよ、と微笑み、気にしてはいけませんと龍弥にも微笑んだ。
「祖母さんに会うとき、裏家さんも一緒に来てくれよ」
珍しく煌一がマスターを名前で呼んだ。
「わたしはお車で待機――」
「いや、来て欲しいんだ」
フッとため息交じりの苦笑をマスターが漏らす。
「神影の大奥さまはわたしも苦手なのですがねぇ」
それでもマスターは煌一の依頼を断らない。雷雅はそう思った。
それにしても噂に聞く神影の大奥さま、煌一のお祖母さんとはどんな人物なのだろう? ひなたは糞婆と言った。煌一はいつも苦虫を噛み潰したような顔をする。龍弥は怖がっていることを隠しもしない。マスターでさえ、接触を避けたがる。
齢は七十過ぎと聞いている。雷雅のイメージでは七十ならばヨボヨボだけど、どうもそうではないらしい。そう言えば龍弥が、強い能力を誇り影の一族に君臨していると言っていた。
ひなたが仕事を始めると言って立ち上がり、煌一も一緒に内階段へ向かう。
「昼が済んだら出かけるからそのつもりで――タツヤ、おまえも同行しろ」
同行できると知った龍弥がほっとしながら雷雅に問う。
「そう言えば、スーツ、持ってる?」
「スーツ?」
「うん、神影の大奥さまに会うのに普段着じゃだめだ。制服はもっとダメ……影は基本的に学校に行かせないからね」
「いや……持ってない。高校生までは制服でいいと思ってた」
ひなたたちのカップを下げに来たマスターが
「こんな時のために僭越ながら、見繕ってご用意しておきました。先日、学校の制服でいらしたので、お持ちではないのだと思いましたので……あとでお部屋にお届けします」
と言う。先日というのは、きっと早紀の葬儀だ。
雷雅さまのご趣味に合うといいのですけれどと呟いて、カウンターに戻っていくマスターの後ろ姿を見ながら、龍弥が
「きっとマスターなら、ライガに似合う、趣味のいいものを選んでいるよ」
とニッコリ笑った。
神影家に行くのに使った車はいつもとは違う車だった。黒塗りの大型車、いかにも金持ちが乗っていそうな車だ。マスターが運転し、龍弥が助手席に座り、後部座席に煌一と雷雅が座った。あと二人は座れそうだ……シートベルトを締めながら、そう感じた。
車は都内へ向かって高速道路を走る。さして渋滞なくスムーズに進み、高速を降りた後も順調だった。気が付くと、大きな家が建ち並ぶ場所に来ていた。
やがて立派な門の前でいったん車が止まる。暫く待つと門が開き、車は敷地に入っていった。監視カメラで見て、門を開け閉めしているのだろう。
植込みの多い敷地を進み、屋敷が見えてくる。金持ちだとは思っていたけれど、これほどか。とんでもないところに来てしまった……今さら後悔しても遅い。




