47 母の遺志
昨日は夜の張り番を休んでいる。煌一とひなたも昨日は休んで狩人たちに任せたらしい。今夜は行くのかな? 雷雅の問いに龍弥が首を振る。
「昨日も出なかったって――体制を変えなきゃならない。だから今日はその調整をするんじゃないかな。しかし、なんだってこうも極端なんだろう?」
「ねぇ、あの闇を動かしてるのが陽の一族なら、僕と関係のある人物なのかな?」
「親戚ってこと? そうだとしても遠い親戚になるんじゃないの? ライ、お母さんが亡くなったって連絡するような親戚はいないんだろ?」
「うん……でも、僕が知らないだけかも」
「そっか、その可能性もあるのか」
雷雅が例の男の件を龍弥に打ち分けるか迷う。でも、ここに来て迷いを感じる。実際に声を聞いたわけじゃない。頭の中に声が飛び込んでくるなんて、奇怪しいんじゃないか? 幻聴だったのに振り返った時、そこに居た、それらしい人を声の主と思い込んでるのかもしれない。
でも、母さんの病院でも見た。葬儀場でも火葬場でも墓地でも。まさか、同一人物と僕が思い込んでいるだけ? そうか、だから後から出て先に着いてて?
それに近寄って来ない。いつも遠目で見かけるだけだ。
「ライ? なんか、顔色悪いぞ。どうかしたか?」
「え……ううん。どうもしないよ」
怪しいぞ、と言いたげに龍弥が雷雅を見る。それをすぐ引っ込めて、肘を折って腕をあげると伸びをした。
「少し寝るか――きっと、自覚しているよりずっと疲れてるよ。疲れてるといい考えも浮かばないさ」
立ち上がると、雷雅を残して自分の寝室に向かう。ドアを閉める時、龍弥がチラリと自分を見たと感じた。考えたって簡単に答えが出るものじゃない、龍弥はそう言いたかったのだろうか?
雷雅もまた立ち上がる。龍弥の言うとおりだ。すぐに答えが出せるはずもない。今は休む時だ。自覚するよりって龍弥は言ったけれど、まったく疲れを感じない。疲れていないはずはないのに――疲れを感じないほど疲れているってことなんだ。
雷雅もまた、寝室に向かう。ベッドに横になり、天井を見つめる。天井はいつもと変わらない。いつもと同じ天井だ。
少しも眠くない。あれ? 昨夜もそう感じてなかったっけ? そう言えば、母さんが逝ってしまってからどれくらい眠った? 一睡もしていない、そんなんでいい理由がない。
目尻から流れるものを手の甲で拭った。何も考えるな。何も考えずに眠れ――
ドアを叩く音に覚醒する。頭がどんよりしている。いつの間にか眠ってしまった。眠れてよかった、と思う。
「ライ! ライガ、起きろ!」
ドアを叩いているのは龍弥だ。上体を起こして雷雅が大声で答える。
「ドア、開いてる。鍵してない」
咽喉が渇いた、そう思いながらベッドから降りる。ドアが開いて龍弥が顔を見せた。
「鍵くらいしておけよ――ひなたさんが呼んでる。店に来いって」
「鍵してないと危険? タツヤに襲われる?」
「襲って欲しいのか?」
龍弥が嬉しそうに笑う。雷雅が元気を取り戻した、そう感じたのだ。
「何時?」
「八時になるところ」
「夜の、だよね。ひなたさん、なんの用事だろう?」
「さぁ……時間的に晩飯かも?」
「五時間くらい眠ったのかな。でも、まだ眠いや」
「まだ寝てる? 起こしても起きないって、ひなたさんに言おうか?」
「タツヤの嘘なんか、ひなたさん、すぐ見抜きそうだね」
言えてる、と龍弥が笑った。
内階段を使って二人で店に降りていく。店に入るとマスターが、
「少しはお休みになれたようですね。お顔の色が明るくなりました」
雷雅に向かってニッコリと微笑んだ。
店は閉めた後なのか、表に出す置き看板が中に取り込まれている。ひなたはいつもの観葉植物の奥の席にいて、やっぱりパソコンを睨みつけていた。
「鰻重の出前を頼んだ。もう少しでくる」
雷雅と龍弥を見てポツンと言った。
届けられた鰻重は肝吸い付きで、配達してきた人がマスターに請求した金額を聞いて雷雅はびっくりした。一人前が一番の高額紙幣じゃ足りない。確かに今まで食べたウナギとは異質なほど上品でふっくらと美味しい。けれどそう感じるのが母さんに申し訳ないと雷雅は感じた。
肝吸いを食べたのは初めてで、これがウナギの肝かと思った。プリッとした触感がウナギの肉とはまた違い、美味しいものなのだなと感心した。
一瞬だけど雷雅の顔が曇ったことに、ひなたはきっと気付いただろう。けれど何も言ってこない。龍弥は食べ慣れているのか普段と変わりがない。マスターもいつも通り『おいしゅうございますねぇ』としみじみ言った。
そう言えば、煌一がいない。ウナギも煌一の分はない。
「煌一さんは?」
「うん?」
ひなたが面白くなさそうに、雷雅を見もせず答える。
「神影に呼ばれて行った。今夜は帰れないと思う」
龍弥が箸を止めて話に聞き耳を立てる。
「このところ、災厄魂が出なくなった件?」
続く雷雅の質問を無視するかのように、ひなたが口にウナギを放り込む。そして
「たぶんね――」
咀嚼しながら面倒そうに答えた。
ウナギは全部食べたけれど、米は半分以上残してひなたが箱に蓋をする。湯呑に手を伸ばし、一口啜ってから雷雅を見る。
「ライガ、おまえ、わたしの養子になるか?」
「え? えぇっ! うっ……げほっ!」
咽る雷雅、龍弥は雷雅の背中をさすろうとして箸を飛ばし、マスターが水を取りにカウンターに走る。ひなただけはのんびりお茶を啜る。
「いや、やっぱり駄目だな。養子になったら、暁月の姓を神影に変えなきゃならなくなる――となると、やっぱり未成年後見人か……」
「な、なんですか、それ?」
マスターに貰った水を飲み干して雷雅がひなたに訊いた。
「簡単に言えば、未成年のライガには親に代わる誰かが必要ってことだ」
「親代わり?」
「うん、しかも法的にも根拠のある親代わり」
それには養子縁組するか、未成年後見人制度を使う必要があると、ひなたが言った。
「まぁ、どっちも家裁への申し立てをして、認められればの話になる」
実は早紀から、ライガの後見人をひなたにするとの遺言状は貰っている。
「管理しなくちゃならないような遺産は、まぁ、ライガも判っていると思うけど、ない。だから、未成年後見人と言っても、監護目的になるわけで――」
「難しい話はナシでお願いします」
「未成年って、保護者の同意がなければ契約できないって知ってるだろう? 今、ライガには保護者がいない。保護者の代わりになる人を裁判所に認めて貰うってこと」
「認めて貰わないと、僕は契約できないってことだね。でもさ、契約の必要ってあるの? そうだ、ひなたさんとした雇用契約は無効になっちゃう?」
「無効にはならないが、新たな親権者が契約を破棄したいと言えば対抗できない。心配しているのは、ライガや我らの知らない『親戚』が現れて、キミの監護権を主張してきたときだ」
「僕の知らない親戚……」
雷雅が龍弥と見かわす。
「煌一さんが僕の戸籍を調べたんじゃ?」
「雷雅の祖父母まで。それ以上も遡ってこれから調べるけどね――改ざんされてるって話だから、結構ややこしい」
「そんな人が出てきたら、僕はどうなるんですか?」
「だから! そんなヤツが出てきて、ライガを寄こせって言われた時に対抗できるように、わたしが未成年後見人になるって話だ。イヤならやめるよ」
「母さんも同意していたんでしょう? いまさら知らない親戚なんかより、ひなたさんのほうがいいに決まってる。でも、手続きとか面倒そう」
フン、とひなたが鼻で笑った。
「だてに弁護士バッジをつけていると思うなよ――ま、そっちの仕事はほとんどしてないけどな。それに同意じゃない、ライガのお母さんから依頼されたんだ」
それから真面目な顔に戻ってこう言った。
「ライガの監護権は神影の儀祖母さんも狙ってくると思う。だからいっそ、わたしと煌一の養子にしようかって思ったんだ。でもやっぱり、当初の考え通り、後見人にしよう。それしかない。なにしろ早紀さんの遺志でもある」




