42 急変
翌日、朝食の時間にひなたと煌一は顔を出さなかった。日没前から夜明け過ぎまで災厄魂を監視しているのだ、終わればさっさと寝たいだろう。マスターが『昨夜もやっぱり出ませんでした』と言った。
三日連続で出現ゼロの災厄魂の監視に煌一は付きっ切りだし、大勢の狩人を配置している。煌一の立場がますます悪くなるんじゃないかと心配だ。しかも今日はその煌一やひなた、影を遠ざけて外出しようとしている。後ろめたさに心が痛む。
午前中は龍弥と二人、自室のリビングで宿題を片付けた。判らないところを龍弥が教えてくれるので雷雅としては大助かりだった。いつかひなたが言っていた『十位以内に入るな』というのは冗談ではなかったようだ。でも、どう調整して十三位にしたのだろう?
龍弥に訊くと、『影にカンニングさせた』と笑う。全員の答案を覗いて、どの程度の正解を出せばいいか見当をつけたのだという。カンニングの目的もいろいろだねと二人で笑った。
昼になったので内階段で店に降りる。
「最近、昼は卵料理ばかりだね」
「卵好きの煌一さんのためだよ。夜、張り番するようになって、煌一さんたちも昼は陽だまりで食事するようになったから」
「好物は出汁巻き卵ってマスターが言ってたけど、卵全般が好きなんだね――さすがのひなたさんも疲れてるのかな。店で食べるってことは。ひなたさんがお料理しないってことだよね?」
「そうだね、徹夜続きだもんな。寝るのは明け方過ぎなのに、昼には起きてくる。睡眠不足になるよね……この匂い、今日は天津飯かな?」
話しながら店に入ると、マスターがいつも通りカウンターの内側でニッコリ出迎えた。カウンター席には煌一が一人、今日は怖い顔はしていない。よう、とばかりに二人に片手をあげた。
「奥に行こうか」
観葉植物の向こうの、ステンドグラス風の壁に囲まれた一角に移動する。逆らう理由もないので、雷雅と龍弥も煌一に続く。
観葉植物に隔てられたこのコーナーに、一般客が入ってくることはまずない。なんとなく入り込むような感じがする席だからだ。店の入り口からカウンター席までしかないと思っている客もいるかもしれない。このときは入り口付近に数名の客がいて、天津丼を食べていた。
ランチはしていないはずなのに、メニューに載っていない物もできることを知っている客がいて、オーダーされることがある。食材が揃っていれば、頼んだ料理を作ってくれる。いわば常連、煌一はそんな客に遠慮したか、避けたのだろう。
「ひなたさんは?」
聞くともなしに聞くと、そのうち来るよ、と煌一が答えた。
「二人とも、お疲れなんじゃ?」
遠慮がちに雷雅が訊いた。ん? と煌一が雷雅を見る。そして苦笑した。
「確かにそうかもしれないな。夜は神経を張り巡らしているし、昼もいつ何があるかと緊張を解く暇がない。敵が見えないのは辛いものがあるね」
「ヤツは昼間、動くかもしれない?」
「動いたとしても、大したことはできないはずだ。昼間はただの人なんだから……俺たちみたいに影を動かせるわけじゃない」
雷雅が一瞬黙った。
「影を動かせない――ヤツのこと、陽の一族もしくは影って言ったけど、陽の一族ってはっきり判ってたんですね」
煌一が雷雅に視線を向ける。
「あの時点ではっきり陽の一族と言ったら、キミが動揺するんじゃないかと思ってね」
心配そうに龍弥が煌一と雷雅を見比べる。
「我ら影は久しぶりに陽の一族に遭遇した。ライガ、キミのことだ。そしてそのことをキミは知っている。そこに闇が現れ、しかも特殊な闇で、キミ以外の陽の一族がそれを操っていると知ったら、キミは動揺しないでいられたか?」
僕に親戚はいないはずだ、と雷雅が考える。母の両親つまり祖父母は、雷雅が幼稚園くらいのころ、交通事故で二人一緒に他界している。葬儀の席で泣き濡れる母を覚えている。
「陽の一族って『アカツキ』だけなんですか? 影の一族は幾つか流れがあるようだけど……」
「うん……陽の一族はもう残っていないと思われていた。キミが現れて、『暁』が存続しているのが判った……陽の一族ではないが、陽の一族同様、陽光を扱えるのは『天道』、空の一族と呼ばれ、陽と影に大きく関りを持っている。だが天道は禍津陽神には成れない。そもそも闇を纏えない。で、天道の居場所は太古から現在に至るまで常に顕かだ」
「闇を纏えないのは力が強すぎて?」
雷雅のあてずっぽうに煌一が頷く。天道つまり太陽、太陽の光では闇は即時に消滅させられそうだと雷雅は思った。そしてきっと、禍津陽神ではなく別の神になる、そう感じた。そして思った――僕はもっと勉強しなくちゃならない。知らないことが多すぎる。次から次へと新しい言葉が出現する
「最初に会った時、僕の影をスキャンして、父親はアカツキの者だって言いましたよね? 僕と母以外にアカツキって苗字の誰かがいるってこと?」
「そうだね、もしいたとしたら傍流となるだろう。ひなたの木陰が神影と名乗っていなくても神影の一部と考えられているのと同じように」
「僕の戸籍は辿りましたか?」
「もちろん。が、キミの祖父母の代に改ざんされた形跡があって、信用できるものではなかった」
「祖父母の代? 二人は事故で同時に亡くなっています」
うむ、と煌一が唸る。
「判った、その事故についても調べてみよう」
おはよう、とひなたの明るい声がカウンターのほうから聞こえた。今日はシャインマスカット・ペアー・イチジクに黄桃がありますよ、もちろんバナナもございます。嬉しそうなマスターの声も聞こえる。オウトウってなんだ? つい呟いた雷雅に、黄色い桃だよと煌一が答えた。
みんなで天津飯を食べた後、ひなたには黄桃のパフェを、気を利かせたマスターが雷雅と龍弥には切った黄桃を出してくれた。
「そろそろ栗の予約入れたほうがいいよ」
黄桃にかぶりつきながらひなたが言う。判ったと煌一が頷く。わざわざ予約なんかするんだ? 不思議がる雷雅に、スーパーには出回らない上物を回して貰うんだと煌一が言った。それには伝手が必要で、神影の家に頼むらしい。
「この時ばかりは神影の祖母さんのこと、大好きになる」
ニヤッとひなたが笑った。九月の終わりころだから、楽しみにしているといい……どうやらひなたは雷雅と龍弥にも振舞ってくれるつもりのようだ。
食事がすみ、雷雅がいつ『一人で出かける』と言い出そうか迷い始める。黙って行っていいと龍弥は言ったけれど、やはり気が引ける。自室に戻ったふりをして外階段を使えば判らないかもしれない。でも、見つからない保証はないし、見つかった時、何かしら言い訳をしなければならない。龍弥が責任を問われるのも困る。そしてそれ以上に、ひなたや煌一を騙すようでイヤだった。
母と二人きりで話がしたい、そう言えばいいだけの話だ。それなのに言い出すのに勇気がいる。陽の一族はアカツキだけか、なんて聞かなければよかったと思う。ますます言いずらくなった。僕はどこかであの男が父親だと、母さんが言うんじゃないかと思っている。
――それって……母さんもあの男と会った?
自分の考えに震えそうな雷雅を龍弥が覗き込み、それに気づいた煌一が雷雅に話しかけようとした時、ひなたのスマホの呼び出し音が鳴った。
「あれ? 美立山病院――」
スマホの画面を見たひなたが慌てて受信する。ひなたの声に、雷雅も煌一も龍弥も緊張する。
「はい。はい……判りました。すぐ行きます」
「病院、何だって?」
煌一が怖い顔でひなたに尋ねる。それを無視してひなたは雷雅を見る。
「お母さん、容態が急変したって――」
しまった、スマホを部屋に忘れてきた……今更どうでもいいことが、真っ先に思い浮かべたことだった。




