41 自覚
早紀が雷雅の父親と結婚しなかったことは雷雅も知っている。離婚した暴力亭主が初婚の相手だ。雷雅が小六の時、二年ほど交際したのちに結婚した。雷雅の父親ではありえない。
早紀から父親について聞かされたことはない。漠然と、もうすでに死んだか二度と会えない相手なのだと感じていた。
母が雷雅の父親を恋しがっていると感じたことはなかった。その母が大切に持っていたペアリング、もしこれが雷雅の父親との物ならば、表に出さないだけで思いはずっと残っていたのだろうか?
リングの内側に文字があるのに気が付いて雷雅はリングを手に取った。見ると、男のほうには『早紀から流星へ』、女物のほうには『流星から早紀へ』とローマ字ではなく日本語で刻まれている。『流星というのが僕の父親か』と思い、違うとすぐに打ち消した。
(教えられていた名前は偽名だったはず……)
ならばリングに刻んであるのも偽名のはずだ。
それだって、このペアリングが早紀と雷雅の父親との間の物ならば、という仮定のもとだ。早紀に、他に思いあった相手がいないとも限らない。
(でも、それなら、なぜ熱を持っている?)
それに――
早紀が雷雅に渡したかったのは守り袋ではなくこのリングだ。しかも影に知られない方法で。わざと守り袋の下に置いて雷雅に見付けさせ、ついでを装った。雷雅が触れれば判ると早紀は知っていた。
なんとか自分一人で早紀に会うことはできないだろうか? 龍弥も連れず病院に行って、早紀に話を聞きたい。きっと陽の一族には影にも言えない何かの秘密がある。そう思えてならない。
守り袋に入っていた紙に書かれた文字、ペアリング、そして正体不明の男……早紀はきっと雷雅に答えを教えてくれる。
そして早紀には、雷雅に伝えたいことがほかにもあるんじゃないのか? それには誰かが一緒じゃだめだ。
あの男――あいつは雷雅のことも早紀のことも知っている。早紀もアイツのことを知ってると感じてならない。まさか、まさか?
(まさか僕の父親?)
そうだとしたら、そうだとしたら?
(ダメだ、想像ばかりで、何一つ確かなことがない)
早紀に話を聞きに行こう。それには一人で出かける口実が必要だ。
病院の面会時間は十三時から十九時まで。昼食後に一人で出かける口実、なにがいい?
雷雅は二つのリングを元の紙袋に入れ、たたんで桐箱の脱脂綿の下に隠すと、守り袋と一緒に机の引き出しに仕舞った。
そしてスマホを起動させ、連絡帳を開く。
シンヤ、ユウキ、この二人ではだめだ、龍弥が遠慮する理由がない。ならば……コンコ。コンコならほかに用事がない限り、会いたいと言えばきっと来てくれる。
コンコと二人で会うと言えば、さすがの龍弥も遠慮する。影をついていかせると言われたら拒絶すればいい。大丈夫、僕にはそれができる。
でも、なんて言ってコンコを誘おうか? そう考えて急に顔が熱くなる。女の子を誘ったことなんかない。そうだ、二人とは言わずみんなでって言うか? それじゃあ嘘になる。他の人にはコンコが連絡してって言うか? 別にコンコと二人じゃなくったっていいんだし。でもその場合、ユウキが龍弥に連絡するかもしれない。僕がしているはずなんだから、しないとは思うけど。一番心配なのは、そうだ、コンコが誤解しないかだ。誤解? なにを誤解? どんな誤解?
考えれば考えるほどドツボに嵌っていく……焦る雷雅を、SNSの着信音が鳴ってドキリとさせた。慌てて確認すると、メッセージを送ってきたのはセツだった。なんでセツ? そう感じながらSNSを開く。
(勉強会は明後日だけど、その前にライに教えて欲しいことがあるの。市立図書館ででも会えない? ほかの人に知られると恥ずかしいほど基本的なことだから、二人で会いたいな)
そうだ、明後日、勉強会をすることになってた。すっかり忘れてた。そう思いながら返信を打つ。
『明日は用事があるんだ。明後日、こっそり教えるよ』
セツと二人で会うのは拙い、と感じた。誰かに見られたら、と思うと怖かった。コンコならいいのに?
送信してからスマホを机に放り投げ、ベッドに横たわる。天井を見上げて小さな溜息を吐く。
そうか、僕はコンコが好きなんだ。そう思った。セツと二人でいるところをコンコに見られたくない。ほかの誰でもない、コンコに見られるのはイヤだ。だからセツと二人じゃ会えない。
さっさとコンコを誘えばよかった。自分の気持ちに気が付いてしまったからには、もう誘えない。気持ちを隠す自信がない。
ふと龍弥の言葉を思い出す。恋に落ちたら相談しろと言うひなたに、そんなことにはならないと答えた龍弥……
(そんなことにはならない、じゃなくて、そんなことになっちゃいけないんだ)
心に風が吹いて、見あげる天井が寒々しい。
(もう少しで僕はコンコを巻き込むところだった。今の状況で彼女と二人で会っていて、そのとき何か起こったら、僕は守り切れるのか?)
しっかりしなくちゃいけない。もっと自覚しなくちゃ。僕は陽の一族だ。
ベッドの上に上体を起こす。
(母と二人で話がしたい。誰もついてくるな。そう言えばいいだけだ。影は陽に逆らえない)
三人は、いや、マスターを含めて四人は僕をどう思うだろう? 心配する? それとも僕に不信を感じるだろうか?
それでもいいと雷雅は思った。僕が陽の一族だというのなら、たとえ僕に不信感を抱いても四人は僕に従い、僕を守るはずだ。世話になっていることに気が引けないでもないけれど、僕が母から聞く話はきっと役に立つはずだ。
ドアがノックされ、龍弥の声が聞こえた。
「マスターが、おにぎり持って行けって。どうだ、具合は?」
ドアを開け放し、部屋の奥に雷雅が行くと龍弥が中に入ってきた。椅子を龍弥に譲り自分はベッドに腰かけながら、雷雅が机のスマホを手にする。龍弥がトレイを机に置いた。
「セツからメッセージがあったんだ」
スマホを開けながら雷雅が言った。へぇ、と龍弥が面白そうな顔をする。
「具合はもう良くなった。少し疲れていただけみたい――明後日、勉強会の約束してたね、すっかり忘れてたよ」
雷雅が天井を見ている間にも、何度か着信音が鳴っていた。セツが、残念だとか他の日はどうかと送ってきている。
「そう言えばそうだね……勉強会、やっていいのかな?」
「ね、ひなたさんに相談したほうがいいかもね」
龍弥にそう答えながら、セツへの返信を打ち込む。
==セツと二人きりでは会えない==
はっきり言い過ぎかと思ったが、気を持たせるよりはいい。セツが雷雅に好意を持っていると感じるのは、雷雅の思い過ごしかもしれない。けれど、それならそれで構わない。
「それよりさ、タツヤ――」
「うん?」
「明日も母さんに会い行くよ」
「そうか、面会時間に行くか?」
「うん」
「判った、そのつもりでいる」
「いや、そうじゃない。僕一人で行く」
「一人で? 今の一番の危険は、闇に潜んでいた人間だ。昼間だからって油断できない。一緒に行く」
「いや、ダメだ」
雷雅が言いきった。
「僕一人で行く。誰にもついてきて欲しくない」
「ライ……」
蒼褪めた龍弥が雷雅に問う。
「それって、影の一族を信用できないと?」
「違うよ、タツヤ。陽は影を信用している。でも、影が陽に明かさないことがあるのと同じで、陽にも影に明かせないことがある。そう思ったんだ」
龍弥はじっと雷雅を見詰めたが、
「そうか――雷雅の決めたことに俺は反対しない」
陽でも影でもなく……そう言って微笑んだ。




