4 影に歴史あり
我ら影の一族・陽の一族の歴史は古く、卑弥呼のころには存在していた。もちには、飛鳥時代に大陸から伝わった陰陽道が我らに取って代わっていくが、陽の一族・影の一族にとってはどうでもいいことだった。己の役目を果たす、それだけだった。
「陰陽師は巧く朝廷に取り入った。もともと隠れた存在だった我らは表舞台に立つことなど望んでいない。ヤツ等の活躍が現代までいろいろと伝えられているが、その中には往々にして我らの働きも含まれている。ま、ヤツ等と我らの仕事には重なる部分も多かった。時には協力して事に当たることもなかったわけじゃない」
ところが平安のころ、雲行きが変わってくる。影の一族が守るべき陽の一族の能力を陰陽師が欲したのだ。ヤツ等には災厄魂を封印することはできても消滅させることまではできなかった。だが、陽の一族は影の一族あってこその存在、ヤツ等にいいように使われる気もない。
「陽は影とともにあり、影は陽とともにある。陽があるからこそ影が存在できるのであり、影ができるからこそ陽の存在が明かされる。陽の存在しない影はありえない、それはただの暗闇だ――我らは陽の一族を陰陽師から隠すことにした」
影の一族は『影』を名乗って憚らない。が、陽の一族は『陽』であることを隠した。暁、曙、有明の御三家を始め、陽の一族は影の一族の後ろに隠れる存在となった。影を通さねば陽は現れない――キミの苗字は暁に月が付くが、いずれかの時代に陽の一族の身分を隠すため細工したんだと思う。
最初のころは影の一族と密かに連絡を取り合い、問題なく過ぎていった。が、龍の背に幾度となく戦乱が繰り広げられて、いつの間にか陽の一族は所在不明となった。あまりに多くの、しかも強力な災厄魂の出現に影の一族の手が回らず、陽の一族のなかには災厄魂に取り込まれた者も多い。影は陽を求めて探し回ったがなかなか見つけられず、滅んだのではないかと思われていた――龍の背とは日本列島を示す。
「そんなわけで、ライガ、おまえ、滅びたと思われていた陽の一族の末裔、ってことだ」
「ちょっと待ってよ――それじゃ、なに? アカツキって苗字だけで僕がその陽の一族だって言うわけ?」
「わたしの影がおまえの手を引いた時、おまえの影はわたしの影に融合した。影の一族・陽の一族でなければ、そんなことはできない。それに、災厄魂は普通の人には感じ取れないものなのに、わたしに言われたからとは言え、おまえは感知した。暁月という苗字に加え、それが根拠だ。それに言っただろう、キミのお母さんが認めている」
「だって、あれはあんたが僕の影を消したんじゃ? 母さんが認めたってのは、神影さんから聞いただけで信用できない…まぁ。あの公園に何か普通じゃないモノがいるってのは感じたけど、他の人は感じ取れないってのは神影さんが言ってるだけかもしれない」
「確かにわたしは他人の影も操れる。しかし、あの時はあいにくそんなことはしていない……まぁ、そうだね。確かに今は『わたしが言っている』だけと感じるだろう。信じなくてもいい。どうせそのうち判ることだ」
ひなたが、黙って話を聞いていたマスターに『プリンある?』と訊いた。ございますよ、とマスターが微笑んでカウンターに戻っていく。もうお腹がすいたのか、と内心呆れた雷雅だ。
「影の一族は三つの系譜が残っている。頭領と目されているのはわたしの婚家の神影家、次いで炎影家、さらに月影家。それぞれ傍系もある。ちなみにわたしの実家木陰は神影から分家している」
「そういえば神影さん、結婚してるんですね。大学生かと思いました」
「うん? わたしはまだ二十二になったばかりだ。大学生に見えてもおかしくないよ。高校卒業して、たいして経たないうちに結婚したからな」
「へぇ……それって政略結婚とか? すごく家柄とか、拘りそうですよね」
「馬鹿を言うな――司法試験に合格したらご褒美に結婚してやるって言われていた。十六の時から付き合ってた相手だ。だから結婚した。それだけだ」
「司法試験?」
「高校在学中に司法試験予備試験に合格して、すぐに司法試験にも合格した。司法研修を終えるのが待ちきれず、さっさと婚姻届を出した――そういえば、挙式するって約束が果たされてないな……」
どんだけ秀才なんだよ? と思った雷雅、いや待てよ、と思い直す。
「それって、神影さん。影を使ってカンニングしました?」
「影を使って? なるほど、その手があったか――いいや、使ったのはコネだ」
「コネ?」
「災厄魂の存在は国家機密だ。バラすぞ、と脅してみた」
「誰を!?」
「それは言えない。が、脅すまでもなく合格してたようだけど」
「って、国家機密?」
「うん、災厄魂の存在が一般に知られてみろ。誰も出歩かなくなる。パニックを引き起こすかもしれないし、どれほど経済にダメージを与えるか。大昔から治政者どもの一部は災厄魂の存在を知っていて、我ら影一族に狩ることを命じてきた」
我々が災厄魂を狩るのはボランティアじゃない。警察の特殊な部署からの依頼で動く。で、成功報酬制だ。たまにイレギュラーで狩ることもあるけどな。
「キミを襲おうとしていた災厄魂を狩るため、わたしはあの場にいた。特殊警察からの依頼でだ。それなのにキミを助けたため、狩りそこなった。遺失利益の賠償請求をしたいくらいだ」
「えっとさ、僕が陽の一族としたらさ、影の一族の神影さんは僕を守るのも仕事なんじゃないの? なのに費用請求するって変じゃない?」
「ほう……とうとう気が付いちまった。ライガ、思ったほど馬鹿じゃないな」
さすがは陽の一族という事でしょうな、とプリンを運んできたマスターが、やっぱり優しそうな笑みを浮かべる。そして雷雅の前にもプリンを置く。プリンに絞った生クリームにサクランボが乗っている。
「神影さん、サクランボ好きですか?」
雷雅の問いに
「キミと同じで見た目が好きだ」
と、サクランボの軸をつまみながらひなたが答える。それを無視して
「話は戻りますが、あの請求書、僕を騙すつもりでしたね? 僕は雇用契約、断れますよね?」
雷雅が畳みかける。
「自分で訊いといて無視するなんて可愛くないぞ――ま、断ってもいいよ。でも、その場合、命の保証はないぞ」
「命の保証?」
「さっきの災厄魂、キミを陽の一族と認識したはずだ。災厄魂はすべての災厄魂がひとつの意識を共有している。キミは今後、災厄魂、あんな小物じゃなくって、もっと大物に狙われることになる」
「えっ?」
ちょっと待ってよ、と雷雅がまたまた蒼褪める。
「僕が狙われる、付きまとわれるってこと? あんなのに? あんなのよりもっと凄いのに? それに母さんは? 母さんも狙われるんじゃ?」
「キミのお母さんは結婚して一度苗字が変わっている。そのとき陽の一族から除外されていて、能力も消えている。だから災厄魂に関しては通常の危険しかない。お母さんの持っている知識で充分対応できる。心配ない―― 危険なのはキミだけだ」
「神影さんは守ってくれない?」
「まぁ、たまたまそこに居合わせれば助けないこともないが、基本的にはないな」
「だって、陽の一族を守るために影の一族はいるって言ったじゃないか」
「陽と影が協力体制にあっての話だ。協力しないヤツを誰が守るか。こっちだって命がけになるんだ」
「命がけ……」
「蒼褪めるな。すぐに蒼褪める臆病者、それ以上蒼褪めると貧血起こすぞ――自分で自分を守れないんだから、わたしの言うことを聞いて契約しておけ」
「そうだ、見つけた権利って?」
「うん、キミと契約する権利だ。わたしと契約しなければ、影の一族は誰もおまえと契約できない。ライガ、おまえは厄災魂の餌食となって朽ち果てる運命だな」
「そんな――」
「だいたい、なにがそんなに嫌なんだ?」
「嫌って言うか、わけ判んなくって――本当にサインしちゃっていいのか、判断できない」
「ふぅーーん」
ホイップクリームを掬ったスプーンを咥えたまま、ひなたが唸った。
「まぁ、そりゃそうか――とりあえず、プリン食えよ。せっかくマスターが出してくれたんだ」
「うん……」
プリンを食べ始めた雷雅の瞳から、涙が零れ始める。悪夢にしたって酷過ぎる。夢にしてはリアル過ぎるのに、内容がちっともリアルじゃない。しかもこれって、実は夢じゃない。なんで僕がこんな目にあうんだ?
「わたしはね、物心つく前から影が操れた」
食べ終わったひなたが語る。
「病弱という事にして、屋敷から出して貰えなかった。影を操るという事がどういうことか、操れるのは一握りの人間だけで隠さなくてはいけないという事、そんなことが理解できるまで一族以外の他人と交流したことがない」
学校に行ったのは中学からだ。小学校に行ったことになっているが例のコネを使っての書類操作だ。
「同級生が馬鹿に見えたよ。彼らの多くは背負っているものがなかった。自分の将来をどう切り開くか、そんな悩みがほとんどだった。だがわたしは違う、災厄魂と戦うことが運命められていた――でも、本音を言えば彼らが羨ましかった」
マスターがコーヒーのお替りをお持ちしましょうと、再度席を立つ。
「生まれた時から災厄魂を知り、自分の役目を知っているわたしと違い、ライガ、キミはたった今、知ったばかりだもんな。戸惑うのも無理はないよね」
ずっと高圧的だったひなたの声が少しだけ優しさを帯びて聞こえる。それがますます雷雅の心を震わせる。
「何しろ一人になるのは危険だ。今夜はマスターの部屋に泊めて貰って一晩ゆっくり考えるといい――明日は土曜だから学校はお休みだよね?」
その問いに雷雅が頷く。と――
チリン……喫茶室『陽だまり』に誰かが入ってきたようだ。ドアベルが綺麗な音を立てた。
「やぁ、マスター。ひなた、いるか?」
聞こえてきたのは男の声だった。反射的に雷雅が振り返ると、衝立の向こうをカウンターに向かって歩く男が見えた。ぼさぼさの髪、無精ひげ、背が高い。百九十センチは軽くありそうだ。
「コーちゃん!」
ひなたが嬉しそうに叫んだ。




