35 あの日の出来事
帰ってきた煌一が、積み上げられた冊子の上にスマホを無造作に置く。微かにタバコの臭いがして、思った通りだと雷雅は思った。
「電話してたんだ?」
ひなたが煌一に尋ねた。煌一が難しい顔をする。それを見て、フフンとひなたが笑った。
「するとなにかい?」
ひなたが誰かの真似をして声色を変えた。押し殺した静かな物言いが相手に与える圧迫感を助長してる、そんな声だ。
「数が多くて手に負えない? コウ、おまえ、そんな言い訳、通用すると思っているのかい?」
龍弥がそっと雷雅に『神影の大奥さまの真似』と耳打ちした。煌一はひなたをムッと見たが、すぐ苦笑に変わった。
「ひなた、おまえ、だんだん婆さまに似てくるな」
「えっ!」
ひなたの声が元に戻る。
「やだやだ! あんなお婆ちゃんに似てるなんてヤダ!」
「安心しろ、さすがに見た目はまだ似てきていない」
そう言って、自分の言葉に煌一が吹き出した。拗ねたような目でひなたが煌一を睨みつけ、雷雅と龍弥は聞かなかったこと、見なかったことにした。
龍弥が遠慮がちに問う。
「災厄魂が増えている件、問題視されてるんですか? この周辺だけ、異常に増えてるって話ですよね? 煌一さんの失策だとでも?」
「うん、そんなところだな。確かにそう言われても仕方ない面もある。狩人を増員して狩り続けて、それでも毎晩湧いて出る――今までと違う。何か俺たちには想像つかない原因がある。だが、現場に出ないヤツ等にはそれが判らない。原因はなんだって責めてくる。それが判ればさっさと対処するさ」
「取り逃がした闇の仕業?」
この質問は雷雅だ。
「取り逃がしたなんて、聞きたくない言葉を言ってくれる」
苦笑いする煌一だ。
あいつは通常の闇とは違う、煌一が悔しげに言う。
「ファーストコンタクトで薄々は判っていた。ヤツは人間として実在する人物だ」
そうなると、その人物を特定できない限り、どんなに侵入を阻む措置を取っても成功しない。
「それって、その人物がこの近くに居ても判らない、ってこと?」
雷雅の質問に、
「このところ、美立山市内で頻発する災厄魂の出現を見ると、市内あるいは近隣にいると断言していい」
煌一は別の方向で答えた。
「つまり、どこかは判らないけれど間違いなく近くに潜んでいるってことですね。知性を備えた闇がこの近くにいる……」
「これほど災厄魂を頻出すれば、影の一族が闇の存在を懸念する。知性があれば自分の存在は隠しておきたいものだろうに、まるで逆だ」
「自己顕示欲の強いパーソナリティー?」
そう言った雷雅を、ん? と煌一が見る。
「なるほど、そんな見方もあるね。つい、影の狩人の常識で考えてしまった――それによると、敵は何かを探している」
「探し物?」
「ここまでの経緯を考えても、今回は探し物が妥当だと思う」
これまでの経緯と言われて雷雅が考え込む。
あの闇を影の一族が認識したのはあのショッピングセンターの屋上が最初だ。あの日、影は闇を検知し、闇は陽を検知した――
「探しているのは僕のこと?」
真っ直ぐ煌一を見る雷雅の顔を龍弥が蒼褪めた顔で見詰めた。
煌一もまた、雷雅を真直ぐに見詰める。
「闇は陽の一族のキミの存在を知っている。ヤツにとって一番の脅威だ。あの闇はきっと影の狩人など恐れはしないだろう――厄介だ。多くの災厄魂を抱え込み、生み出し、しかも高い知能がある」
ここで雷雅がふと考え込んだ。
「ショッピングセンターにヤツを追い詰めたあの日、何を目的にヤツは災厄魂の中に潜んで姿を現したんだろう?」
「ん?」
煌一とひなたが互いの考えを探るように目を見かわした。そして『まいったな』と煌一が囁いた。
「災厄魂が現れる目的なんて考えたこともなかった――人の心に生まれた闇が災厄魂を生み出し人間に憑りついて、憑りつかれた人間は社会に危害を齎す。憑りつく相手は闇を産んだ本人だったり、本人から剥離されて別人に憑りついたりだが、我ら狩人が対応する災厄魂の多くがこの剥離されたタイプだ。あの、闇を内包した災厄魂もこのタイプ、他人が生み出した災厄魂をあの闇は利用していたと思う」
「それじゃあ、誰かに憑依することを目的として現れたってこと?」
「いや、問題は闇のほうだ。闇は闇のままでは誰かに憑依なんかできない。そう考えると、災厄魂を次々に生み出して拡散することを目的としたか?」
「ってことは、このあたりの人を恨んでいた?」
「恨み……」
今度は煌一が考え込む。
考え込んだまま煌一が
「ひなた、あの時の災厄魂の動きのデータ、すぐに出せるか?」
と言う。すぐさま立ち上がったひなたがノートパソコンを持ってきて起動させ、メモリーを差し込んだ。煌一がパソコンを覗き込む。雷雅と龍弥も立ち上がり煌一の後ろに回り画面を覗いた。
映し出されているのは地図、どうやら美立山駅周辺、雷雅の母が入院している美立山病院も端のほうに見える。
「えっ?」
声を上げたのは雷雅だ。美立山病院を示す囲いの中に、薄赤い点が急についた。
「発生場所は美立山病院……」
煌一が小さな声で呟く。
赤い点はすぐに病院から離れ、駅に向かって移動し始める。そして次々に色が変化していく。薄赤が暗赤色に変わり、また薄くなり、ピンク色に変わる。そうかというと急にドス暗い赤になる。そしてどんどん大きくなっていく。
「これ、心境の変化……闇の深さが色と大きさに出ている?」
雷雅の質問に、ひなたが頷いた。
「この時点ではまだ、少し強いというか、深いだけの誰の心の中にもある普通の闇だ。今、こいつの近くに新しい小さな点が出たね、きっとこいつが誰かに絡んで喧嘩でも吹っ掛けた。そんなところだ」
駅に向かいながら、あちこちで周囲に絡んでいるようだ。次々に小さな点が現れては消えていく。
「あれ? 駅に行くんじゃなさそうだ」
かなり大きくなった点が、駅への道を逸れる。どこへ行くのだろう? うろうろと道を曲がってはまた曲がり、元の場所に戻ってしまう。
「迷子?」
「そうだな、心が迷子になった」
煌一が画面を睨みつけたまま答えた。
「決心しかねている、そんな感じだ」
と、急に赤い点が飛躍的に巨大化する。爆発したかのようだ。そして瞬時に消えた。
「消えた?」
雷雅にひなたが答える。
「いや、違う、瞬間移動した。美立山病院だ」
見てみると言われたとおり、最初に赤い点が出た美立山病院に金色の点が出現している。
「この時点ではきっと闇だ。でもあの時には災厄魂としか思わなかった」
ひなたが悔しそうに言う。
「災厄魂と闇は同じ色で表示されるの?」
「心に闇を抱えた人間は赤系の色で表示されるが闇そのものは表示されない。金色に見えるのは闇が災厄魂を纏っているからだ。災厄魂は金色で表示される。駅に近付いたのは災厄魂の種を集めるためだったのかもしれない。小さな点が消えたのはこいつが吸収したんだって、今なら判る」
「あっ、ねぇ。本体の人間は? 置き去り? あ……闇の本体は人間なんだから、置き去りはない――瞬間移動したのは人間?」
雷雅のこの質問に、煌一が唸り、ひなたがそんな煌一を盗み見た。そして二人とも押し黙る。
龍弥が今度も恐る恐る言った。
「ひょっとして、本体は影の一族ですか? あるいは――陽の一族?」
煌一が溜息を吐き、ひなたが目を伏せた。
「ごめんなさい。わたしがこの時、気が付いていれば」
ひなたの後悔を煌一が慰める。
「無理だよ、ひなた。誰も闇の出現を見たことがない――そうだね、タツヤ。きっとそのどちらかだ……」
疲れ切った様子の煌一が静かに言った。




