34 恋する影
突き出るように重ねられた、飾り切りリンゴに過剰反応するひなた、相変わらずだなと苦笑する煌一、そろそろ慣れてきた龍弥は笑いを堪え、黙れと雷雅が小声で苦情を言う。すると煌一が、
「いつも黙らせてしまうんだ?」
と雷雅に訊いた。
他人の奥さんに命じてることに気が付いて、気まずさで答えられない雷雅に、
「陽だまりでは思う存分言わせてやって欲しい。マスターのためにね」
と、煌一が言った。
「ひなたの大袈裟な称賛を、マスターが楽しみにしているんだ」
「えっ? そうだったんですか?」
大人しくプリンアラモードを食べ始めたひなたを、チラリと横眼で見てから煌一が言う。
「マスターがひなたのお守をするようになった頃、抑制され過ぎていたひなたはニコリとも笑わない子だったらしいよ。ひなたは三つだったのかな。笑わないって言うよりも表情のない子だった――ウサギが好きなのだけは判ったそうだ。手垢でうすら汚れたぬいぐるみをいつも握りしめ、無表情に眺める絵本にはウサギが描かれていた」
少しでも喜ばそうと、ある日マスターがリンゴをウサギに切って出した。それを見たひなたの顔がパッと明るくなった。
「それ以来、マスターは飾り切りや盛り付けに執念を燃やしている。少しでもひなたを喜ばせたい、笑顔が見たい、ってね。ま、ひなたに聞いた話だ。マスターに確認したわけじゃない」
「それでひなたさん、あんなふうに? でも、少しやり過ぎなんじゃ?」
「うん、そうだね、もう少しデリカシーってものが――」
ドンッて音は、ひなたが煌一の足を踏んだようだ。が、スリッパを掃いた足では大した衝撃もなかったようで、顔色一つ変えずに煌一が言いきる。
「あれば完璧にいい女なのにな」
またも答えに窮した雷雅の代わりに、クスッと笑った龍弥が
「欠点はデリカシーが足りないところだけですか?」
と言い、ひなたに睨まれて笑顔を引っ込めた。煌一はマシュマロが完全に溶けたコーヒーをスプーンで混ぜながら苦笑しただけで、答えなかった。
ひなたはプリンアラモードとカステラと抹茶フロート、煌一はコーヒーにマシュマロを浮かべたものだけ、雷雅は選びきれずに豆大福とみたらし団子、飲み物は熱いお茶、龍弥はチーズケーキにコーヒーと、それぞれ違うメニューのティータイムだ。用意してくれたマスターは面倒だっただろうにイヤな顔一つせず、むしろニコニコ顔で運んでくると、すぐ店に戻った。
「マスターがいなかったら、わたしは目も当てられないほど面白味のない人間になっていたと思う」
抹茶フロートに乗せられたアイスクリームをスプーンで掬ってひなたが言った。
「ま、いろいろあったけれど、わたしを解放してくれたのはマスターだ。マスターはわたしに、感じたことを感じた通りでいていいのだと教えてくれた。人形のような状態ではさすがに先が思いやられると、わたしの両親がマスターに、心を取り戻して欲しいと依頼したのだと後で知ったよ――だが、わたしの感性は少しばかり他人と違っていたみたいで、それに親が気が付くころには手遅れだったし、周囲に変わり者の烙印を押されたさ」
「変わり者って影の一族としてってことでしょう? 時々オーバーな言い方するけど、ひなたさんの感覚、変わっているとは感じないよ」
雷雅の言葉にひなたが嬉しそうな顔をする。
煌一がちょっとイヤそうな顔をしたのはきっと妬いたんだ……雷雅が、
「煌一さんだってひなたさんを変わっているとは思ってないでしょ?」
と話を振った。煌一が、うん? と雷雅を見る。
「影の一族としては変わっているかな。はっきり自分の気持ちを言葉にし、相手の気持ちを知ろうとする。変わっていたらダメかというと、俺はそうは思っていないがな」
回りくどい言い方だ、と心の中で雷雅が思う。つまり煌一は、ひなたの変わっているところが好きなんだと思った。
「煌一さんはひなたさんのどこが気に入ったんですか?」
「どこっておまえ……」
慌てる煌一、龍弥はもう少しでコーヒーを吹きそうになり、やめろというように雷雅の袖を引く。
「そりゃあ、まぁ……」
チラリと煌一が、ニコニコ顔のひなたを見る。ひなた、どうやら煌一の答えが聞きたいらしい。
「そんなこと、ここで言えるか――さっさと食べろ、話はまだ終わっちゃいない」
不満げなひなたを残し、煌一が立ち上がる。キッチンに向かったところを見ると灰皿を取りに行ったのだろう。そのまま玄関を使って外階段に出たようだ。
「ライガぁ」
龍弥が気の抜けた声を出す。
「おまえ、あんなこと、よく煌一さんに訊けたな」
龍弥の様子にひなたがクスッと笑う。
「タツヤが訊いていたら怒られたかもね」
「そうなの? そんなに訊いちゃいけない事だった?」
不思議そうな雷雅に、
「影はプライバシーを詮索しないのが鉄則」
と答えたのはひなただ。
「特に狩人はね」
「プライバシーってほどの事なの? てかさ、友達なんかいないって龍弥が言ってたけど、だからじゃないの?」
雷雅の言葉に、龍弥が気まずそうな顔した。
「うん、むしろ、そんな感情を持たないようにって配慮もある。危険が迫った時、優先すべきを間違えないように、ね」
「なんか、ヤだな――ねぇ、友情が生まれない環境なら、恋愛なんかもないの?」
「ないよ」
サラリとひなたが答えた。
「わたしが変わり者だったから、わたしと煌一の間には恋が芽生えた――そのことも神影のババアは気に入らなかった」
「あ、でも、マスターが、ひなたさんはモテたって言ってたよ」
「名門神影の傍流木陰家の令嬢、そして高い能力、それに加えてこの美貌、モテた理由はそれだ。愛情なんか必要ないんだから、性格もどうでもいい。変わり者だろうが家柄と能力には問題ない。降るほどの縁談があった」
「令嬢とか美貌とか、自分で言っちゃう?――それじゃ、影の一族ってみんなお見合いとか政略結婚?」
「高位の家の者はね。狩人は所属チームの指導者がもってきた話で決める」
「選択肢なし?」
「ないかなぁ……能力が低いと判断されて一般人に紛れ込ませられた者は普通に恋愛したり結婚したりするけど、相手も影じゃない場合は影の身分を捨てることになる。そして、自分のパートナーにさえも影のことを口にすることは許されない」
「もし言ったらどうなるの?」
「影を離れるときに、一族に影を支配されることになる。つまり言えないから心配ない――生まれた時に一般人に養子に出されて、自分が影の生まれだって知らない人もいるね」
「じゃあさ――」
雷雅が龍弥をチラリと見た。
「タツヤは今、僕と一緒に一般人に溶け込んで生活してるわけじゃん」
「うん?」
「一般人と恋に落ちたらどうなるの?」
「なに言いだす?」
慌てたのは龍弥だ。
「そんなこと有り得ない!」
「そうかな? タツヤの事を気に入ってる女子が結構いるんだ。タツヤだって気が付いてるだろ?」
「へぇ、そうなんだ?」
当然ひなた、ニヤニヤと食いついてくる。
「ま、タツヤは顔がいいからな。高校生くらいの子なら、少しポッとするかもな」
「ひなたさんまで……揶揄うのはやめてください」
龍弥の抗議にひなたが少し真面目な顔になる。
「自分がそうだったから言えるのかもしれないが、わたしは影だろうが……狩人だろうが、恋愛するのを邪魔したくない。できればみんなにして欲しいくらいだ――でも、現状は難しいだろうね。もし、そんな感情が芽生えたのなら、タツヤ、必ず相談するんだ。簡単に諦めるな」
龍弥は『そんなことにはなりませんよ』とコーヒーを飲み干した。




