31 騙す? 騙される?
龍弥との同居は、自分でもびっくりするほどすんなりと始まり、なんの躊躇いもないまま馴染んでいった。
母が入院して一人暮らしが始まった時もそうだった。不自然なほど自然に新生活は始まった。もともと母と暮らしていた部屋ではなかったのが良かったんじゃないか。引っ越したからこそ、母の欠落を感じないですんだんだと思った。
龍弥との同居も別の住居に移ったことにより、龍弥が加わったのではなく、環境の変化の一部として捉えられた。龍弥は新入りではなく自分と同期なのだ、そんな感覚だ。
そこまで考えて、ひなたが雷雅の部屋を移すことにしたかまでは判らない。リビングなど共有部の家具が新しい物に入れ替えられ、今までの部屋とは全く違う雰囲気になってしまっているのを見るとそうかもしれないと雷雅は思う。けれど敢えてそれをひなたに訊くこともなかったし、龍弥やマスターに意見を求めることもしなかった。
変化があったのは煌一で、龍弥が雷雅と住むようになって以来、どうやらひなたの部屋に住んでいるようだ。単身赴任中ではなかったか?
それに答えをくれたのは龍弥だった。
「この地区で災厄魂が頻繁に出現してるんだ」
「この地区?」
「うん。東京と言っても区じゃなくて市に集中してる。特に美立山市に多い」
毎晩のように狩りに行くから、都心の神影家に帰るよりこちらに住んだほうが効率的だ。
「闇が出た時、この地域の防御は強化したって言っていたけれど、それでも追いつかなくなったってこと?」
雷雅の質問に、
「闇? 闇が出た?」
反対に龍弥が質問する。
「うん、あれは……六月の初め頃、駅前のショッピングモールの屋上に闇を追い詰めたんだ」
「ライガが?」
「まさか! 狩人のチーム。確か山蔭さんって人が取り逃がした災厄魂を北川さんって人と煌一さんが屋上に追い詰めたんだ。山蔭さんも北川さんもチームで動いてたらしいけどね」
「あぁ、山蔭さんが負傷したってあれか? あれって闇だったんだ?」
「うん、災厄魂の中に闇が潜んでいて。で、災厄魂を分断して闇は逃げたんだ」
「ライ、ひょっとしてその場にいた?」
「煌一さんが僕を連れて来いって、ひなたさんに――ひなたさんの運転、滅茶苦茶で大変だった」
「それで? ライはその時、何かした?」
「ううん、結局出番なし。合図されたら言えって、呪文みたいなのが書かれた紙を渡されたけど、結局そんなタイミングは来なかった――タツヤはチームで動いてなかったんだ?」
「いや、俺は煌一さんの直属で、誰とも組まされてないから」
「それにしても、情報のやり取りって内部でもあまりしないんだ?」
「うん、縦はともかく、横はほとんどない。誰がどんな任務についてるかなんて、まず聞かない。煌一さんみたいにトップに立ってる人が把握してるだけだと思う」
「やっぱ、煌一さんってトップなんだ?」
「関東・甲信越のトップ。ほかに近畿・北陸、九州・沖縄、中国・四国、東北・北海道、それぞれにトップがいて、さらにその上に三人の統率者――でも、それぞれが誰なのか、俺は知らない。関東甲信越のトップが煌一さんだってことだけ」
「影の一族って、徹底した秘密主義? 仲間にさえ秘密が多いよね」
「任務を遂行するため簡単に他の流派を騙す。そんなの当たり前の世界だ……初めて会った時、俺、ライガに『影に騙されるな』って言ったのを覚えてる?」
「あぁ、あれ、すごく僕を不安にさせた。タツヤも影の一族だって知った時、キツネにつままれた気分だったよ」
ごめん、と龍弥が苦笑する。
「あの頃はさ、俺、ひなたさんを信用してなかった。何しろ、ひなたさんを見たのは、神影の奥さまでさえ口答えしたことのない大奥さまに、食って掛かって暴言吐いた時だけだったし」
「そんなに凄かったんだ?」
思わず雷雅も笑ってしまった。『神影の奥さま』って? と、一瞬思ったが、煌一の母親のことだとすぐに気付いた。
「俺さ、影の一族の生活しか知らないから。ひなたさんはその枠から、見るからに食み出してて……今風って言うかさ。そんなひなたさんが、『時代錯誤なことを言っているから、影の一族は衰退するばかりなんです!』って、大奥さまに言いきったんだ」
ひなたらしいと思う雷雅だ。
「影ってさ、上位の者には決して逆らわない、もちろん意見もしない、それが鉄則だったから。しかもその場に煌一さんはいなかった。ひなたさんを庇える人がいないってことだ」
「それでどうなったの?」
「怒りでわなわな震える大奥さまに『同居は無理です、ごめんあそばせ』って、ひなたさんはさっさと神影の屋敷を出て行った」
クスッと龍弥が笑う。
「呆気に取られて誰もひなたさんを止められない。大奥さまでさえも、ね――帰宅した煌一さんに報告するとひなたさんの言葉に大笑いしたのに、出て行ったと聞くと顔色を変えて、どこに行ったって大慌てで」
「へぇ……」
「すぐに屋敷を飛び出して、ひなたさんを探したんだと思う。俺の知ってる煌一さんじゃなかった。その時思ったんだ、木陰ひなたはどうやって煌一さんを騙したんだ? って。煌一さんを騙して、木陰は何をするつもりなんだろうって」
「今もそう思っている?」
「うん、思ってる――厳格な神影の家で育った煌一さんが、俺に普通の生活を教えたいなんて思うのは、ひなたさんの影響だ。ひなたさんに騙されてるからだ」
「そっか……」
龍弥の考え方は理解できる、でも、悪いが同意できない。
そんな雷雅の顔を見て龍弥が続けた。
「でもさ、ライガ。不思議なんだけど俺、ひなたさんになら騙されてもいいのかもしれないって思い始めてるんだ」
「うん?」
「普通の生活を知ったからだと思う。影の役目には不要とされていたもの、それが本当に不要なのか、判らなくなった。雷雅に学校は必要かどうかって話の、必要じゃなければ不要なのかってのと同じなのかもしれない」
なるほど、と思いながら、でもまだ違うと思う雷雅、遠慮がちに龍弥に言う。
「影の一族のこと、よく判らない僕が言うのもどうかなと思うけど――ひなたさんには騙してるつもりなんかないと思う」
龍弥が、ん? と雷雅を見る。
「ひなたさんには誰かを騙そうとか利用しようとか、ないんじゃないかな? 単に自分が思った通りのことをし、思った通りのことを言う。それがひなたさんの魅力で、きっと煌一さんはそんなひなたさんに惹かれた。違うかな?」
龍弥がマジマジと雷雅を見、そっと溜息を吐く。
「ひなたさんは影の一族だよ、ライガ。自分の目的のためには手段を選ばない――ライもすでに騙されているみたいだ」
「そうなのかな? でも、騙されているとしても、ひなたさんが僕を見捨てたり、僕が不利益を被ったり、そんなのはないって信じられる。僕を優先して考えてくれるって信じられる。そう感じる。それに……タツヤもそう感じているんじゃないのか?」
龍弥が口元だけで笑った。
「うん、ライガの言うとおりかもしれない。だから騙されてるって判ってて、それでいいと思うのかもね」
災厄魂の出現が増えたことにより、ひなたが『陽だまり』に顔を出す時間が減った。夜通し起きていて、自分の影を操り、近隣を巡回させているのだとマスターが言った。
「昼間、お眠りになられているのですよ」
夕方に降りてきて、すっかり日が昇ってから自室に戻る。煌一は陽だまりに顔を見せないがひなたが自室で食事しているところを見ると、毎日帰宅しているのだろう。つまり、この地区の災厄魂の出現頻度が一向に収まらないということだ。ある場所に集中して災厄魂が出現するのは異常だとマスターが言っていた。
そんな中、雷雅と龍弥は二人揃ってひなたの事務所に呼ばれる。八月の初めのことだった。




