3 陽の一族・影の一族
運ばれてきたパフェはバナナだけでなく、イチゴやメロンも飾られて、グラスの底にあるのはきっとパイナップルだ。上に乗せられた果物たちはアイスクリームと生クリームに支えられ、彩りよくきれいに並べられている。中でもバナナ、斜めにカットされて少しずつずらして重ねられている。ボリューム満点、存在感があるうえに、掛けられたチョコレートソースで目立っている。主役の座は渡さないと、言わんばかりだ。そして、シガレットクッキーが一本、デデンと突き刺さっていた。
どこから出したのか、女がシュシュで長い髪を後ろに纏めながら言う。
「どうだ、素晴らしいだろう? 足元に平伏するイチゴにメロン、それをより引き立てるホイップクリームにアイスクリーム、しかも奥深くにはパインが控えている――さぁ、少年よ、切り刻まれたバナナと聳り立つシガレットクッキーの狭間にスプーンを突っ込むんだ!」
どう反応していいか判らず戸惑う少年の目の前で、女はバクバクとパフェを食べていく。
「どうした? さっさと食べないと溶けてしまうぞ。それとも切り刻まれたバナナが忍びなくて食えないか?」
「な、なに言ってるんですか?」
「あるいは聳り立つシガレットクッキーに怯んだか? それとも――」
「食べます! 食べるから黙ってください!」
このままだと何を言い出すか判らない。さっさと食べるに越したことはない。
少年がパイナップルにたどり着くころには、女は食べ終わっていて、
「マスター、ナポリタン二つね」
と、追加注文している。
「食べるだろ? 夕飯はまだなはずだ」
順番が逆だ。でも、確かに中途半端に胃に入れたので却って空腹を感じる。
大盛りのナポリタンが目の前に置かれ、マスターが
「どれほど召し上がるか判らなかったので、とりあえず大盛りでございます。多すぎれば残していただいて構いません。足りなければお替りなさってください」
と言ってから、空いたグラスを持って戻っていった。女の前に置かれているのは少年の三分の一程度の量、たぶん一般的なものと比べれば半分の量だ。
「わたしはね、少年――」
フォークを手に取り女が言う。
「マスターに『パフェ以外は半量で』と頼んであるのだよ。そして、なにしろそのとき食べたい物から食べる。食べている途中で、別の物が食べたくなるかもしれないじゃないか。一人前頼んでいたら、追加で頼むのは気が引ける。食べ残してるのに別の物を食べるなんてとんでもない。だからハナから少なく盛ってもらう。いい考えだろ?」
そう言いながら、女が食べたのはナポリタンだけ、終わればマスターにコーヒーを頼み、
「少年は好きなだけ食べて飲め」
メニューを渡してくる。少年がアイスコーヒーを頼むと、
「もう食わないのか? 割と少食だな」
つまらなさそうな顔をしてから、
「それでだ」
と、話を切り出した。どうやら女は真面目に本題を話し始める気になったらしい。
「わたしと雇用契約を結んでもらう。もちろん、法に則った正式なものだ――キミの保護者、お母さんの同意も貰う。これは社会ってものから我々を守るためのものだ」
そこへマスターが紙を一枚持ってきて、女に渡すとすぐ近くの席に座った。
「ここに雇用条件が書いてある。これにキミがサインした時点で、キミへの請求は破棄しよう。まぁ、とりあえず読め。悪い条件じゃない。学校ではバイトは禁止じゃないな? 表向きはここ、喫茶室『陽だまり』でのアルバイトとしよう」
少年が契約書を読む横で、女がダラダラとしゃべり続ける。
「どうだ、悪い条件じゃないだろう? むしろ好条件だ。見習いのうちから、大卒初任給と同等の給料だ、ただし時間給に換算してだがな。昼間は学校なんだから、丸々払うわけにはいかない。だけど食費はいらない、学費もいらない――雇用契約書って言うのはね、働くにあたってのキミの権利と義務を明確にするものだ。不満や疑問があればなんでも聞くがよい」
渡された紙片の一点に目を止めて少年が尋ねる。
「寮に入ること?」
「うん、このビルの二階以上には外階段からも行ける――二階はわたしの事務所、三階に二部屋あるが、キミたち親子に一部屋を提供しよう。もう一部屋はマスターの住居だ。ちなみに最上階四階はわたしの住居。なに、家賃はいらない、引っ越し費用も出す」
「でも、母さんと一緒に――」
「キミの母親の入院はかなり長くなるのだろう? 今の家は賃貸アパート、六畳二間にダイニングキッチン、いわゆる二DK、キミに提供する部屋は六畳二間に十八畳のLDK、つまり二LDK、少しだけだが広くなる。今のところは引き払え」
「いや、僕には――」
「決められない? そりゃそうだろう。が、安心しろ。キミの母親にはわたしが話をする」
「それじゃ、話をしてから――」
「OKだそうだ」
「え?」
「わたしの影がキミの母親の入院先に行って、母親と話をつけた」
「何を勝手な!」
「あきらめろ、暁月雷雅。おまえの権利は最初に見つけたわたしにある。お母さんも承知のことだ」
「なんで名前を? また、僕の影に聞いたって? それより権利って、なに言ってるんだよっ!?」
「アカツキ……なるほど、だからここにお連れになったのですね」
混乱した少年が憤る横で、マスターがぽつりと呟く。
「うん、それもあって『災厄魂』から守った。でなきゃ見捨ててもよかった」
「おやおや、心にもないことを……この子が陽の一族じゃなくてもお嬢さまはお助けになったことでしょう」
女とマスターが見かわして微笑み見合う。
「ちょっと、ちょっと! わっけが判んないんですけどぉ? なんなんだよ、ヒの一族だの、なんだの? 見つけた権利? 母さんに何を吹き込んだっ?」
雷雅の様子に女が笑う。
「説明するのはやぶさかではないが、少年よ、今のキミに話したところで理解できまい。追い追い話してやるよ。でも、まぁ、今日、あの公園で何があったのか、なぜキミを助け、どうしてキミと契約するのか、そのあたりをざっと教えておこう」
「公園……あの、なんか不気味な何か――」
「うん、あれが『災厄魂』だ。と言っても、小物だったがな――少年、禍津火神って知ってるか?」
「まが、まが?」
「禍津火神、だ。まぁ、簡単に言うと穢れを引き受けてる神だ。人に善悪を判断させる役目もある――で、『災厄魂』は、何かのはずみで禍津火神から、穢れだけが分離してしまったものだ」
穢れだけ、つまり悪意の塊と言える災厄魂は人の心に憑りついて、その人間に悪事を起こさせる。それだけではなく、性格や趣味や、時には顔つきさえ変えることもある。
「ま、人間なんて、もともと悪事を行う素養を全員が備えている。ちょっとした悪さなら、キミにだって身に覚えがあるだろう? 横断歩道じゃないところで車道を横切ったり、わざとじゃなくても落としたゴミを拾わなかったり、虐められてる友達を見て見ぬフリしたり、ね」
災厄魂がさせる悪事はそんな可愛いもんじゃない。凶悪事件と呼ばれるものだ。
「強盗、殺人、強姦、エトセトラ、エトセトラ……あれは災厄魂に憑りつかれた人間が起こすことが多い。特に犯罪を繰り返すヤツや猟奇的な犯罪を起こすヤツは、まず十中八九、災厄魂に憑りつかれている」
雷雅が蒼褪める。
「それじゃ、あんたに助けられていなかったら僕もそんな犯罪者に?」
「いや……言っただろう、さっきの災厄魂は小物だ。あれに憑りつかれても、せいぜい一・二度レイプか何かして警察に捕まるのがオチだし、ま、ライガ、キミが災厄魂に憑りつかれることはない」
「僕は憑りつかれない?」
「うん、キミには『陽の一族』の血が流れている。災厄魂とは正反対のもの、憑りつくのは無理だ。災厄魂にとっては自殺行為だ。だが、ヤツ等にとってキミはご馳走だ」
「ご馳走?」
「憑りつけば身を亡ぼすが、取り込めば己を高める。取り込む、つまり食っちまうってことだ。陽の気はすべてにおけるエネルギー源、それは災厄魂にとっても同じだ。もちろん我ら影の一族にとっても、ね。でも安心していい。影の一族が陽の一族を食うなんてことはない」
ここで女、『別の意味でならあるか』と、こっそり言ってニヤリと笑う。それは無視することにした雷雅だ。いろいろゾッとし過ぎて、取捨選択しなければ気を失いそうだ。
「なんだ、なんかまた、訳の分からないモンが出てきたぞ……陽の次は影かよ」
雷雅の溜息に、ノートでもお取とりになりますか? とマスターが笑う。
「一度に覚えることはない。どうせ覚醒すれば思い出すことだしね」
「覚醒って……僕はまだ目覚めていないってこと?」
「うん、陽の一族は十八歳で覚醒し、その能力を発揮できるようになる。訓練と自覚次第で早まることもあるけどね」
「能力って?」
「災厄魂を消滅させることができるのは陽の一族だけだ。だから陽の一族は守られるべき存在――我ら影の一族は災厄魂を封印することと、陽の一族を守ることを務めとしている」
「僕がその、陽の一族? そんな、馬鹿な……」
「キミのお母さん、結婚してもキミを旦那の養子にしなかっただろう? キミの実父とも結婚しなかった。陽の一族である証をキミに残すためだ――暁月という苗字を継承するためだ」
「そんな話、初めて聞いた。僕を騙そうとしてるんじゃなくて?」
「まったく……せっかく説明しているのにこれか。騙されているのかどうか、自分で確かめていけばいい。どちらにしろ、ライガ、キミに選択肢はない」
うんざりと言った感じの女だったが、思い直したように雷雅に笑みを見せた。
「そしてわたしの名は神影ひなた、旧姓は木陰、影の一族の筆頭・神影家の惣領息子の妻だ」




