28 ひなた の朝食
部屋に戻る時、マスターが龍弥に
「今日はこれで我慢してください」
と、袋を渡した。中身はTシャツとスウェットパンツ、それに下着やタオル類、値札は外してあるものの、いずれも新品だ。きっとマスターが、仕事の合間に買いに行ったんだろう。
「明日にはご自分の物が運ばれてきますから――小さいよりはいいと、少し大きめなものをご用意しました」
マスターの言葉に、ありがとうございますと恐縮した龍弥だった。
翌日、雷雅と龍弥が『ひだまり』で朝食を摂っていると、ひなたが一人でやってきて雷雅の隣に座った。カウンター席だ。
「煌一さんは?」
雷雅が訊くとあくびを噛み殺しながらひなたが答える。
「出かけた――すぐに戻ると思うけど」
「お嬢さま、お食事は?」
「ありがと、マスター。でももう済ませた。コーヒーちょうだい」
マスターがコーヒーを入れている間に雷雅が尋ねる。
「朝ごはん、なににしたの?」
「豆腐にワカメとネギとアゲの味噌汁に出汁巻き卵、アジの開き、焼きナス、オクラの肉巻き、きんぴら牛蒡、レタスとキュウリとプチトマトを添えたポテトサラダ、カブの糠漬け、そして白飯――ありふれたものばかりだ、なんて言うなよ」
途中、雷雅越しにひなたを見始めた龍弥が慌てて引っ込む。感心した雷雅が、
「いや、ありふれてるなんて……品数が多くてびっくりしてます。ひなたさんが作ったんでしょう?」
と言うと、答えるひなたは少し機嫌が悪そうだ。
「アジの開きは焼いただけだし、糠漬けは漬けておいたものを出して切っただけ。後も大して手がかかるものじゃない」
「そうなの?」
「切る、混ぜる、加熱する、巻く、潰す…その他、順番を間違えなければ出来る。まぁさ、味付けは好み、センスと言ってもいい」
雷雅が思わずマスターを見る。マスターはうっすら笑みを浮かべ、
「今、召し上がっている『オムレツのサンドイッチ』より、かなり手が込んでいますよ」
と言いながら、ひなたの前にコーヒーを置いた。
「煌一さまも召し上がられたのでしょう?」
「……」
ひなたが物凄くイヤそうな顔をする。
「煌一のヤツ、起こしてもなかなか起きない。で、やっと起きたら食べてる暇なんかないって出かけた」
ひなたの不機嫌の原因はこれか、と一同納得する。
「煌一さん、すぐ帰るんでしょう? 帰ってから食べるつもりなのかもしれませんよ?」
取り成す雷雅をひなたがゆっくりと見る。
「そうかな?」
「きっとそうですよ」
「でも、わたしが全部食べた。食べたら美味かった。美味かったのが余計に腹立たしい――食わないヤツがいけないんだ。腹が減ればマスターを頼るさ」
あの品数で朝から二人前? 普段のひなたの食事量を考えると、腹痛を起こしそうで心配になる。
なんと言っていいか判らず黙っていると、今度はひなたが雷雅越しに龍弥を見る。
「そうだ、昨夜、煌一が部屋を見に行ったんだけど、タツヤ、おまえの部屋は空っぽだったと言っていたぞ」
「空っぽ?」
「敷きっぱなしの布団、床に積み上げられた数冊の本、作り付けのクローゼットの中に数着の服、キッチンにはコップがあるだけ――おまえ、寝るためだけにあの部屋を使ってたな?」
「え、えぇ、まぁ。ほかにやることもないし」
「テレビとソファーを部屋に入れることにした。あ、あとカーテンも明るい物に替えるぞ。ジジイじゃあるまいし……煌一が、まるで暗幕だって言ってた」
「すいません」
「謝ることはない――それで、だ」
ひなたが少し身を引いて、雷雅と龍弥を見比べる。
「おまえたち、二人、二階に引っ越せ」
「えっ?」
「今の三階の部屋だと、二人には狭いかなと思って。住むだけならいいけど、友達が来たらあのリビングでは手狭だ。『陽だまり』を使うのもいいけれど、自分たちだけで過ごしたい時だってあるんじゃないのか?」
「そりゃそうだけど」
「二階は今、わたしの事務所となっているが、ここに入り浸りで使っていない――八畳の部屋が二部屋、リビングとダイニングキッチンがそれぞれ十五畳、風呂は広さが三坪だったかな? みんなで一緒に入れるんじゃないか? で、別にシャワールームもある。昔は研修所代わりに使っていた。そうそう、だからトイレも三つある」
「いや、それ、広すぎるでしょ?」
戸惑う雷雅、
「掃除はマスターがしてくれるから心配ない」
ひなたは判っているのかいないのか、雷雅の動揺を見て見ぬふりをする。
「いや、そうじゃなくて……」
「そうそう、学校は続けていいって煌一も認めた。夏休み中はなるべくここを出るなって言ってたけどね」
「あ……」
雷雅が意識して考えないようにしていた一番の関心事だった。昨夜ひなたはああ言ったが、ひなたも煌一には逆らえなさそうだ。期待しないほうがいい、期待して叶わなかったら誰かを恨んでしまうかもしれない。それはダメだし、そんな自分はイヤだ、そう思っていた。隣で龍弥もほっと息を吐いた。
聞いていないふりのマスターが、
「そろそろイチゴゼリーが食べごろに固まった頃です。お出ししますか?」
と三人に訊く。
「もちろん!」
と、ひなたが真っ先に答え、まだ食べるのかと雷雅が呆れた。
下は白いミルクの層、上に透明な赤い層があって、そこに角切りイチゴが閉じ込められている。そんなゼリーを四角く、ケーキみたいに切り分けて、絞り出したホイップクリームと一粒のイチゴで飾った。
そっと龍弥が雷雅に耳打ちをする。
「毎日こんな食事をしているんだ?」
「うん、朝昼晩、三食――学校が始まると、マスター、お弁当も作ってくれる」
「へぇ……なんか、すっごく贅沢に感じる」
「神影さんの家では食事は質素だった?」
「ううん、そんなことない、きちんとしたものを食べさせてくれてた――でも、こんなゼリーとか、いわゆるデザートってあんまりなかった。果物は毎食出てた」
「ひなたさんなんか、毎日パフェとか食べてる」
そう言って雷雅が
「よく太らないよね」
龍弥の耳に口元を寄せてこっそり笑う。確かに、と龍弥も笑い、
「こら、悪口は聞こえるものだぞ!」
ひなたが苦情を言った。
そのひなたが天井を見上げる。
「煌一、帰ってきたいみたいだな――引っ越し作業が始まった」
「そのようでございますね」
マスターが食器を拭く手を休めることなく同意する。
手伝いに行かなきゃと龍弥が腰を浮かすと、マスターがそれを止める。
「終わるまでこちらでお過ごしください。指示だけなさって煌一さまもすぐこちらにお出でになります」
言い終わらないうちにカウンターの奥のドアが開き、煌一が顔を見せた。
なんだ、ここにいたのかとひなたを見、次いで雷雅と龍弥を見た。そしてすぐに、
「ひなた、飯」
とだけ言って、出てきたドアの奥に消えた。
ニヤリと嬉しそうな顔をしたひなた、
「マスター、ゼリー貰える?」
と、皿に残ったゼリーを慌てて口に放り込む。はい、と答えたマスター、デザート皿を二つ用意して、さっきと同じようにイチゴゼリーを盛りつけ、トレイに乗せるとドーム型の覆いをかぶせた。
「また来るから。ここで待っててね」
雷雅と龍弥にそう言い残し、トレイを持ってひなたもカウンター後ろのドアから出て行った。
「これからまたあのメニューを作るのかな? それとも別のにするのかな?」
ひなたを見送って呟く雷雅をマスターが笑う。
「ひなたさまが煌一さまがいるのに一人で、まして煌一さまより先にお食事などなさいませんよ。多少つまみ食いはしたのでしょうけどね」
へぇ、と雷雅と龍弥二人揃って、呆れているのか感心しているのか判らない声を出した。




