26 影の在り方
マスターはすぐには答えなかった。だが、自分を見つめるひなたにいつまでも答えないわけにもいかなかったのだろう。
「煌一さまは……雷雅さまに高校を辞めさせるのは問題かと、わたしにお尋ねになりました」
「えっ?」
驚いた雷雅がマスターを見つめる。龍弥は何も言わず、少し俯いた。
「それで? マスターはなんと?」
続きを促したのはひなただ。
「わたしはなんとも……煌一さまは、雷雅さまを目覚めさせるには少し追い込む必要があるとも仰せでした」
「なるほど。学校を辞めさせ、学友と引き離し、精神的に孤立させる、か――不安定になった雷雅を龍弥に見張らせるため同居させる。煌一のヤツ、相変わらず容赦ないな」
「ひなたさま――煌一さまをお責めになるのは」
取り成すマスターにひなたが、判っているよと苦笑する。
「まぁ、今回はまだマシだ。以前なら有無を言わさず命じた。マスターに相談しただけ進歩だ」
「僕はどうなるの? 学校を辞めるなんて、それはちょっと、あんまり……」
そう言いながら雷雅は思い出す。母さんが倒れ、長期療養が必要と知った日、ひなたと出会ったあの日、学校を辞めて働かなくちゃだめかもしれない、僕はそう考えていた。だとしたら今、辞めろと言われたら僕は従うべきなんじゃないのか?
雷雅の様子にひなたが、『うん』と頷き、雷雅越しに龍弥を見た。
「タツヤはどう思う? ライガに学校を辞めさせるのに賛成?」
エッと戸惑う龍弥、マスターが
「遠慮せずに、忌憚なきところを仰ればいいのですよ、龍弥さま」
と龍弥に微笑めば、だから、さまなんていらないってば、と龍弥が居心地悪そうに言った。
「俺はライが学校でどう過ごしているか知ってるから――学校ってところは勉学だけじゃないってライガのお陰で知った。正直言えば、ライガが羨ましかった」
「羨ましい?」
尋ねたのはひなただ。
「小さなころからずっと、狩人になることしか考えたことがない。周囲はみんな仲間だけれどライバルで、信用し過ぎれば足をすくわれる。もちろん、信用はしている。いざとなれば命を預けあえる。でも、でもさ……」
一緒に笑ったことなんかなかった。切磋琢磨して互いに高みを目指す中、冗談なんか言ってる余裕はなかった。いつでも緊張に包まれていた。
「それがイヤだったわけじゃない。充実した日々に間違いない。だけど、なんて言えばいいんだろう? それ以外がない。そうだ、ライガたちはいろいろなものに取り囲まれて、それが俺には眩しかった」
何か言おうとする雷雅の腕にひなたが触れ、黙っていろと合図する。
「学生なのだから一番は学業で、ライはそこからブレることがなくって、いや、そうじゃない、そんなことが言いたいんじゃない。期末考査でコンコがライに抜かれて、コンコはすごく悔しがって、だけどライはまったく気にしてなくて、で、悔しがってるくせにコンコもどこか嬉しそうで、だからっ!」
「落ち着いて――慌てなくてよいのですよ」
マスターが龍弥を諭す。
「うん、うん――そうなんだ、他のクラスメイトもみんなそうなんだ。ライの事だけじゃない、みんな誰かと仲が良かったり、嫌っていたり、色々で、様々で、それぞれで、そう! 豊かなんだ!」
パッと龍弥の顔が明るくなった。そして身を乗り出してひなたに向かう。
「学校って、すごく豊かなところなんです。勉強するには効率が悪い。個人で家庭教師でもつけて勉強したほうが断然いいって思った。だけど、それだけじゃない。友情もあるだろうけど、それだけでもない。嫌ったり憎んだり、それだって大事なことだって思いました」
勢い込んで話す龍弥にひなたは少し引き気味だ。
「学校に潜入するのをイヤがっていたって聞いたけど、どうも気が変わったようだな」
「あ……」
ひなたの言葉に龍弥が赤くなる。
「いや、気が変わったほうがいいんだ。煌一が言っていた。タツヤにも少しは普通の生活を教えておきたいってね。義祖母さんは反対したみたいだけど」
「あぁ、大奥さまにはライガのことを報告してないから、俺を神影の家から出す口実を社会勉強にしました」
「僕のことは内緒?」
つい雷雅も口を挟む。
ひなたが雷雅の顔を見る。
「陽の一族を見つけた、なんて影の一族に知れ渡って見ろ。おまえ、みんなの前に引き出される。そして陽の一族だと証明しろとおまえに迫る」
「え……そんなの無理。だって自覚ないし」
クスリとひなたが笑う。
「だから目覚めるまでは内緒にしておきたい。でも、どこからか情報が漏れた。だから龍弥が襲われ、煌一も焦っている――タツヤをここに運んだのは神影本宅では安心できないからだ」
食べ終わった皿を押しやってひなたがマスターにコーヒーを催促した。雷雅も龍弥もとうに食べ終わっている。すぐにコーヒーが三人の前に置かれ、ひなたが一口啜った。やはりコーヒーを啜りながら、
「ライガたちの生活が普通なんですね」
ポツリと龍弥が言った。
続いてひなたの前にメロンパフェが置かれ、おおおぉとひなたが叫ぶと空かさず雷雅が黙れと釘をさす。クスッと笑んだだけでひなたがメロンを口に運ぶ。
「煌一はね、タツヤと同じだったんだ」
メロンの匂いをさせてひなたが言った。
「わたしと知り合って、今、言うところの普通を学んだ」
「煌一さんが大学二年の時から付き合ってって言ってなかった? 煌一さんは普通に大学生だったんじゃ?」
「あぁ、その前にわたしが十、煌一が十五の時に一度会っているって言ったはず。その時、『学校に行きたい』って話もしたんだ」
「学校に行きたい?」
「うん、わたしね、学校に行きたかった。中学からだって言ったでしょう? 屋敷の窓から毎朝、登校していく近所の子どもたちを見ていた。みんな、楽しそうに笑ってて……どんなところなんだろうと興味を持った。タツヤと同じだ、羨ましかった」
「あれ? 影の一族って、誰も学校には行かないの?」
「狩人になる者や、上に立つ者はね。一般の中で生活することが決まっている者は普通に行くよ」
「でも、ひなたさんは行きたくて、中学からは行けた?」
「煌一が祖母さんを騙して高校に入学して前例を作った。だからわたしは中学に行けた――狩人候補は身分が高くなきゃ、今でもダメだ」
「言うなって言われそうだけど、ほんと、時代錯誤」
呆れる雷雅にひなたが苦笑する。
「うん、時代錯誤。でもまぁ、一般の人を巻き込まないためって理由も、ないわけじゃないんだ。影の仕事は一般の人に知られず、一般の人を巻き込まず。それには知り合いなんかいないに越したことはない」
「うーーーん」
「ま、そんなわけで、わたしに感化されて高校・大学と通った煌一と、わたしは再会したわけだが、煌一はずっとわたしを気にかけていた。十五の少年が十歳の少女に恋をしたとは思わない。でも会えない間に煌一が、わたしに思いを巡らせても可怪しな話じゃない」
「今度は惚気ですか?」
「そうさ、ライガ。再会したわたしは、煌一が想像した以上の美少女に成長している。これで恋に落ちないはずがない。煌一はすぐわたしに夢中になった。恋がもたらす幸福感、それ以上のものがこの世にあるか? そしてね、ライガ」
「はいはい?」
「恋も友情も、友人との些細な喧嘩でさえも、人生を彩ると学んだ煌一は、タツヤにもそれを味わわせたい、そう思った」
龍弥が身動いだのを雷雅が感じる。
「煌一はね、影の一族の在り方を変えていきたいと考えている」
ひなたがニヤリと笑った。




