19 名が語る言葉
不思議な名前、と臨時教員の杉浦薫が言った。
「一文字で『アカツキ』と読めるのに、さらに『月』が付いています。そもそも暁の意味は夜明け前の月・明け方の月、あけつきが転じたもの。太陽が昇る直前の時間帯をさす言葉となっています――本来はアカツキの月と書いたら『ギョウゲツ』と読むので、暁月雷雅、キミの苗字はギョウゲツと読み間違えられやすいという事です」
誰かがアニメを真似て『贅沢な名前だねぇ』と呟き、皆の失笑を買った。
杉浦のその日の授業は、出席番号順に総勢三十八名のクラス全員の苗字の解説に終始した。国語教師の新任の挨拶代わりの授業ってとこか。だが、隠里と山桜桃梅については資料がない、調べてみると言っただけだったし、そのほか『字の通り』と言っただけの苗字もいくつかあった。それでも時間中に全員を終えたのだから、時間配分が得意なんだなと雷雅は思った。
帰りは龍弥に追い立てられるように支度し、教室を出た。悔しそうな顔をしているシンヤとユウキに、雷雅は軽く手を挙げて合図するしかなかった。帰りまで一緒だと思っていなかったが一応は護衛なのだから、雷雅を『陽だまり』に送り届ける義務があるのかもしれないと思った。
雷雅を数歩先に行かせ龍弥は後ろをついてきていたが、学校から離れ、周囲に学生が見えなくなると横に並んだ。
「あの杉浦って言う教員、いつから?」
「うちの学校に来たのかってこと? 昨日だよ」
「ふぅん……影の一族?」
「えっ? そうなの?」
「ライガ、俺が聞いてるんだよ」
龍弥がこれ見よがしに肩をすくめ、雷雅を馬鹿にする。
「本人の影に聞いてみりゃよかったじゃん」
雷雅がそう言うと
「ひなたが教育してるんじゃなかった? それにしちゃ馬鹿だね。不用心に影に接触してみろ。相手が影だったらどうすんだよ?」
「だって影同士、何か問題?」
「俺はあの学校に他にも影がいるなんちゃ聞いてない。なのにいるとしたら、それは敵対するグループのスパイだ。それくらい気づけよ」
「影の中でも敵対?」
「おぉい、そこからかよっ?」
真面目に呆れたようで、龍弥が頭を抱える。
「ま、いいや――ひなたに会いに行くかと思ったけど、今日はやめておく」
気が付けば昨日、龍弥と遭遇した付近だ。
「ひなたさんとも知り合いなんだ?」
「水影陽光を知らないヤツはいても、木陰ひなたを知らないヤツはいない――じゃ、俺はこっちだ。ひなたによろしく」
言いたいことだけ言うと龍弥は角を曲がってさっさと行ってしまった。
着替えて店に降りていくと、いつも通りマスターがお帰りなさいませと迎えてくれた。
「お嬢さまにナポレオンパイをお出しするところですが、雷雅さまも召し上がりますか?」
「ナポレオンパイ? いいね、でもその前に何か冷たい飲み物ちょうだい」
マスターがすぐに用意してくれたアイスティーを持って観葉植物を回り込むと、ひなたがパソコンを覗き込んでいるのが見えた。
「ひなたさん!」
思わず名を呼ぶ雷雅だ。
ひなたは少し驚いて視線を雷雅に向けた。
「なんだ、ライガ、学校で何かあったか?」
「あったって言うか、あの隠里龍弥ってなんだよ、あれ」
「煌一の弟弟子だって、煌一が言ってたよね。何か問題起こした?」
「すっごい嫌なヤツ! そこまで一緒に来たけど、ひなたによろしくって言ってた」
「よろしく言われる謂れはない。やっと顔と名前が一致する程度なんだから」
ひなたが龍弥と親密ではないと知って雷雅がどこか安心する。
「アイツ、僕の友達からも嫌われて……性格、悪すぎ。別の人と交代してもらえない?」
「ふん、ライガ、急に生意気になったな――わたしに権限はない、自分で煌一と交渉しろ」
「どうやって連絡とればいいんだよ?」
「そんなにヤなヤツなんだ?」
「先生に挨拶しろって言われても一言もない、僕の友達を見て『こんなヤツ等』って言った。別のクラスのヤツを眠らせちゃうし、そのうち騒ぎを起こすんじゃないかって冷や冷やしたよ」
「そっか、そりゃ大変だね――あっ、来た来た、ナポレオンちゃん!」
マスターがニコニコ顔でひなたと雷雅の前に置いたケーキは、パイ生地の間にホイップクリームと厚めにスライスしたイチゴが挟んであった。特大のイチゴが絞り出したクリームに支えられるように、丸のまま一個乗せられている。
「おおおおぉ! なんと大きい!」
イチゴの大きさに大興奮のひなただ。
「いいか、ライガ、こんな時、イチゴを齧ってはいけない。フォークを下に差し込んで傷つけないように丸ごと口に放り込め! そしてその大きさを口の中で、舌先で、思う存分堪能するんだ! するとそのうち得も言われぬ香りと深い味わいの果汁がピュッと――」
「どうせ齧るんだから! 黙って食えっ!」
まったく、このおネエさんの趣味には付き合いきれない。呆れる雷雅を気にすることなくひなたはパクパク、ナポレオンパイを口に運ぶ。特大のイチゴにはフォークを差して齧りついた。なんだ、やっぱ言うだけだよね、と思ってハッとする。なに見惚れてるんだ? 雷雅も慌ててパイを食べ進めた。
パイに挟んであるのはホイップクリームだけに見えたが、食べてみるとカスタードクリームとチョコレートクリームがパイの面積半分ずつで塗られていて、味に変化のある、見た目以上に美味しいケーキだった。
二人とも食べ終わり、アイスティーをお替りしてひと段落つくと、ひなたが言った。
「龍弥だが、今まで誰もした事のない陽の護衛だ。緊張してるし、いろいろ戸惑っているんだと思う。それに彼はきっと学校なんて初めてなんだと思うよ」
「学校が初めて?」
「狩人になるべくして育てられたんだ。学問はさせるさ、でも学校でじゃない。わたしと同じで、書類上は行っていることになっているだろうけど実際は行っていないと思う――友達、なんてのもいないはずだ」
「影の中にもいないの?」
「影の中か――友達と言うより、師匠で弟子で、上司で部下で、そして同僚だ。遊びに行くなんてのもないだろうな」
「カラオケ、誘ってみようかな?」
「行くかどうかは判らないが、悪い考えじゃない。だけど歌えるのかな? 童謡すら知らない可能性もある」
「そうなの? 影って本当に時代錯誤なんだね。娯楽の一つもない? 映画やテレビは?」
「ま、そう言うな――一般教養としてテレビも映画も知ってはいるはずだ。うん、そう考えればカラオケもこなせるかもしれない」
「ひなたさん、カラオケは?」
「一緒に行きたいか? わたしと二人で行ってみるか?」
「そうじゃないけど!」
ひなたが苦笑する。
「それと、杉浦か。『うら』は影に通じる、だから龍弥は心配したんだろう」
「影の中にも敵がいるって龍弥が言ってた」
「前に話したが、『神影』『炎影』『月影』の御三家に、それぞれの傍流がある。御三家の中でも神影は影の一族の頭領を代々つとめる家柄だが、それを面白く思っていないのが炎影だ」
「月影は?」
「表立って対抗してくることがない。温和しいのだと思われている――敵というよりそんな感じで、勢力争いがあるってことだね」
「そうだ、ミカゲヒカルって?」
「水の影でミカゲ、太陽光の陽光でヒカル、神影の傍流の中では一番の家柄、そこのお嬢さまだ」
「その人を知らなくてもひなたを知らないヤツはいないって龍弥が言ってた」
「そうか――わたしは子どものころからお行儀が悪かったからだろうね」
ニヤリとひなたが笑った。




