17 ひなた の望み
マスターがサラダを二つ持ってきて、煌一とひなたの前に置いた。
「お飲み物はいつも通りでよろしゅうございますか?」
煌一が頷き、ひなたが
「お願いね」
と答える。
「雷雅さまはどういたしましょう?」
と聞かれたので、アイスコーヒーと答えた。
「弟弟子って?」
雷雅が煌一に尋ねる。
「神影家で引き取って育てた子の一人、俺の父の弟子ってことだ。幼い頃より鍛錬を積んでいるから、そこそこ使えるはずだ」
「引き取るって孤児とか?」
「いや……影の一族の中で見込みのあるのを選んで屋敷に引き取る――面倒なヤツだな。質問攻めはよせ、煩い。疲れている」
「あ、はい、すみません……」
黙るしかないと口を閉じた雷雅だが、なんとなく落ち着かない。そう言えばひなたはどうしたんだろう? 腕を組んで目を閉じた煌一の背中越しにひなたの様子を窺おうとしたら、煌一が背凭れに寄り掛かった。今度は前屈みにひなたを見ようとすると、煌一も身体を前に倒し気味にして邪魔をする。
「見えてますか?」
「ボウヤの動きなど見なくても判る」
そこにカレーを運んできたマスターが、
「雷雅さまのお話し相手はわたしがいたしますよ」
と笑う。見るとマスターのトレイにはやっぱり二人分しか乗っていない。
「カウンター席にお越しください」
と言われ、なんだか納得いかないまま、雷雅は席を立った。
座って待っていると、戻ってきたマスターがこっそり言った。
「煌一さまは雷雅さまにお嬢さまを奪られやしないか心配なさっているんです」
「僕がひなたさんを?」
「単なる焼きもちです。お嬢さまはおモテになるし、煌一さまはお仕事が忙しく、なかなかひなたさまと一緒に居られない……心配でならないようでございますよ」
ひなたが『煌一はわたしにゾッコン』と言ったのはあながち嘘ではないらしい。
「ひなたさんってモテるんだ?」
「えぇ、そりゃあ、もう」
嬉しそうにマスターが微笑む。
「木陰のご当主が大事にお育てになったお嬢さまですから。ご幼少期からありとあらゆるご教養を身につけられ、どこに出しても恥ずかしくないお嬢さま。それに加えて屈託のないご性格、お母さま譲りの美貌――」
教養があっても卵焼きも焼けないんでしょう? と心の中で雷雅が笑う。
「それじゃあ、料理ができないのが唯一の欠点?」
「お料理もお上手ですよ。多分、今日も出汁巻き卵をお作りになったと思います。お昼にいらした時、卵一パックと鰹節やらをお部屋にお持ちになりましたから。煌一さまの好物なのです」
「え、だって、煌一さんのお祖母さんに……」
「あぁ、あれは、卵焼きを作れと言われて拒否なさっただけです。『わたしは家政婦じゃない』と仰りたかったのでしょう」
「そうだったんだ」
「お嬢さまはどなたともすぐ打ち解けなさる。お相手のお心を掴むのがお上手なのです。だからこそおモテになるのですけれど、神影の大奥さまは最初からお嬢さまを敵視なさっていた。大奥さまの孫娘、煌一さまの従妹のお嬢さまより、うちのお嬢さまのほうが目立つのがお気に召さなかったようです」
お待たせしましたと、雷雅の前にサラダが盛られた小鉢と共にカレーの皿が置かれる。
「アイスコーヒーと仰いましたがドリンクヨーグルトもございますよ。お嬢さまたちにお出ししたものです」
そう言えば、マスターが奥の席に運んでいたのは白い飲み物だった。
「うん、僕もそれにする」
カレーにあいそうだ、雷雅はマスターに微笑んだ。
厚切りの肉を使ったトンカツとスライスしたゆで卵のトッピング、カレーは辛口でピリッとしている。ドリンクヨーグルトはマッタリと甘く、なるほど、このカレーにならアイスコーヒーよりこっちのほうが合う。
雷雅が食べ終わるころ、煌一がやってきて
「ご馳走さま――夜中には出かけるから朝はいらないよ。それじゃ、マスター、お休み」
マスターに声をかけ、奥のドアから出て行った。ドアを開ける直前、ギロリと睨まれた雷雅、僕には挨拶なしかよと思う。でも――
「煌一さん、夜中に出かけるんだ?」
「えぇ、お仕事に行かれるのだと思いますよ。五ヵ月ぶりの休暇も一日取るのがやっとだと嘆いておられました。まぁ、状況が状況ですから、今日、お休みが取れたのが不思議なほどです」
すると奥からひなたの声がした。
「今日取らないと、今度はいつ取れるか判らないからだ――マスターご馳走さま。アイスクリームある?」
「ございますよ――コーヒーフロートになさいますか?」
「うん、お願い」
すぐさまマスターが動き、ひなたたちの皿を下げてくる、そしてコーヒーフロートを二つ拵えるとトレイを雷雅の前に置き、それに乗せた。
「お持ちになってください」
マスターは、雷雅がひなたと話したがっていると察してくれたと雷雅は思った。
雷雅がコーヒーフロートを持っていくと、
「ありがとう」
ひなたが弱々しく微笑んだ。
「うん? なんか元気ないですね」
「あぁ……さすがに疲れた」
「疲れた? 一日寝てたんじゃないの?」
「やっぱりライガ、馬鹿だな、おまえ。それともそこまで子どもなのか?」
笑いもせずにそう言うと、ストローを袋から出してコーヒーフロートに差し込んだ。
「今、煌一に何かあれば、神影家は跡取りを失う。わたしたちにはまだ子がいない」
「あ……」
ひなたが言わんとすることに気が付いた雷雅の顔が真っ赤に染まる。
「もっとも、今日一日頑張ったところで授かるとは限らない」
「って、そこまで危険なんですか?」
「影の一族は総力を挙げて煌一のことも守る。総本家の惣領息子なんだからね。でもそれは表向きだ。煌一の後釜を狙うヤツ等もいる。神影家に養子に入りたいヤツはいくらもいるんだ」
「なんだか……僕には遠い世界に見える」
「時代錯誤と言いたいんだろう?」
苦笑するひなたに雷雅はどう答えたらいいか判らない。
そんな雷雅にひなたが寄りかかった。
「ひなたさん?」
「ライガ、おまえは優しいヤツだな」
「えっ?」
「そうだ、おまえの友達はおまえを『ライ』と呼んでいた。わたしもそう呼んでいいか?」
「いや、かまいませんけど……」
「じゃあ、ライ、少しこのままでいて」
「……煌一さんに怒られますよ」
「怒るなら怒らせておけ。なに、ライに手出ししては来ない」
「……」
「ライ、ライが思っていることが正解だ」
「また、影が何かひなたさんに言いましたか?」
また影を読まれたと思ったが、不思議と腹が立たない。慣れちゃったのか?
「うん……違う家に生まれ違う男と結婚していたら、わたしはもっと幸せだったんじゃないか。わたしもそう思うことがないわけじゃない」
「うん……」
「でもね、ライ。わたしは不幸と言うわけじゃない。今でも幸せなんだ。判る?」
「いや、なんか……背負うものが重過ぎるし、旦那さんと一緒に居られる時間も少な過ぎる。なんて言うか……」
「僕はこんなに辛い思いを相手にさせたくない?」
「いや、うん、そう思ったけど、その、ひなたさんや煌一さんを責めたいわけでもないし」
「判ってるよ、ライは優しいだけだ。で、煌一もライと同じ気持ちだってことも知ってるよね」
「うん、でも、もう少し煌一さんは、なんて言うか、素っ気ない態度はどうにかしたほういいように思います」
少しだけひなたが笑った。
「煌一は人の上に立つ者として育てられた。だから人前で気を抜くのが苦手だ。わたしと二人きりだと別人のように優しい」
「そうなんですか?」
「うん、わたしを『ひなちゃん』って呼ぶ。想像できないだろう?」
「確かに……」
吹き出しそうなのを抑えた雷雅だ。ひなたに『ひなちゃん』は似合わないと思ったし、そうひなたを呼ぶときの煌一の顔を想像してしまった。
「ライガ……」
「はい、ひなたさん?」
「今ね、わたしはしみじみ思っているんだ。ライを守りたい。ライガの素直さや優しさ、純粋さが穢されることのないよう、守っていきたい」
「……?」
「近いうちにキミも闇との戦いに引き込まれる。辛い思いを何度も味わい、傷つくこともあるだろう。でも、心の中の本来のライガを忘れずにいて欲しい」
「ひなたさん?」
「ま、闇との戦いに限ったことじゃないけどね」
苦笑しながらひなたが身体を起こし、雷雅から離れた。
「そのうち恋をしたり友達との行き違いやいろんな経験をするだろう。ま、大人になっていくってことだな。それでも、なにがあっても、前を向くことを忘れるな」




