14 転校生と臨時教員
マスターが頷いて、
「先ほど雷雅さまは『僕も』と、コーヒーを催促なされました」
と、雷雅に視線を向けて言った。
「あ、ごめんなさい。ついひなたさんにつられちゃって」
言い訳する雷雅に
「いえ、あれでよいのです」
とマスターが微笑む。
「我ら影の一族は陽の一族の下僕、ご下命を拝するは喜びなのです」
「ごか、ごか?」
「命令されるってこと」
ひなたが言葉の意味を説明する。
「僕、命令したつもりなんかない」
雷雅が拗ねた口調で言った。
「それに下僕なんかいらない」
そんな雷雅にマスターが微笑む。
「誤解させるような言い方をいたしました――わたしは嬉しいのですよ。陽の一族のかたのお力になれるという事が。名誉なのです」
「まぁ、そう堅苦しく考えるな。マスターは丁寧すぎるきらいがあるが、身に沁みついてしまったものだ。許してやって欲しい」
「許すも何も――」
僕はそんなんじゃない、そう言おうとして、雷雅の言葉が止まる。そんなんじゃないってどれを差すんだろう?
陽の一族じゃないなんて、いまさら言えない。母さんだって認めたことだ。僕が知らなかっただけだ。自分が何者かさえ、僕は知らなかったんだ。それなのに、何を根拠に僕は否定しようとしているんだ? 僕は、何を根拠に、何を否定したいんだ?
雷雅の様子を窺っていたひなたが微かな笑みを浮かべる。
「別に威張り散らせとか、わたしのように偉くなれと言ってるわけじゃない」
「ひなたさんは偉いんですね!」
つい突っ込む雷雅にひなたがニッコリと笑む。
「そう、それでいい。ライガはライガのままでいいんだ。ただ、自分に能力があることを自覚して欲しい」
「自覚するだけでいいんだ?」
「うん……」
このとき見せたひなたの笑みは少し悲しそうだ。
「最初はそのつもりだった――だけど、ライガ、事態は動いている。知性を持つ闇の出現により、陽の一族の能力が必要不可欠になった。ライガ……」
だんだん笑みが消え、最後は真剣な眼差しで自分を見るひなたに、雷雅の顔も引き締まる。
「能力を自覚し、強化し、使いこなす。それをキミに求める。覚悟して欲しい」
「はい……」
「とりあえず、今すぐ闇が動くとは考えにくい。関東圏からは追い出した。この地域の防御も強化した。闇はしばらくの間、キミを襲ってこられない」
「しばらくってことは、いずれ襲ってくる?」
「それまでにこちらも態勢を整える。キミも覚醒するだろう――なに、キミは今まで通り学校に通い、表では普通に生活していればいい」
「うん」
神妙な顔の雷雅を見て、ニヤリとひなたが笑う。
「念のため、昼間はわたしの影にキミを護衛させよう」
「えっ? でも、影が単独でそこら辺をうろうろして、一般の人に見られたら拙いんじゃ?」
「キミの影に重なるから心配ない」
「また変なこと、言い出すんじゃ?」
「面白そうだけどしないよ。そんなことしたら、周囲がキミを奇怪なものと捉えるのが目に見えている。キミが日常生活を送れなくなるようなことをするのは本意じゃない。ま、わたしがキミの影に重なったって、今のキミにはきっと判らない。だから気にもならないだろうし、気にするな」
なんと答えたものか雷雅が迷っているうちに、ひなたが言った。
「で、夜はお楽しみ、わたしの個人授業だ」
「はいぃ?」
「最初は座学、そのうち実技も始めよう――楽しみだな、実技」
「実技って、なにするんですか?」
いつものようにニヤリとひなたが笑う。
「実技は実技だよ。その場になったらじっくりまったり教えてやろう」
「ひなたさんっ!」
「なんだい?」
「なんか、その、含みのある言い方、やめて貰えませんか?」
「わたしの楽しみを奪うなライガ――ま、今夜はこれでお開きにしよう。ライガ、明日学校だろ? 風呂入って歯を磨いて早く寝ろ。マスター、オヤスミ」
「ひなたさんってば!」
聞き足りない雷雅が止めるのも気にせず、ノートパソコンをぱたりと閉じると、ひなたはサッサと席を立った。追いかけるのも気が引けて雷雅が見送っていると、カウンターの奥のドアから出て行った。そんな雷雅を見てマスターが微笑む。
「お嬢さまに言うことを聞かせるには、お願いしてちゃダメです、命じなさいませ」
チラリとマスターを見て雷雅が答える。
「そんなこと……必要もないのに命令なんて、僕にはできないよ」
やれやれ……命じることに慣れていただかないと困るのですよ、心の中でマスターが呟いたとは気づくこともない雷雅だ――
翌日、快晴、いつも通り通学し、いつも通りの教室で、いつも通りのメンバー、まったくいつも通りの日常に、だけど雷雅の心はいつも通りとはいかなかったようだ。
ひなたの影がくっ付いてきていると思うと落ち着かない。仲のいいクラスメイトの小山内勇樹があれこれ話しかけてきても気もそぞろで、生返事を繰り返す。下手なことを言ったら、帰ってからひなたに揶揄われるんじゃないかとびくびくしている。
「ライガ! おまえ、聞いてないだろう?」
「え? あ、なんだったっけ?」
「だから! 城之内先生が産休に入って、代わりに来た先生が美人だって話」
「あぁ、そうなんだ?」
「しかも、でかい」
「でかい? 態度が?」
「なんだよ、それ」
呆れる勇樹の後ろから、別のクラスメイト錦城慎也が乗り出してくる。
「勇樹、その情報、確かなんだろう?」
「確かも確か、俺、この目で見たもんね」
「見たって、まさか、着替えを覗いた?」
「馬鹿かっ! 国語教師がいつ、何のために着替えるんだよ? 服の上からでも判るでかさだ」
「美人ででかいか、期待大だな。でも、年は? 若いの?」
「うわぁ、幾つだろう? 大学出てそんなに経ってない感じ」
話が漸く飲み込めた雷雅が、ひなたとどっちが美人だろうと考えている自分にドキッとし、顔が熱くなるのを感じていると
「ライちゃん、想像だけで赤くなってるよ。可愛いねぇ」
と慎也が揶揄ってくる。
後ろのほうから『男って馬鹿よね』と、ひそひそ話す女子の声が聞こえた時、担任の教師が入ってきて教室が静かになった。教師に続いてもう一人、入ってきたのは生徒だ。この高校の制服じゃないセーラー服、長く真っ直ぐな髪、パッチリとした瞳、女子だ。
「今日からのこのクラスは一人増える。転校生だ。みんな、よろしく頼むよ――山桜桃梅雪さん。ユキと書いてセツだ」
「よろしくお願いします」
可愛らしい声でそう言うと、セツは深々とお辞儀した。サラサラと、髪の流れる音が聞こえそうだ。なんだか、いい香りの風が吹いてきそうだ。
教室には男子の溜息が広がり、雷雅の胸がキュンと鳴った。




