116 償い
そうだ、僕が言いたかったのはこんなことじゃない。なのになぜだろう、涙が止められない――
「疲れてるんだよ。疲れ過ぎて神経が立ってるんだ。大丈夫、ゆっくり息をして」
耳元で聞こえる龍弥の声を、夢の中の出来事のように感じる。
「父親なんかいらない。欲しいと思ったことなんかない。今だってそうだ。その僕に聞かせる言い訳がそれか? 呆れちゃうよ、それに情けない――あんたたちは僕と同じ陽で、しかも同じ血が流れてるって? アンタたちが僕の肉親? 可笑し過ぎで笑えもしない」
「雷雅――」
流星が腰を浮かし、雷雅に触れようとする。
「触るな!」
そう叫び、流星を制したのは龍弥だった。
「父親だか、その家族だか知らないが、雷雅をアンタらに渡す気はない」
浮かした腰を元に戻し流星が、
「もちろんそんなつもりはない」
と答える。ドン! と大きな音がしたのは煌一がドアを思い切り殴ったからだ。煌一さま……マスターが窘める小さな声が聞こえた。
重い空気が広がる中、
「流星が雷雅に話した内容は、親父に虐げられていたと言う点以外、流星にとっては嘘じゃない。それだって俺にそう言えと言われて従っただけだ。だから、流星を責めないで欲しい」
沈んだ声で彗星が言った。穏やかで暖かな響きは消えている。
そんな彗星を龍弥が睨みつける。
「それで? 雷雅が言うように、雷雅か影に、恒星を殺させようとしたのか?」
「いや……いや、止めて欲しかった。でもその結果、そうなっても仕方ないとは思っていた」
「最低だな」
吐き捨てるように龍弥が言い、再び煌一がドアを殴る音が部屋に響いた。
「煌一さま、ドアが壊れてしまいそうです」
マスターが煌一を窘めるのとほぼ同時にドアが開けられ、
「ホント、建付けが悪くなったね」
と、言いながらひなたが入ってくる。
「えぇっ?」
室内に気を取られ、近づくひなたに気付かなかったのだろう。マスターが驚いて頓狂な声を上げた。
「陽彩さんは医務室で休んで貰った。影を付けてるから心配ないよ――ふふん、ちょっといない間にぐちゃぐちゃになったみたいね」
部屋の様子にひなたが苦笑する。
不思議だ。ひなたの声を聞いた途端、新しい涙が溢れてきた――それでも雷雅は顔を上げ、涙を拭った。ひなたの存在はやっぱり大きい。龍弥がくれる勇気とひなたがくれる安心感、これが揃えば僕は挫けず前を向ける……ひなたがもたらした新しい涙は、出した答えに感じた迷いが消えたことによるものだった。
「ひなたさん、遅いよ――こいつら、僕か影にヤツを始末させるつもりだったんだってさ」
「へぇ……そりゃあ随分と図々しい」
「そんなヤツ等の思惑通りになんかなりたくない」
「そりゃそうだな、ライガ」
「だから――このまま帰って貰おうと思う」
「そうか、なら帰って貰おう」
「えっ! ちょっと、それって?」
いつも通りあっけらかんとしたひなたの答え、驚いて慌てる龍弥、彗星と流星も呆気に取られて雷雅を見詰める。
「だって、このまま帰したら、また影に何か仕掛けてくるんじゃ?」
心配する龍弥、
「いや、それはない」
きっぱり言い切る雷雅、
「能力を取り上げるのか?」
ドアの方から煌一が尋ねる。
「いいえ、それもしません。言葉の通り、このまま帰って貰う」
「だが、それでは雷雅、キミの立場が……」
彗星が心配そうな顔をする。それを雷雅は無視した。
「マスター、朱方さんたちにタクシーを呼んで貰えますか? 頼めますよね?」
「え、えぇ、そりゃあもちろん」
自分に話が振られるとは思っていなかったのだろう、マスターが慌て、ちょっと呆気にとられたような顔をしたが、思いついたように廊下に出た。タクシー会社に電話するのだろう。
「陽彩さん、すぐに起こして大丈夫ですよね?」
「うん、大丈夫だろう。精神的に参っているけど、運動機能に支障があるようには見えなかった」
ひなたらしい答えが来る。
龍弥が横たわったままの恒星を見ながら、
「コイツは?」
と呟く。
「息子たちが叩き起こして連れて帰るさ」
答えたのはひなただ。
マスターが、
「タクシーは研修所の正門前に付けてくれます。十分ほどで来るそうです」
と、ドアを開けて言うのを聞くと
「そうと決まったら、さっさとお引き取り願おうか?」
ひなたが流星たちを追い立てる。
「陽彩さんに付けていた影に、正門に案内するよう言った。一階のエレベーターホールで待っている。さっと立ち去れ。ここには二度と来るな」
彗星が、『親父、親父!』と恒星を揺り起こし、ううん、と一声唸って恒星が目を開ける。だが、意識がはっきりしないようだ。
「帰るぞ、ほら、捉まって――流星、手伝ってくれ」
少し迷ったようだが、流星も恒星を立たせるのを手伝う。恒星は朦朧としたまま、二人の息子に支えられて部屋から出て行った。
三人が部屋を出てから暫くしてひなたが雷雅に言った。
「正門まで見送るか?」
答えない雷雅、龍弥が
「会いたければまた会える」
と呟けば、ひなたが
「それもそうだな」
と笑った。
治まらないのは煌一だ。
「また会える? なんで会う必要がある?」
横でマスターが『まぁまぁ』と宥めようとするのに気が付かないフリの煌一だ。
「アイツ等、アイツ……」
雷雅に触るなと言った龍弥に、『そんなつもりはない』と言ったんだ。触る気はない? 自分の息子に言う言葉か?――そう言いたかったが、雷雅の気持ちを考えると言えない煌一だった。替わりに『はぁ』息を吐き、さらに舌打ちする。
「今後の対策を練らなくちゃならないな。次はどんな手を仕掛けてくるやら……」
それをひなたがクスリと笑う。
「コーちゃん、雷雅がきっぱり、『それはない』って言ったんだ。もう仕掛けてこないよ」
「それは甘いぞ、ライガ。五十年も執念燃やしてたんだぞ? そう簡単に諦めるもんか」
煌一に雷雅が苦笑する。
「そうだね、絶対ないとは言い切れないね――でも、うん……これ以上の暴走はきっとないよ」
「なんでそう思う?」
訊いたのはひなただ。
「そうだねぇ……」
雷雅がごろりと横になった。
「陽彩さんの話から、ヤツが影を狙った原因は大奥さまじゃないって判ったからかもね」
えっ? と聞き返す煌一、ひなたは『そうだねぇ』と頷く。
横になった雷雅に龍弥が
「少し眠ってから帰るか?」
と聞くと、
「いいや。ヤツらが帰ったら、僕たちも帰ろう――その前に何か飲もうかな」
と、雷雅が答える。やっと起きているんだろう? そう思ったが言わずにいる龍弥だ。
「判った。なにがいい?」
「甘いコーヒーがいいな、微糖じゃなくって、甘々なのにして――話は帰ってからゆっくりと。あぁ、でもその前に少し眠ってもいい?」
もちろんだよ、とひなたが微笑んだ。
わたしが参りましょう、とマスターが買いに行った。龍弥は雷雅の傍にいたほうがいいと思ったのかもしれない。マスターが買ってきたのは紙パックに入ったカフェオレで、コーヒーとは名ばかりの甘い乳飲料、でもそれが随分と疲れを取ってくれたような気がする。
それなのに、雷雅の記憶はそこからは途切れ途切れだ。飲み終わった紙パックを龍弥が受け取ったその途端、急な睡魔に引き込まれた。朦朧とする中、煌一に背負われて、車に運ばれて――車の中では龍弥に凭れて眠っていた。龍弥が肩を抱いてくれていた気がする。そして、また夢を見た。
『あなたが生まれた時、晴れているのに産院の建物に雷が落ちたの。あなたの持つ能力が、生まれ出たショックで落雷を呼んだ……暁の家にはたまにあることよ。正当な後継者にだけに顕れるの。だからあなたの名前には『正当な』という意味を持つ『雅』という字を使った――雷雅、忘れないでね。あなたが起こす雷は人を助けるためのもの。人を助けるため齎された能力だという事を』
母さん……
『雷はね、地面に落ちた瞬間、天と地を繋げている。地から天に向かうこともできるという事よ』
母さん……僕、記憶と記録がごっちゃになってる。




