110 たまには微糖
雷鳴の轟とともに青白い稲妻が障壁の内側で炸裂した。壁が消えたのは衝撃からか、それとも術が解けたからか? 見守っていた龍弥が後先考えず、雷雅がいるはずの場所に駆け込む。立ち込めた煙で視界が悪い。
「ライ! ライ!?」
地に伏せるように倒れている雷雅、離れた向こうに倒れている恒星も見える。
「ライ! しっかりしろ!」
周囲に漂うキナ臭い匂い、ぶすぶすと煙をあげる下草、見あげれば立木の小枝に着いた炎が消えかけている。
「うん、大丈夫……」
雷雅が意識を取り戻し、うつろに龍弥を見上げる。
「ヤツは? 僕、雷をヤツの足元から空に向けて――」
「あ? あ……あれ、ライ、おまえ? おまえがやったのか?」
唖然と雷雅を見詰める龍弥に
「ヤツは無事? まさか、大怪我させちゃった? んっと、僕は大丈夫……」
雷雅が腕を地面について、自分の上体を支える。
「うん、待って、見てくる」
雷雅から離れがたい龍弥が、それでも恒星のもとに向かう。
「おい! しっかりしろ――ライガ、大丈夫だ、気を失ってるだけだと思う。息もしてるし脈もある」
テニスコートのほうからバラバラと近づく足音、
「ひなた、急げ!」
煌一の声が聞こえた。
何があったんだ? 雷雅に詰め寄る煌一をマスターが『今は静かに』と諫める。追いついてきたひなたが雷雅をチラリと見て、恒星のもとに走る。ひなたと入れ違いに龍弥が雷雅の元に戻り、
「ライが稲妻を起こした」
静かに、まるで夢の中のように言った。えっ? と龍弥を見て煌一が黙る。
「大丈夫、多分、すぐ回復する」
恒星の胸に手を当てながら、ひなたが大声を出す。『多分なのかよ?』煌一が苦笑した。
迷うようにマスターが
「救急車を呼んだほうがいいですかねぇ……」
と、呟く。
「いや、ひなたが大丈夫だと言った。緊急性はない――フン、妻と息子が来たぞ。あとは向こうに任せればいい……ライガ、立てるか?」
いつかのように龍弥の手助けで煌一に負ぶられた。朱方が駆け込んできて『わたしが』と煌一から雷雅を受け取ろうとするが、煌一はそれを無視し、
「とりあえず、会議場に戻る――あんたは自分の親の面倒を見たらどうだ?」
と言った。朱方は煌一の厭味に反論することもなく、残念そうに恒星の元へ行った。母親と、一人きりの兄と合流したとも言える。
周囲には避難していた炎影・月影も集まってきている。雷雅の命令による行動制限は、雷雅の失神によって解除されたようだ。
「ライガ……」
煌一に負ぶられて揺れる雷雅を覗き込むひなたに、雷雅はそっと微笑んだ。ひなたの後ろには、集まってくる大勢の影を近寄らせまいとする龍弥の姿も見える。反対側からは、龍弥と同じように、だけどちょっと乱暴な龍弥と違って馬鹿丁寧な言葉づかいで影を追い払うマスターの声が聞こえる。よかった、みんな無事だ――安心して雷雅が目を閉じる。こないだは気が付かなかったけど、煌一さんって結構がっしりしてるんだなぁ……
次に雷雅が目を覚ましたのは白いベッドの上だった。
「病院?」
慌てて起きあがろうとすると、傍に座っていたひなたが『起きてもいいけどゆっくりだ』と、立ち上がる。
「ここ、どこ? 僕、どれくらい寝てた?」
ひなたに手助けして貰って上体を起こしながら雷雅が問う。
「研修所の医務室。三十分ってところだな」
「みんなは?」
「会議場を片付けてる――ガラスが粉々になってたし、椅子も机もいくつか壊れた。片付けが終われば会議の続きだ、呼びに来る」
「うん――ヤツは?」
「三階の寮。空室を提供した。朱方兄弟と陽彩さんが付いてる。言葉は悪いが監視にマスターが付いた。困ったことがあったら手助けすることになってる」
「ヤツの様子は?」
「心配ないよ」
ひなたが微笑む。
「しばらく好きには動けない程度。ゆっくり休養すれば元に戻る。ま、ライガが行くまでは寮にいて貰うことになってる」
「うん……」
考え込む雷雅にひなたが問う。
「痛むところはないか?」
「今更かよ?」
つい笑った雷雅に
「起きたと思ったら矢継ぎ早の質問だ、訊きたくても訊けなかった――打ち身くらいしてそうだけど?」
ひなたが真面目に答えた。
「うーーん……大丈夫みたい」
ひなたが差し出してきたペットボトルはお茶だった。
「コーヒーないの? 缶でもいいんだけど?」
「贅沢なヤツだ――龍弥に頼んだ。自販機で買ってくるってさ」
龍弥と意識内で通信したのだろう。
ほどなく部屋に来た龍弥が持ってきた缶コーヒーは微糖だった。雷雅はいつもブラックだ。それは龍弥も知っている。
「たまには甘いのもいいかと思ってさ」
と、龍弥が笑う。
「さすがにおやつまで用意してこなかったからな――エネルギー補給するのが一番なんだけど」
「お弁当は持参したけどピクニックじゃないからね」
「だね。帰ったらマスターに飛び切り美味しいスイーツ作って貰おうな」
横からひなたが
「帰りにケーキを買って帰ろう、一人三個は食べそうだ」
と笑う。
「そうだね、マスターもきっと疲れてる――俺はフルーツタルトがいいや」
いつか学友たちが龍弥の見舞いにくれたケーキはどこの店で買ったんだろう? なんだかすごく昔に感じる。僕は、自分じゃ気が付かないうちに齢を取ったんじゃないのかな? そんなことを思う雷雅の耳に、近づいてくる足音が届く。
議場の準備が整ったんだ。影たちに、今日の出来事を説明しなくちゃいけない。自分を落ち着かせようと目を閉じる雷雅だ。
知らせに来たのは煌一だった。意識送信ではなく自ら足を運んだのは、雷雅を負ぶっていくつもりだったからだ。が、人前で子どもみたいに負ぶられるなんてイヤだ。拒む雷雅に無理強いしようとして、煌一がひなたに怒られる。
「本当に大丈夫なのか? 稲妻を扱う陽なんて聞いたことないし、だいたい、かなりエネルギーを使ったはずだ。今日はダメかもしれないって、炎影や月影には言ってある。無理しなくていいんだぞ?」
煌一はいつになく優しい。本当は優しいんだよ、ひなたの言った通りだ。
「ううん、僕がみんなに説明したいんだ。それに大丈夫、思ったよりもしゃきっとしてる」
それにそのあと、恒星とも話がしたい。どちらが先か迷ったけれど、影たちを説得してからでなければ、焔の三人と朱方をここから出すのは危険だ。特に恒星は物だけでなく、人にも手を掛けた。
「ねぇ、煌一さん――」
コーヒーを飲み終わるのを待っている煌一に雷雅が話しかける。
「うん?」
「ヤツは人を殺している――警察に突き出す?」
ん、と煌一が顔を顰める。
「そうだな。本来ならな――だが、放火も殺傷も、その方法を説明できない。悩ましいところだな」
「ねぇ。影が罪人を抹殺するって言うのもあるの?」
「ないでもない。事故死や病死に見せかけるけどね」
「そっか……」
急にコーヒーが苦くなる。
どちらにしろ、影に黙っておくわけにはいかない。そんなの無理だ。真相を明らかにしなくちゃいけない――雷雅はグッと缶コーヒーを飲み干した。




