106 陽の本流
ざわついていた炎影・月影がぴたりと鎮まり、替わりに神影のあたりから、ガタガタと音がした。侵入者を取り囲むか、煌一を守るためか、影たちが立ち上がった勢いで椅子を倒した音だ……どうする? と聞きたげに覗き込んでくる龍弥に、軽く首を振る。まだだ、待て――朱方は緊張のあまりか、蒼白な顔で隣の様子に神経を尖らせている。
遠く議長席の方向で、誰かが立ち上がった。ゆっくりと、椅子を引いたようだ、カタンと微かな音にとどまっている。
「お見受けするところ、陽と影、両方の資質をお持ちのようです。そんなかたがなぜ影の会議に、しかも神影流に紛れていらっしゃるんですか?」
ひなたの声だ。
そう言えば、シャドウ・ビジネスの権利者の発言は重要視されると言っていた。議長席に座らされているところを見ると別格という事か。
「ひなたさま、両方を併せ持つとは?」
この声も議長席の方向から聞こえる。三人のシャドウ・ビジネスの権利者の一人かもしれない。ひなたの声の方向が変わったのは、質問者に向き直ったからだろう。
「たぶん、焔……ほむらと呼ばれる者でしょう」
焔と聞いて、一部から悲鳴が上がる。どこかで小さく『なぜ化け物が?』と呟く声も聞こえた。陽が化けた、という意味か?
フン、と神影流が集まっていた辺りから嘲笑が聞こえた。
「小生意気な――おまえが神影ひなたか? 大した能力もない割に向こう見ずな」
雷雅に向かって朱方が頷いた。声の主は恒星で間違いない。
「俺が焔と知っているなら、温和しく従ったほうが身のためだと判るだろうに……神影の女の撥ねっ返りは相変わらずなのだな」
「誰が焔に従うと? 影は陽に従い、陽を守るものです。陽を捨てた焔は影を捨てたも同じ、信じられるものじゃない。従うはずないじゃないですか」
「小賢しい!」
恒星の怒りにひなたが火を点けた。雷雅が立ち上がり身構えれば、龍弥と朱方もそれに従う。龍弥がドアノブに手をかけ、合図を待っている。どのタイミングで中に踏み込む?
「炎影よ、月影よ。神影を痛めつけろ!」
恒星の号令に、動揺と従順が広がる。
「炎影、動くな!」
「動いてはいけない!」
男の声、女の声、彗星と陽彩が恒星の命令を打ち消す。
「なに!?」
驚く恒星、
「アキラ! 俺を裏切ったか!」
と叫ぶと同時に、炎影のあたりで爆発音が起こった。絶叫が火影で起こり、
「アキラ!」
月影の中で陽彩が息子の名を叫ぶ。
「大丈夫、アキラさんは気を失っているだけです!」
炎影の誰かが照晃に報告した。
「他は全員回避し、怪我人はいません」
月影のあたりからは静流の困惑した声、
「何が起きてるんだ? ヒイロさん!」
そこから遠ざかる気配は炎影に向かっている。陽彩が彗星に駆け寄ったと推測するのが妥当だ。
朱方が青い顔で雷雅を見詰める。まだか?……雷雅は朱方にも龍弥にも注意を向けず、ただひたすら議場の気配を窺っている。
「話が違う!」
叫び声は照晃だ。それに対して
「影は俺に従え!」
と、恒星の怒号が響く。
「俺に従っていれば間違いない、俺は焔だ」
「神影を排除すれば、影の体制を一新できる。俺はそう訊いた。だからアキラと手を携えた。だいたい、おまえなんか知らない!」
「誰かではなく焔だという事が重要なのだ、炎影照晃――神影を潰せ、照晃。邪魔をするなら月影も潰せ。神影を潰せば、おまえの思い通りの影を作り上げることができる。焔は惜しまず協力するぞ」
「騙されるな!」
静流が叫ぶ。その声の源付近で、先ほどよりは小さな爆発が起きた。
「静流さま!」
月影の影たちの叫び、
「大丈夫、かすり傷だ」
応える静流の声は、息が上がっているし場所が違う。飛んで回避した、きっとそうだ。
神影本家から庭を抜けていこうとしたときのことを思い出す。竹垣を木っ端みじんに破壊した、あの閃光を恒星は使っている――
「月影、従うチャンスを与えるため、手加減したと判っているな? 炎影、覚悟を決めろ――どのみち焔に従わずにどうする? 影の使命だろうが?」
グッと照晃が息を飲み、周囲の影たちが迷い顔で指示を待っている。
月影ではいきり立つ静流を宥めようと周囲の影が動いているのが判る。『月影は事を起こすのを嫌います』、そんな声を静流が一蹴する――馬鹿言うな! 影の誇りを忘れたのか、あんなヤツに従うもんか!
「判った――」
照晃が覚悟を決めた。
「炎影は……」
「炎影は?」
舌なめずりしていそうな恒星の声、照晃がグッと気合を入れたのが伝わってくる。
「炎影はあんたなんかに従わない!」
隠れ部屋で雷雅が頷く。
「はぁあっ!?」
期待にも予測にも反した照晃の答えに恒星が怒声をあげる。
龍弥がバン! とドアを開け放つ。同時に、
「目に物を見せてやる!」
恒星の声が部屋に響く。振りかざした恒星の腕が振り落とされる。
「影盾! 光を飲み込め!」
雷雅の声の方が僅かに先か、照晃の前に影の障壁が出現し、恒星が放った閃光が吸収される。
「なにぃ?」
茫然とする恒星、照晃は真っ青な顔で立ち尽くしている。周囲も照晃同様蒼褪め、ガタガタと震えている。中には腰を抜かした者もいる。
驚愕と同時に恒星が議場後方をキッと睨みつけ、反射的に影たちも一斉に雷雅を見、後ろに控える龍弥を見る。さらに後ろにいる朱方を見て首を傾げる者もいる。
「流星、おまえ――」
朱方の姿がさらに恒星の怒りを煽る。
議場を見渡すと雷雅から見て、左奥に月影、右手前に炎影、右中央付近に恒星、神影は奥正面に移動し、議長席を守っている。ドアは左側、雷雅たちにとって有利だ。
「おまえは誰だ?」
恒星が、雷雅を睨みつける。
「おまえが雷雅か?」
「あぁ」
雷雅が応える。
「陽の一族の本流、暁の血を受け継ぐ者だ」
さざ波のような揺らぎが炎影と月影に沸き起こる。
「早紀の息子か……」
無遠慮に雷雅をじろじろと見る恒星、それを無視した雷雅の声が、広い部屋にこだまする。
「影に命じる! 予め指名された者以外はこの部屋から出て安全を確保しろ」
恒星が、少しだけ怯んだように雷雅には見えた。
「出るな! こんな子どもに従ってどうする? 影よ、その小僧を捕らえろ!」
炎影・月影が混乱する中、真輝の先導で神影が議長席にいたメンバーを護衛して廊下に退避する。
マスターが左中央のドアを開放して、
「月影の皆さんはこちらへ!」
と、誘導を始める。月影たちが、退場するのを嫌がる静流を引っ張って出ていく。
「僕がアイツをヤってやる!」
廊下をさらに遠ざかる静流の声、『静かにしろ』と静流に命じれば隙が生まれる。雷雅は黙って恒星を睨み続けた。
後部ドア……雷雅たちが隠れていた部屋に通じるドアは龍弥が開放したままになっている。
「炎影流には、このドアから予備室を通って、議場から出て貰う」
そう言ったのは龍弥だ。炎影もそう簡単に出そうもない。焔の持つ陽の能力による束縛が解除しきれていないのかもしれない。中でも照晃は自分の意思で退場を拒んでいる。ここで退けば神影に後れを取ることになる――
「手間を掛けさせるな!」
龍弥の影が照晃を影ごと包み込み、部屋の外へと連れ出そうとする。照晃の周囲は龍弥の能力の強さに唖然とし、見守るしかないようだ。影は基本的に、自分より能力の強い者に逆らわない――
「判った! 放せ、自分で出て行く」
拘束を解かれた照晃がそそくさと後部ドアに向かう。龍弥(本体のほう)の横を通り抜けるとき、
「おまえ……ただの狩人なのか?」
と呟き、答えない龍弥に舌打ちした。
「俺は神影の、こんな若い狩人にさえ、及ばないという事か……」
照晃の呟きは、捨て台詞ではなかった。
影たちが立ち去る中、恒星は怒鳴り散らし、命じ、いくつもの閃光を迸らせた。怒鳴り声と命令は無視され、閃光はことごとく雷雅に消された。
やがてすべてのドアが閉ざされる。残ったのは恒星、気を失したままの彗星、彗星に寄り添う陽彩、雷雅の後ろに控える流星、そして――
雷雅と雷雅の影たちだった。




