100 置土産
ふぅ、と深く息を吐いた後、
「あは、なんか凄く人気者になった気分」
と雷雅が冗談を口にする。朱方も戻っているようで、そっと自分の頬を撫でながら雷雅を見ていた。
「ライ――」
首に抱き着く龍弥の背をポンポンと叩き、
「心配させた、ごめんね」
と雷雅が言えば、うんうんと頷くだけで何も言えない龍弥だ。龍弥の背に回したのとは別の手で、雷雅が自分の頬を拭った。
何か聞きたそうな煌一をひなたが抑える。雷雅が顔を上げ、朱方に向き合った。
「これで連絡方法は決まりましたね。そのリングを外さずにいてください――僕はどうするかな。小さいんだよね」
握りしめていたリング――今は掌に乗せている母の形見の指輪を、穏やかな眼差しで雷雅が見た。あんなに熱かったリングは役目を終えたからか、普通の温度しか感じない。
朱方に対する雷雅の態度が緩やかなものに、大きく変わっているのを影たちは感じている。いったい何が雷雅を変えた? 雷雅が話し出すのを待っている。落ち着きを取り戻した龍弥が雷雅を放し、照れくさそうに手の甲で顔を擦った。
「まぁ、それは後で考えて、間に合うようにしておくんで――」
チラリと雷雅が時計を見、
「もう夜になってしまった……明日、七時に来ていただけますか? 朝食を用意して待っています。それまでに何か緊急事態があれば、すぐ連絡してください。眠っていたら起こしてください。きっとできますよね?」
「うん、判った。何度も兄を叩き起こしたことがある。できると思うよ。キミも、何かあれば何時でも……それと、もしイヤでなかったら、これを使ってリングを首にかけるといい」
朱方が自分のしていたペンダントを外してテーブルに置く。
「それじゃあ、今日はこれで」
立ち上がり、煌一、ひなた、龍弥と順に会釈し、カウンターの奥にいるマスターにも会釈した。マスターに、
「お待ちしております」
と見送られ、朱方がドアに手をかける。
「ありがとう――」
不意に店に響く雷雅の声、雷雅が赤くなる。言うか言うまいか迷った末に、ドアを出たら言えないと、慌てて思い切った。必要以上に大きな声が恥ずかしい。いや、自分の言葉が恥ずかしかったのか?
ドアに手を掛けたまま朱方が振り返る。明らかに驚いている。朱方は雷雅の顔を見たいようだったが、雷雅は朱方を見なかった。
「ありがとう」
見てくれない雷雅に微笑んでそう言うと、ドアを押して朱方は帰っていく。ドアベルがチリンと寂し気に音を立てた。
マスターがクリームソーダ三つとアイスコーヒーを持ってきて、黙ってそれを置いていく。アイスコーヒーは煌一で、雷雅を含む三人がクリームソーダだ。今日は綺麗なピンク色のチェリーが乗っていた。
誰も何も言わない。雷雅がクリームソーダを一気に平らげるのを、呆気に取られて見守っているだけだ。マスターはカウンターできっと聞き耳を立てている。
「ご馳走さま、マスター。追加でアイスコーヒーお願いします」
なんだか凄く咽喉が渇いた……呟く雷雅に、すぐお持ちしますと慌ててマスターが答えた。ひなたが薄く笑って、自分のクリームソーダに差し込まれた長いスプーンに手を伸ばし、少し融けたクリームを掬って口に運ぶ。龍弥がストローを咥えソーダ水を吸い込み、煌一は手にしたガムシロップを取り落とす。
マスターがアイスコーヒーを持ってくると、雷雅がマスターに微笑む。
「マスターはこれから晩ご飯作りだよね――話は食事が終わってからにしよう。マスターにも聞いて欲しい」
「急いでご用意いたします」
マスターが駆け込むようにカウンターに戻った。
クリームソーダを飲み終わったひなたが、ん? とテーブルに注目する。
「ライガ、そのペンダント、中に物を入れられるようになってる」
「えっ?」
朱方が置いていったペンダントだ。
「なるほどね、ここにリングを入れとけって事か」
アイツが触ったものには触れたくないと思っていたことを、きれいさっぱり忘れた雷雅がペンダントを手に取ってヘッドを眺める。
「入るかな?」
「試してみたら?」
ひなたの好奇心に輝く目、煌一は全く興味がないようだ。龍弥が地味なデザインだと呟く。見た感じ材質はシルバー、楕円形で、表にはアラベスク風の彫刻が施されているが、窪みが黒いのはきっと変色したのだろう。
ヘッドを弄っていた雷雅が、情けなさそうにひなたに問う。
「どうやって開ければいいの?」
「うん? どこかに出っ張りかヘッ込みがない? 厚みを二つに割るように開けるんだよ」
ニッコリとひなたが答える。アクセサリーには興味も縁もなかった雷雅だ。
「うん……あ、開いた――」
中側を見た雷雅の動きが止まる。龍弥が覗き込んで、すぐに視線を雷雅に向けた。
「リング、入らなかったらチェーンに通してもいいんじゃ?」
「そう、だね。そうする」
パチンと雷雅がペンダントヘッドを閉めた。
引き輪の開け方をひなたに教えて貰った雷雅が、リングを通したペンダントを首にかけて服の中にヘッドを落とす。カレーの匂いがし始めたね、と龍弥が誰ともなしに言った――
ズッキーニを口に運びながら雷雅が笑う。
「こんなに美味しいのに食べられないんだ?」
相手はひなただ。
「ライガ、食べられないものないの?」
「何かあったかな……あ、そう、ゴーヤは無理。あれ、苦すぎだよ」
「ゴーヤか……ピーマンだめな龍弥はゴーヤもダメそうだな」
横から煌一がそう言って笑う。
それを龍弥が、
「アイスクリームやカキ氷が食べられない人に言われたくない」
と応戦し、煌一が目を丸くする。
「いいぞ、タツヤ、もっと言ってやれ」
煽り立てるひなた、龍弥も言うようになったな、と煌一が苦笑し、
「若い方は日々成長なさいますから」
とマスターも笑った。
「たしかに……一番若いライガの成長は目覚ましいばかりだ」
ゆったりとひなたが微笑んだ。
デザートはパフェで我慢なさってください、とマスターがひなたに言った。そういえば今日はまだ、ひなたはパフェを食べていない。マスターは疲れたと言っていた。デザートを作り、さらにパフェを作るのが辛かったのかもしれない。だったらチョコバナナがいいな……ひなたが甘えるように言った。
ひなたと雷雅、龍弥がパフェを食べ始めると、煌一は喫煙ブースに向かい、マスターは洗い物を始めた。食べ終わったら俺と雷雅がやるから置いといてよ、と龍弥が声をかけたが、『今夜は楽をさせて貰ったので、洗い物も少ないんです。気にせずゆっくり召し上がってください』とマスターは聞き入れない。
マスターが気になって落ち着かなくなった龍弥を、パフェをじっくり味わわない不届き者め! と、ひなたが睨みつけた。そしてこっそり、マスターはね、疲れてたって何かしていたいんだよ、と耳打ちした。
パフェを食べ終わった頃には洗い物も終わっていて、龍弥がマスターを『あとは俺と雷雅に任せて』とカウンターから追い出した。ひなたは奥のステンドグラス風のコーナーに戻っていて、マスターも渋々そこへ向かう。煌一も戻ったところに、龍弥と雷雅がコーヒーを入れたマグカップとお替り用のコーヒーを入れたサーバーを運んでくる。ポテトチップスの大袋とそれを入れるための皿もある。
さて、とコーヒーを一口啜ってから、雷雅が言った。
「これで落ち着いて話ができる。さっき僕が見てきた話と、明日の行動の確認、サッサと済まして明日に備えよう」
龍弥が皿にポテトチップスをあけた。




