十
『妙月さん、あのっ』
櫻華は振り返った。常と変わらず無言で、その口に言葉を発せず。何事もなかったかのように、ただ自然に。
『あの……』
そのいつも通りの反応に、巴は言葉が詰まった。
魔との戦いの後――普通に教室へと戻っていく櫻華を巴は呼び止めた。
『ありがとう……助けてくれて』
お礼を言い、なおも何かを言おうとするが言葉が続かない。
謝るのもおかしい。神楽の言う通りだとは思っていない……思っていないはずだ。
櫻華のことを自分より下だと思ったことなどない。
(……じゃあ、私は今何を言おうとしてるの?)
自分に問いかける。心が定まらず、乱れた気持ちのまま焦燥だけが募っていく。
(焦燥?)
なんで焦燥? それではまるで……まるで……
(言い訳を……探しているみたいじゃない……)
『うん』
『っ!?』
櫻華から短く返事を返され、巴は息を呑んで身体を硬直させた。自分の心を見透かされ、それに対して頷かれたかと思ったからだ。
――だが、返事を返した後、すぐに背を向けて歩き出した櫻華に、巴は自分が勘違いしていたことに気付く。櫻華はお礼を言った事に対して返事をしたのだ。そして、それだけの会話で終わらせ、すぐに歩き出した。他に他意はない。
その後ろ姿を見つめながら、巴はなおも何かを言おうと考え続けていた。
答えがでないまま、ただ立ち尽くして。
そして、それから数日――巴は櫻華とは話をしていなかった。
人の居なくなった静かな教室。巴は夕の紅色に染まる教室に入り教壇を横切り、窓側の奥の席へと歩いていく。
魔の騒動があった後、櫻華の環境がどう変わったのかは知っていた。周りがどういう感情を持っているかも。もう話すべきではない、と思っている。お礼を伝えた、それだけで十分なはずだ。
「識さん」
……櫻華と話すべきではない。そう分かっていながら巴は神楽へと呼びかけた。




