十
「先生!」
巴は無意識の内に叫んでいた。
「一旦退きましょう! 戦える人で態勢を立て直して――!!」
「逃げることはなかろう」
構えをとき後ろへ退こうとした巴に神楽が一言いった。
絶叫と混乱、そして、無音と死臭のその狭間で、神楽の声は何故かはっきりと響いていく。
「ここは、魔と戦うためにある学舎だろう。お前は何を学んできた?」
嘲笑う。まるで、自分の心を見透かしているように。
「でも……でもっ! だから、戦える人でっ!」
「退いて、数が集まれば戦えるのか?」
神楽の声に言葉が詰まる。そして、同時に退こうとしていた巴の身体の動きも止まった。
「四埜宮さんっ!」
その時、芹奈の声が響いた。
(――ぇ――)
オオオォオオオォオオオォォォ――――
身体が固まり、思考もなにもかもが無くなった。
距離があったはずだった。気配を感じていたはずだった。視界にも入れていたはずだった。しかし、音も無く目の前には鎧武者が居た。
「――――」
息が詰まり、音も聞こえなくなる。
全身の力が抜け落ちる中、鎧武者はゆっくりと太刀を振り上げた。
「四埜宮さんっ!!」
芹奈が再び叫ぶが、巴には聞こえていなかった。
無音の中、全てがゆっくりと動いていく。
――サァ――
死者の冷たさとはまるで反する花一片。鮮やかに華やかに舞う桜一つ。
薄紅の小さな桜の花弁が、巴の目の前を通り過ぎた。
神楽が笑みを浮かべ、芹奈は息を詰まらせる。
桜の花弁の後には一人の少女が――静かに、自然に、何の曇りもなく、後ろで結んだ黒髪を風に揺らしながら、自分と鎧武者の間に立っていた。
何が起こったのか理解できなかった。それが誰なのかも、何をしようとしているのかも巴には分からない。
オオオオオオオォオオォオォ――――
だが、鎧武者は何の躊躇もなく、新たに現れた標的に向かって刀を振り下ろした。それに対して、黒髪の少女――櫻華は無言のまま静かに左手を上げた。ただ、それだけだった。
正気の沙汰ではない。少女の小さな手が巨大な刀を受け止められるはずがなかった。なんの苦もなく、斬り裂かれるだろう。それが頭によぎった時、巴は全てを理解した。
「妙月さん逃げ――!!」
サァァァ――――
刹那、櫻華の寸前まで来ていた太刀は、鎧武者の右腕もろとも桜花と化した。
「っ!?」
その光景に、巴は目を見開く。
そんな巴を気にすることなく、風に舞う桜の花弁に包まれながら櫻華はその時初めて鎧武者へと視線を向けた。




