十五
一言もなく、こちらに静かに瞳を向ける櫻華。最初に会った時から寸時も変わらない。
澄んだ瞳。澄みすぎた瞳。澄みすぎている瞳。一点の曇りも無く空のように――もしくは、虚無のように。
そういえば、と思う。選んだわけではなかったが会った日は清明だった。
清浄明潔――清らかで汚れのないという意味ではまさにそうだろう。とはいえ、
(澄みすぎている水には魚はすめないものだが)
だから、周りと交われなかった。周りに人が居ることができなかった。
だから、独りとなり、そして――穢れることなく、ますます澄み渡った。
そんな櫻華の姿に満足しつつ、答えを求めていない気軽さで神楽は質問した。
「何故、力を隠す?」
唐突な質問だった。もし、この会話ともいえない神楽の言葉を横から聞いている者がいたら、訳が分からなかっただろう。
いや実際、この珍しい二人が話していることに注目されているのは気づいている。近づいては来なくとも、聞き耳を立てている者もいるに違いない。何より、セーラー服という決まりを破り、自らの好きな服装で登校している神楽は転入初日よりもその注目は増していた。我侭を通しているわけでもなく周りに何かをいう事もいわれることもない。自然な振る舞いで何事も成し得てしまう奔放な存在に、尊敬や好意、憧れを持つ者も多くなっている。
そのような神楽が、孤高というより存在そのものが希薄、ただ真面目なだけの櫻華に話しかけているのは、珍しいを通り越して理解ができないことだった。
しかし、そんな好奇の目を気にすることなく、神楽も櫻華も常と変わらず自然でいた。そう、櫻華は突然な質問にも驚いてはいなかった。神楽自身もこの言葉だけで十分意味が通じる事を知っていたし、櫻華が理解してくれることも承知している。なので、続けて問いかけた。
「お前なら、あの……名はなんといったか。学生会長だったか、そんな人間にも成れるだろう。それを何故せぬ?」
この言葉の意味も分かってくれるだろう。神楽は別に学生会長に成れとは言っていなかった。力を出せば、周りから持てはやされるだけの人間には成れるだろうと言っていた。
櫻華は神楽の後に暫く考え、
「……別に隠していない」
控えめに鳴る鈴のような響き。だが、小さくともよく通る静かな声で櫻華は一言そういった。
「そうか。では言い方を変えよう――何故、力を出さない?」
続けての神楽の問いかけに、櫻華は初めて少しだけ迷いの色を見せた。だが、それは話すのを迷っているわけではない。純粋に考え込んでしまったのだ。
――そして、考えること一時。櫻華は神楽に視線を合わせ、口を開いた。
「出すところじゃないから」
「……ふっ」
櫻華の答えに神楽は噴出すと、そのまま大声を上げて笑った。
「はははははっ! そうか、そうだな」
ひとしきり愉快そうに笑った後、神楽は本に被せていた手を戻した。
認められたとて、だろう。ここで一番になったとて、如何ほどだというのだ。櫻華にとっては邪魔でしかない。こちらが察してやるべきだった。櫻華は遥か先を見つめている。
「許せ、わしが悪かった。聞くまでもないことを聞いたな。あの学生会長などを出すこと事態がお前に対して失礼だった」
櫻華の視線の先、その瞳に何が映っているのかが気になったが――それは、また今度にしよう。
楽しみを早々に亡くしてしまうのは勿体無い。何より、性急なのは興に欠ける。ゆるりと見てみよう。
(何より、桜はゆるりと見るものだ)
立ち上がり、親しみを込めて名を呼び、神楽は話を終わらせた。
「櫻華、また話そう」
櫻華の返事はない。否定も肯定もない。だが、神楽はそれが櫻華の返事だと解釈し立ち去った。




