八
「櫻華殿っ!」
血を流す櫻華に善現は助けに入ろうと足を踏み出すが、それは神楽の視線によって阻まれる。
「っ…………」
奥歯を噛みしめ、蒼の装束を翻し構えを取る。本来なら、善現はこれほど心を乱されるような者ではない。穏やかなこの竜族の軍将は、どんな戦場であっても、その心を乱すことはなかった。
だが、目の前の笑う神楽と対すると……恐怖ではない。恐怖ではないが、不安が募った。
八部衆であるにも関わらず魔と共に在り、散華の術者を襲わせ――そして、尚、人や八部衆など関係がないようにただこの世を乱世にしようとしている。その狂気に、得も言われぬ不安が襲ってきていた。
「どけっ、緊那羅の娘っ!」
阿楼那が術を放ち、水の矢が神楽に降り注ぐ。だが、その矢は神楽の腕の一振りで全てかき消えた。竜は水、そして、緊那羅は音、つまり、空気を操る。いや、操るといっていいのか――水の術を身に纏わせ、水滴を矢と放ちながら阿楼那は神楽の懐に入ろうと駆け出した。
「ははっ!」
だが、神楽は腕を振り抜き――その衝撃だけで水の矢を消し阿楼那の動きを止める。神楽の力はあまりに単純だ。太鼓を叩くように空気に打撃を与え、その圧を放っている。緊那羅の力があればこその技だが……
(……これほど)
竜王の第一軍将としての自負はあった。他の八部衆の族長にも負けることはないと思っていた。しかし、これほど差があるとは考えてもいなかった。いや、神楽という緊那羅の少女が特別なだけなのか――
(だからといって)
退くことはない。散華と共に在ると誓ったのであれば。
「――阿楼那さん」
静かな善現の声に、阿楼那は視線だけで応える。戦いの役割は瞬時に悟っていた。だからこそ、阿楼那が神楽の力を善現に見せていたのだ。強い力に力で対抗することはしない。勝つことは必ずしも力でねじ伏せることではない。
だが、見透かしているように神楽は嘲った。
「はっ、面白くないな。竜の族もそんなものか」
「――水陣」
応えず、善現は言の葉を紡ぐ。瞬間、周囲に水が溢れた。水は地に染み込むことなく、透き通ったまま一面に広がり互いの足首まで溜まっていく。
神楽はつまらなそうに足下を見つめた。水を敷き詰めたのはこちらの動きを鈍らせる為だろう。地に圧をぶつけても、これでは少し水が退くだけで完全に無くすことはできない。更に、水面によって竜族は攻撃も防御もしやすくなる。成程、水陣とはよくいったもの……




