終わりへの旅路
「なぜ、式で自然が表されるのだろうか?」
風間はコーヒーに口をつけかけ、机に置いた。
ペンを回す指が止まる。黒板の白亜の線が、自分を見下ろしている気がした。
F=ma
E=mc^2
シュレーディンガー方程式
マクスウェルの方程式群
これらが全てなぜ成り立つのか、誰も答えられないのだ。
「現象を記述できるからだ」と言う者がいる。
「対称性から導かれる」と言う者もいる。
だが、風間の胸の奥で、黒い声がつぶやく。
——なぜ、この世界は式で書けるようにできているのだ?
その問いは、彼を夜中の研究室から連れ出した。
アラスカの氷原でオーロラを見上げ、アイスランドで火山の赤を見つめ、砂漠で星を仰ぎ、インドの寺院で祈る人々の隣でただ目を閉じる。
彼は地球を歩き、地質と気象、光と熱の流れを計測し続けた。
式はあらゆる場所で成り立つ。北極でも赤道でも、何光年離れた恒星でも。
“どこでも”式は同じように動く。
なぜだ?
夜のチベット高原で息を吐いたとき、風が砂をさらった。
その動きが微分方程式で表せることを、風間は知っていた。
(誰が決めた?)
次の瞬間、頭の奥に、数式が流れ込むような感覚があった。
それは式ではなかった。
色、音、質感、匂い。
それらがひとつの構造体をなし、そして“式”という形で知覚できるようになっている。
世界が、式でできているのではなく、
式で表せるように、“設計”されている。
脳裏に浮かぶのは、量子重力理論が求める最後の式ではない。
重力でも電磁気力でもなく、
**「可視化可能な法則性で記述できること自体」**が、この世界の根幹に埋め込まれているのだ。
そのとき風間は理解した。
この世界は、作られた世界なのだ。
人類が生まれる以前から、光が走り、粒子が踊り、星が生まれるときから、
数式が通じるように“仕組まれた”舞台だったのだ。
それは神の手か、別の文明か、あるいは異なる次元の存在か。
それはわからない。
ただ、雪の上で風間は膝をつき、白い息を吐いた。
「そうか……」
数式を書き続けていた理由がわかった。
彼が物理学に惹かれ続けた理由がわかった。
それは世界の設計図を探し続ける旅だったのだ。
そして今、彼は旅の終わりを迎え、旅の始まりに立った。
——この世界が作られた世界であるならば、作った者の手に届くところまで行くことができるのではないか?
風が雪を舞い上げる。
朝日が地平線を赤く照らす。
風間は立ち上がると、ノートを開き、最初のページに書き込んだ。
「なぜ数式が成り立つのか?」
そして、その下にもう一行。
「数式の外側を探す。」
ペンを置き、彼は笑った。
再び旅が始まる。
この世界が数式で描かれる理由を探す旅ではなく、
数式で描かれた世界の向こう側を探す旅を。
コーヒーの香りを思い出しながら、
風間は雪原を歩き始めた。
⸻
その様子を、世界の外から、
無数の光の帯をまとった“何か”が、静かに見つめていた。
無限に近い次元の流れの中で、
その“何か”は風間の姿を、小さな光点のように認識していた。
彼らは“世界の内側”で生まれ、学び、数式を知り、そして疑問を持つ。
それが極めて稀に、“外側”に手を伸ばし始める者が現れる。
興味深い、と“何か”は思った。
計算結果の中に現れたわずかな誤差のようなその存在が、
果たしてどこまで辿り着くのか。
“何か”は、視線を逸らさず、静かにその歩みを見守っていた。