第一章 発見と啓示
第一章 発見と啓示
一
「愛する人を大切にしなさい」
それが、西園寺弘の最後の言葉であった。
西園寺弘は、新潟県新潟市中央区に住む中学二年生、西園寺美月と詩月の祖父である。弘は享年七十歳。死因は胃癌であった。胃癌の中でもタチの悪いスキルス胃癌に疾患し病名の告知から約半年で亡くなったのである。
時は2024年夏。
弘が亡くなり、一週間が経った頃、ちょうど西園寺家では弘の遺品整理が始まっていた。弘の妻である美代は、1982年に亡くなっており、彼女の死後、弘は再婚もしなかったのである。美月や詩月の父親である司の話によれば、弘も美代も仲がよく、本当に愛し合っている理想の夫婦だったそうだ。
だからこそ、美代が亡くなった時の弘の落胆ぶりは凄まじいものだったのである。弘は本当に家族を大切にしたし、愛という言葉に誇りを持っていた。同時に、人を愛する素晴らしさを後世に伝えたかったのであろう。それ故に、弘は愛で溢れる家庭を作り、孫である美月や詩月も可愛がっていた。
そんな中、遺品整理が始まり、司や、美月の母親である香苗が弘の書斎を整理している中、美月も詩月もそれとなく手伝っていた。二人とも弘が大好きだったし、彼が亡くなって寂しい気持ちになっていたのだ。だからこそ、率先して遺品整理をしたし、何か形見になるものであれば、貰い受けたいと思っていたのである。
遺品整理もあらかた落ち着いたところで、ふと詩月が弘の書斎机の引き出しを開け、中に何が入っているか物色していると、ある物を発見した。
それは小さな小箱にしまわれていた、金色のペンダントである。ペンダントは五芒星の紋章が真ん中に刻まれたもので、下部にデジタルの数字が描かれている。そこには、1996と記載されていて、それが何を意味するのか、詩月には判らなかった。
「これなんだろう?」
と、詩月は呟く。
彼女は、普段は可愛らしい服装をした年頃の女の子であるが、今日は遺品整理ということもあり、アディダスの黒のジャージを着用している。そのジャージには、微かに埃が付き汚れていた。
対して、姉である美月は普段からファッションには無頓着であったが、今日は詩月と同じでアディダスのジャージを着用していた。彼女たちは一卵性の双子であり、とても仲が良い。どこに行くにも一緒で、学校も一緒に登下校していた。
「ペンダントね。それも結構古そう」
と、美月。
それを受け、詩月は
「これ、貰ってもいいかな?おじいちゃんの形見にしたい」
「お母さんに聞いてみないと」
「そうね。後で聞いてみる。ねぇ、おじいちゃんに会いたくない?」
「どうしたの急に?」
「おじいちゃん、アタシたちを愛してくれたのに、アタシは何もしてあげられなかった。だから、もう一度会ってお礼が言いたいの」
「確かにそうね。私たちを愛してくれたわ。私ももう一度会って、お礼が言いたいかな…」
「だから、このペンダントをおじいちゃんだと思って、大切にする」
「ねぇ、ちょっと見せて」
美月にそう言われ、詩月がペンダントに触れたまま、手渡そうとする。二人の手がペンダントに同時に触れたと思うと、次の瞬間、辺りが白いモヤに包まれ、何もかもが見えなくなった。
白いモヤが晴れかと思うと、目の前に突然見知らぬ男性がいるのが判った。その男性は、驚きながら美月と詩月の二人を見つめている。男性の容姿は、白いシャツにベージュのスラックスを合わせており、おそらく四〇代半ばくらいの年齢であると察せられた。
「君たち、どこから入った?」
その声は、どこかで聞いたことがある響きがあった。
そう。弘の声に似ているのだ。
「えっと、あなたは誰ですか?」
と、驚きながら詩月が尋ねる。
それと同時に、辺りを見渡すと、そこは書斎のようであった。それも、自分たちが先ほどまで遺品整理をしていた弘の書斎とそっくりなのだ。およそ八畳ほどの空間に、大きな出窓があり、その前に木製の机が置かれている。対面の壁には本棚があり、そこにはいろいろな本が収納されていた。
「人に尋ねる時は、まずは自分から名乗らなきゃダメだよ」
と、弘。
今度は美月が答えた。
「私たちは、西園寺美月と、詩月です。あの、一つ聞きたいのですが、あなたは西園寺弘さんではありませんか?」
西園寺弘。
その名前を聞いた男性は、ひどく驚いた表情を浮かべた。
「どうして私の名前を?」
「おじいちゃん!」
「は?」
「おじいちゃんが蘇った。それも若くなって」
「君たち何を言ってるんだ?私はまだ四十八歳だよ。おじいちゃんなんて歳じゃない。息子はいるが、まだ結婚はしてないからね」
「四十八歳?おじいちゃんは確か七十歳だったはず。あの、今って2024年ですよね?」
そう問われた弘はキョトンとした表情を浮かべ
「は?君たち頭でも打ったの?今は1996年だよ。何を言ってるんだ、全く…」
1996年と言われ、美月も詩月も凍りつく。
自分たちはどうやらタイムスリップをしてしまったようである。それも二十八年前の世界に…
美月が黙り込むと、それを見ていた隣に立つ詩月が五芒星のペンダントを掲げ
「もしかすると、これが原因かもしれない。この五芒星のペンダント!」
と言い、ペンダントを弘に見せた。
対する弘は、金色に光る五芒星のペンダントを見つめ、驚愕の表情を浮かべる。その表情は、異星人を初めてみる地球人のようであった。
「どこでそれを…」
弘は震える声で囁いた。
物語は今ゆっくりと動き出すー
二
「そのペンダントは、時空を司る力がある」
と、弘は重鎮な声を出して告げる。
確かにその通りである。美月も詩月もそれを信じるしかない。実際にタイムトラベルはできたのだから。彼女たちは今、2024年の世界から1996年の世界にタイムスリップしている。それはどうやら事実のようである。
「確かにそうなのかもしれない。私たちは、あなたの未来の孫なんです」
と、美月は言った。
その言葉を聞いて、弘はどこか遠い目をしながら答える。
「そうかね。未来の孫か。…2024年か…その時私は生きているだろうか」
2024年に弘は他界する。しかし、その事実を告げるのは、どこか可哀想だと感じた。だからこそ、美月も詩月も何も言わずに黙り込む。すると、それを見ていた弘が納得したかのような声を挙げた。
「未来は判らないから楽しい。希望が持てるのだ。もしも仮に、未来が判ってしまったら生きる楽しさが半減してしまうだろう。だから私は君たちには何も聞かないよ。2024年の私がどうしているかは」
「判りました。それじゃ、アタシたちも何も言いません。でも、おじいちゃんはどうしてこのペンダントの秘密を知っているの?」
今度は詩月が尋ねる。
その声は興味でいっぱいという感じだ。
「このペンダントの所有者に聞いたのさ」
「誰なの?所有者って?」
「君たちが私の孫なら、君たちのおばあちゃんということになるだろう」
「このペンダントはおばあちゃんが持っていたの?」
「そうさ。そして彼女の形見として私が受け継いだものなのだよ」
「そうだったんだ。じゃあ、おばあちゃんもこのペンダントを使って過去に行ったのかな?」
「その前に…君の持っているそのペンダントを見せてくれないかな?」
「いいけど」
そう言うと、詩月は持っていた五芒星のペンダントを弘に手渡した。
弘は受け取るなり、ペンダントをまじまじと見つめている。
「私の知っているペンダントと少し違うね」
「どこが違うの?」
と、詩月。
「君たちの持っているペンダントは、真ん中に1996と記させれている。しかし、私の知っているペンダントは、1968と記されているのだよ」
1996と1968。
これが意味するのは一体何なのか?
しばし詩月が考えていると、ハッと閃いた美月が口を開いた。
「恐らく、そのデジタルの数字は、タイムスリップする時代を意味しているのだと思う。私たちが持っているペンダントは、1996と記されている。つまり、1996年。この時代は、1996年だから辻褄は合うわね」
すると、それを聞いていた弘が答える。
「確かにその通りかもしれんね」
「ねぇおじいちゃん。おじいちゃんが持っているペンダントを見せてくれない」
「いいだろう。ちょっと待っていたまえ」
そう言い、弘は書斎机の中をゴソゴソと探り出す。しかし、ある違和感を覚えた。
「おかしいな。ペンダントがない。ここにしまっておいて、出していないからなくなるはずないのに」
「ないの?」
「ないみたいだ。本当におかしいな…」
三人の間に沈黙が走る。
ピリピリとした緊張感のある空気が流れると、それを切り裂いのは美月であった。
「多分だけど、同じ時代に同じ物体は二つ存在できないのかも。ええと、私たちが2024年からこの五芒星のペンダントを持ってきたから、1996年の五芒星のペンダントが消えてしまった。その可能性はないかしら?」
「うむ。確かにその仮説はあっているかもしれないね。そもそもタイムトラベル自体がいろいろな矛盾を抱えているから、これから色々検証していく必要があるだろうが」
「おばあちゃんは、亡くなっているのよね?」
「その通りだ。1982年にね」
「そう。残念だわ。私たちはおばあちゃんに会ったことがないから、一度は会いたいと思っていたのに」
「このペンダントを使えば、会いにいけるかもしれない。しかし、不用意にこのペンダントを使うのは控えた方がいいかもしれないよ」
と、弘は慎重な声を出した。
それを受け、美月の隣にいた詩月が口を開く。
「それはどうして?タイムスリップできたら楽しいのに」
「まだ詳しくは判らんが、いろいろな制約がある可能性がある。つまり、何かを犠牲にして、その代償としてタイムスリップができるとかね。後は、タイムトラベルをして過去を変えると、未来が変わってしまう可能性だってあるだろう。仮に、今ここで君たちが私の息子を殺害したら、君たちは生まれないことになってしまう。しかし、実際に君たちはここに存在しているから、おかしなことになるよね?」
「確かにそうかもしれない。あんまりタイムスリップしない方がいいのかな?寿命を削るとかだったら嫌だし」
「まぁここであれこれ言っても始まらないだろう。せっかく1996年に来たんだ。私の話を聞いてから帰るのも悪くないだろう」
弘はそう言うと、白い歯を見せて柔和な笑みを作った。その笑みは、美月や詩月が知っている祖父弘の笑顔とそっくりである。昔、弘は愛の大切さを美月と詩月に話したことがあったが、その時の表情とよく似ているのだ。
美月と詩月が口をつぐみ、その場に立ち尽くしていると、弘が静かに語り始めたー
三
「私にはね、三つ離れた兄がいたんだ。君たち二人が、本当に私の孫なら、存在くらい知っているかもしれない」
と、弘は興味深そうに尋ねた。
その問いに答えたのは美月。なぜなら彼女は、弘の兄についての知識があったからである。
「知っています。清美さんですよね。お父さんから聞いたことがあります。確か東京大学に合格するほどの優秀な方だったそうですね」
「ほう。知っているんだね。それなら君たちは、本当に未来からやってきたのかもしれない。いやすまない。疑っているわけではないのだけど、どうしても未来人がやって来るなんてお話の中の出来事だからね。しかし、信じよう。確かに君たちは、私の孫なのだろう」
「ありがとうございます」
「そう。私の兄、清美はとても優秀な人間だった。それはもう、昔から際立って優秀だったんだよ。勉強は小中高ずっと一番だったし、現役で東京大学へ合学したんだ。しかし、東大紛争という世界が彼を滅ぼしてしまった」
東大紛争―
1968年から1969年にかけて発生した、東京大学を中心とした学生運動である。この運動は、学生たちが大学の自治を求め、ベトナム戦争への抗議活動、教育改革、社会的な民主化を訴える中でエスカレートした。
学生たちは、大学講義をボイコットし、キャンパス内で座り込みを行い、時には警察との衝突が発生するなど、その活動は時に激しいものとなったのである。
特に象徴的なのが、1968年に東京大学の安田講堂が占拠された事件であろう。学生たちは、講堂を拠点として抗議活動を行い、多くの学生が参加したのである。この時期の学生運動は、日本社会に大きな影響を与え、後の教育制度や政治に対する考え方に変革をもたらした。
「私の兄、清美はね、東大紛争に巻き込まれた亡くなったと言っても過言ではないのだよ」
と、弘は寂しそうな顔をして告げる。
その表情は、世界中の人間たちが死滅し、たった一人生き残った人間が見せるような寂しさに満ちていた。
「そうだったの。それは知らなかった」
と、詩月。
東大紛争は、かれこれ半世紀以上前の話であり、美月や詩月にとっては縁のない話であった。
しかし、自分たちの親戚がこの事件に巻き込まれ、亡くなっていたとは初耳である。
そもそも、東大紛争において、学生や警察官が直接的に衝突したことはあった。しかし、それで命を落とした人間はいないのである。しかし弘は、兄である清美が東大紛争に巻き込まれて亡くなったと告げている。これは大きな謎であった。
もちろん、東大紛争で亡くなった人間がいないことなど、2024年を生きる美月や詩月には全く想像できないのではあるが…
「東大の紛争で亡くなった人は大勢いるの?」
と、美月が震える声で尋ねた。
いくら全く知らない人間とはいえ、人が死ぬのを聞くのは耐え難い苦痛でもある。
しばしの間があった後、弘が答える。
「いや、記録ではいないそうだよ」
「でも、清美さんは亡くなった。記録では死者がいないのに、紛争に巻き込まれて亡くなったっていうのは矛盾していると思うけど」
「確かにその通りだ。清美は直接的に東大紛争で亡くなったわけではない。しかし、間接的な面で考えると、十分に巻き込まれていたんだよ」
「それはどういうことなの?おじいちゃん」
急かすように美月が声を出す。その声は、おもちゃを取り上げられ、不満そうな幼児のような響きがあった。
「君たちには想像もできないだろうが、東大紛争の運動はとても激しいものだったんだよ。この紛争に参加した学生や警察官の多くが負傷した。そして、この時の衝突は、日本全国に大きな影響を与え、学生運動の方向性や、日本の政治に長期にわたる影響を与えたんだね」
その言葉を聞いた詩月が息を呑んで尋ねる。
「確かに想像できないよ。だってアタシたちが暮らしている2024年の日本は、平和だもの。もちろん世界中を見渡せば戦争をしている国はあるけど、日本はそうじゃない。平和な国だよ。そんな平和な国なのに、かれこれ半世紀前に衝突があっただなんて信じられない」
「そうかもしれないね。死者は出なかった。しかし、私の兄清美は亡くなった。彼はね、情熱を持って学生運動に参加していたんだ。そして、学生運動の最前線に立ち、闘っていた。そうやって活動していく中で、彼は警察官と衝突し、重傷を負ったんだ」
「それが原因で亡くなったの」
「あぁ、負傷が原因の合併症でね。同時に私は、兄を失った悲しみで途方に暮れた。なにしろ東大に現役で合格するほどの秀才だ。自慢の兄だったからね」
「おじいちゃんには、そんな過去があったのね。アタシ知らなかった」
「恐らく、将来の私は、そのことをあまり人に言わなかったのだろう。その理由は判らないがね」
そう言うと、弘は遠い目をして窓の外を見つめた。
弘の書斎は、部屋の中央の壁に大きな出窓があり、その前に大きな書斎机が置いてある。この家具の配置は、1996年と2024年で全く変わっていない。ここだけ切り取って見てみると、タイムスリップしたとはなかなか思えないのである。時間が止まったかのようでもあるのだ。
「ねぇおじいちゃん」今度は美月が声を出した。「どうやってその悲しみから立ち直ったの?私たちが知っているおじいちゃんは、愛に溢れた人だったわ。人を愛する重要性を家族に教えてくれたから」
すると、窓の外に視線を送っていた弘は、その視線を美月の方に向け、口を開いた。
「そうかね。未来の私はそんなふうに生きいているのだね。なるほど、感慨深いよ。確かに私は、兄の死をきっかけにして愛の重要性に目覚めたと言っても過言ではない。同時に、私に愛の深さを教えてくれたのは、美代なんだ。つまり、君たちのおばあちゃんだね」
「おばあちゃんってどんな人だったの?私たち、おばあちゃんについては、ほとんど何も知らないの。私たちが生まれる遥か昔に亡くなっているから」
「そうだね。美代は1982年に亡くなった。そして、さっきも言ったけど、君たちの持っている五芒星のペンダントの所有者でもあったんだ」
「そうみたいですね。あの、もしかしておばあちゃんって」
美月が弘からの回答を待っていると、突如辺りが、白いモヤに包まれていく。このモヤは、2024年から1996年の世界にタイムスリップした時に発生したものと同じように思えた。
瞬間、当たりが真っ白になると、美月と詩月の意識が微かに遠のいていく。
四
美月と詩月が目を開けると、すでに白いモヤは消え去っていた。同時に、先ほどまで目の前にいたはずの弘の姿がない。あるのは、弘が使っていた書斎机だけで、他には何もなかった。
「あれ?おじいちゃんがいない」
と、不思議そうな声で詩月が呟く。
それを受け、美月が辺りを見渡しながら
「恐らく、2024年の世界に戻ってきたのだと思う。この事実を元に推理すると、五芒星のペンダントはタイムスリップが可能な代物。でも、時間制限があるのだと思う」
「時間制限か…どのくらいだろう?」
詩月に問われた美月は、徐に腕時計を見つめた。
中学生である美月や詩月はスマートフォンを持っていない。両親の方針で、電子端末などは高校生なるまで持たせたもらえないのだ。だからこそ、美月は安物の腕時計を身につけている。
黒いシンプルな腕時計で時刻を確認する美月。
時計の針は午後二時半を指している。確か、一時半ごろまでここで遺品整理をしていたはずである。となると…
「多分だけど」美月が推理する。「タイムスリップできるのは、一時間だけなのかも」
その言葉を聞いた詩月は
「一時間か…それが本当だとすると、ものすごく短いね。ドラえもんのタイムマシンには、そんな時間制限なんてなかったのに」
「そうね。ねぇ、私たちってどうしてタイムスリップしたのかしら?」
「う〜ん。確か、アタシがこのペンダントを見つけて、それを美月に渡そうとしたのよね?そうしたら白いモヤが辺りを包んで、気づいたらタイムスリップしていた感じかな」
「なるほど。なら、私たちが同時に五芒星のペンダントに触れるとタイムスリップするのかもしれないわ。試して見ましょう」
と、美月は告げる。
それを聞いた詩月は持っていた五芒星のペンダントを美月の方に向け、同時に触れてみた。
…
何も起こらない。
美月の推理は外れたのであろうか?
「二人で触れるだけじゃダメなのかな?」
と、残念そうな口調で詩月が呟く。
対して美月は、名探偵ホームズのように顎に手を置きながら必死に思考し
「いや、まだ判らないわ。もしかすると、一日にタイムスリップできる上限があるのかもしれない。一日一回しかできないとか」
「なるほど。その可能性はあるかもしれないね。じゃあ明日また試してみる?」
「それもいいけど、タイムスリップに制約があるかもしれないと考える必要があるわ」
「制約?」
「そう。例えば、タイムスリップするためには命を削る必要があるとか、身長が縮むとか、そういう制約。無条件でタイムスリップができるか判らないから、慎重になった方がいいかもしれないわ」
「うん。でもさ、どうしてアタシたちは1996年にタイムスリップしたんだろうね?
1996年って今から二十八年前でしょ?それって何か理由があるのかな?」
「五芒星のペンダントの中央にデジタル式の表示があるわ。そこには1996と刻まれている。そして、おじいちゃんの話では、このペンダントを持っていたおばあちゃんの時は、1968と刻まれていたらしいわ。となると、このデジタルの数字に刻まれた時代にタイムスリップするのかもしれない」
「その可能性は高そうだね。でもどうやってダイヤルを弄ればいいんだろう。つまみとかあるわけじゃなさそうだし」
「きっとまだ何か、そのペンダントには秘密があるのよ。とりあえず、もう一度おじいちゃんに会って話が聞きたいの」
「どうして?」
「おばあちゃんのことで気になることがあるから」
「おばあちゃんの?何が気になるの」
「まだ詳しくは判らない。何もかも机上の空論のような感じだから」
「今度の休みの時に、またタイムトラベルできるかやってみようよ。そうしたらもう一度1996年にタイムスリップできるかもしれない」
「そうね。そうしましょう。慎重になるべきだとは思うのだけど、何もかも情報が少ない。とりあえず、こっちで調べられることは、こっちで調べてみましょう」
「調べるって何を?」
「簡単よ。おじいちゃんのお兄さんである清美さんのことや、おばあちゃん自身のことを…」
「お父さんやお母さんに聞いてみよう」
詩月がそう呟くと、ちょうどそこに父である司が部屋に入ってきたのであった。
五
「おぉ、お前たちここにいたのか?さっき来た時はいなかったのに。どこに行ったかと思ったよ」
と、司はTシャツに短パン姿でそう言った。彼もまた、休みを利用して弘の遺品整理に勤しんでいたのだ
「うん」と、詩月。「ねぇ、お父さん、おばあちゃんってどんな人だったの?」
「おばあちゃん。う〜ん、おばあちゃんは、お父さんが子供の頃に亡くなったんだよね。でも、いいお母さんだったと思うけど」
「そうなんだ。どうして死んじゃったの?」
「心不全だよ。元々体が弱いとかそうじゃなかったんだけどね。ええと、お父さんも子供だったから、あまり詳しいことは知らないんだ。おじいちゃんもあまり語りたがらなかったから。でも、心不全で亡くなったって聞いたけどね」
「そう。おばあちゃんに兄弟はいた?例えば双子とか?」
「おや、話したことあったっけ?おばあちゃんは、お前たちと同じで双子だったんだ。でもおばあちゃんが小さい頃に双子の妹は亡くなったっていう話だよ。だからお父さんは会ったことはないんだ」
「ふ〜ん。おばあちゃんって不思議な人なのかなぁ。だって心不全って高齢者がなるものでしょ。おばあちゃんは、1982年の段階ではまだ若かったと思うけど」
「確かにその通りだよ。おばあちゃんの死因については、不可解なことが多いんだ。お父さんも何回かおじいちゃんに聞いたんだけど、おじいちゃんは教えてくれなかった。何か隠しているという感じだったね。まぁおじいちゃんも亡くなってしまったから、もう判らないんだけどね」
美月と詩月の祖母、美代は不可解な死を遂げている。
この事実を知り、美月は生唾をごくりと飲みんだ。彼女はこの話を聞き、タイムトラベルに関するある仮説を導き出していたのである。しかし、この時の美月はまだ何も語らなかった。語るにはあまりに情報が少ない。情報が整っていない状態で、推理を重ねても、それは間違いを生み出すだけでメリットがないと考えたのである。
その一方で、詩月もなんとなくではあるが、美代に関する情報を聞き、不可解さを覚えていた。彼女は美月と違い、物事を理論立てて考えるタイプの人間ではないが、直感は冴えている。思春期の女子が持つ、特有の直感力を有しているのである。
「お父さん、おじいちゃんが持っていた五芒星のペンダントって知ってる?」
今度尋ねたのは美月である。
その言葉を聞いた詩月は、同時に五芒星のペンダントをジャージのポケットから取り出し、司に見えるように掲げた。
煌びやかに光る五芒星のペンダントを見た司は、まじまじと考え込む素振りを見せる。
「それをどこで?」
と、司。
それを受け、美月が答える。
「詩月がおじいちゃんの書斎机の中から見つけたの。これって何なの?」
「それはおばあちゃんの形見だよ。おじいちゃんが大切にしていたからね。お父さんが子供の頃、それを見せてもらったことがある。その時に、聞いたんだ。おじいちゃんとおばあちゃんは愛し合っていたし、子孫たちに愛の大切さを教えようとしていたからね。ほら、おじいちゃんに聞いたことあるだろう。愛の話を。愛する人を大切にしなさいって話だよ」
「うん、確かに聞いたわ。おじいちゃんとおばあちゃんの愛の証が、このペンダントってことね?」
「そうかもしれないね」
その言葉を聞いた詩月が口を開く。
「ねぇ、お父さん、このペンダント、アタシが引き継いでもいい?おじいちゃんの形見にしたいの。アタシ、おじいちゃん好きだったし」
すると、司はにっこりと笑みを浮かべながら
「構わないよ。ただし大切にするんだよ。おじいちゃんが大事にしていたものだからね」
「もちろん。ありがとうお父さん」
こうして、遺品整理の休日は終わりを告げていく。
弘の書斎に太陽の光が差し込み、哀愁じみた空気が広がっていく。
タイムトラベルできる不思議なペンダント。
そして、美代の不可解な死。
大きな謎が、美月と詩月の目の前に広がっている。同時に、二人はこの謎を解きたいとも考えていた。タイムトラベルは魅力溢れる冒険の入り口であるし、1996年の世界で弘と対話し、それはとても楽しい時間であった。
できるのであればタイムスリップを繰り返し、謎を解き、愛の深さを知りたいと考えていた。
未知なる冒険は、まだ始まったばかりである。同時に、これから幾多の試練が待ち受けていることを、この時の美月と詩月は知る由もなかったー