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変わらぬ授業


 翌週の月曜日。


 あかりと競馬場でぐうぜん遭遇してから2日が経ち、その日、真嗣はいつものように教室で授業を受けている。


「それじゃあ、このページは藤崎くんに読んでもらおうかしら」


 4時間目の英語の授業、ちょうどあかりは真嗣のクラスに来ていたのだった。


 真嗣は教壇で英語の教科書を手にしているあかりの姿をみつめる。


 すらりとした長い手足を包むスーツ姿のあかりは、競馬場で見た時よりもずいぶんと大人びた印象に感じられるのだった。


「はい。よくできました。それでは次は……」


 そして、授業を進める彼女の声音は、まるでCAや一流ホテルの従業員が身に着けている類の上品なものだ。しかし、だからといっても、ときおり生徒と雑談に興じるなどしてくれるので堅苦しさなどを感じさせない。そして、冗談を発して笑う時でさえ大口を開けて笑うのではなく、慎ましい抑制とたしなみが表情から感じられるのだった)


 そう、今あかりが見せている教師としての印象は、競馬場で出会う前――先週までのものと何も変わらない。


 しかし、たしかに真嗣は先週の土曜日にあかりと共に競馬場にいたのだ。


 そして、尋常でないペースでビールを煽り、馬券がはずれるたびに騎手や調教師などの関係者に対して「ヘタクソ!」「やめちまえ!」「金返せ!」などと口汚く罵っていたのだ。


 その姿は真嗣が今まで見てきた負け組競馬オヤジとあまりにも酷似していた。今でも、あのとき競馬場で出会った女性が、目の前で可憐に教鞭をふるっている新任女教師だとは信じがたかったのである。


 あの、土曜日の一件が夢か幻。もしくは双子の姉か何かだったら、真嗣は昨晩どれだけ枕を高くして眠られただろうか。


 そんな事ばかり考えるのであった。


「……か、くん!」


 机に頬杖をつき、大きくため息をつく真嗣。


「宇高くん!」


 そのとき、真嗣は自らの名前を呼ばれている事に気づいて、はっと顔をあげる。


 すると、目の前であかりは不満げに眉根に皺を寄せている。


「宇高くん。キミは先生がずっと呼んでいるのに、何をボーっとしていたのかしら?」


「すいません」


「まあ、いいわ。それじゃあ続きを読んでちょうだい」


 慌てて教科書を手に取る真嗣。


「あの、先生。どこから読めばいいんですか?」


 あかりが呆れたようにため息をつく。


「まったく……宇高くんは本当に先生に聞いてなかったのね。20ページ目から読んでちょうだい」


「はい……」

 あかりに指定されたページを音読する真嗣。


「よくできましたって言いたいけれど、先生の話を聞いていないのはいただけないわね。宇高くん、キミはこの後の昼休み、先生の荷物運びを手伝ってもらいますから資料室にきなさい」


「わかりました」


 うなだれる真嗣に対してあかりはそう告げるのだった。






 そして、4時間目の授業が終わり、昼休みになると真嗣は資料室に訪れる。


 すると、そこにはすでにあかりがいた。大量の資料と本がアルミ製の棚いっぱいに収められている少しカビ臭さが漂う資料室。そんな静かな空間で、あかりは神妙な顔をして腕組みをしているのだった。そして、彼女の周りだけはカビ臭さとは無縁の清涼な香りに満ちている。


「それで先生、俺はいったい何を運べば……」


 そう問いかける真嗣。


「宇高くん! そんなことはどうでもいいの!」


 真嗣が言い終わらないうちから言葉を遮るあかり。そして、どこから取り出したのかスポーツ新聞の競馬欄や月曜売りの週刊競馬雑誌を両手で掲げるのだった。


「わたしね、あれから競馬について本を読んだりネットを見たりして、いろいろ調べたの! 競馬って奥が深いわね~。パドックや血統やローテーションだとか、本当に世の中にいろんな予想方法があるのね。びっくりしちゃった。そうそう、いま世界中にいるサラブレットって遡れば、たった3頭の馬に行きつくんですって」


 戸板に豆の勢いでまくしたてるあかり。


〝やっぱりこうなったか……〟


 土曜日の最終レース。穴馬同士の馬連に10000円をぶっこんで、みごと的中。帯封の払い戻しを手にしたあかりは「わたしって競馬の天才だったのね~」と上機嫌で、真嗣にディナーとして回らない寿司までごちそうしてくれた。


 まったくの的中なしで終わったのなら、競馬というギャンブル沼にのめり込まなくて済む。そんな望みを託した真嗣だったが、結果は最悪の方向へ転んでしまったようだ。


〝やっぱり、先生はどっぷり競馬にはまってしまったか……〟


 もちろん真嗣をこの資料室に呼び出したのも荷物運びの手伝いなのではなく、ただ単に競馬の話をしたかっただけなのだろう。


「でも、競馬って土曜日だけじゃなくて日曜日もやってるのね」


「ええ。競馬は基本的に土日の2日間開催ですから」


「あっ、それから、あの時わたしが買った馬って両方とも同じ父親なのよね?」


「たしか『サイレントセレニティ』でしたよね」


「そうそう。調べたら有名な馬だったみたいでびっくりしたわ」


「ええ。『サイレントセレニティ』はアメリカから輸入された種牡馬で、現役時代はケンタッキーダービーを始めとした数々の大レースに勝利している凄い馬なんですよ」


「でも、競走馬って父親が一緒でも兄弟とは言わないのね。わたし、初めて知ったわ」

「『サイレントセレニティ』のような一流の種牡馬は1年で200頭以上の牝馬と種付けしますからね。異母兄弟は競馬の世界では基本的に姉弟とは表現しないんですよ。母親が一緒で父親が違う場合は半兄弟。父親も母親も一緒の場合は全兄弟って言うんですよ」


「へえ」


 そして、あかりによる質問攻めは昼休みが終わるまで続けられたのであった。



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