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はじめての馬券購入④

「うぃ~。まったく……騎手がバカなせいで、負けちゃったじゃない」


 第7レースから馬券を買い始めたあかりは、ここまで四回連続で馬券をはずして、ふて腐るのであった。


 そして、それに伴い加速度的に増える飲酒量。


 当初はスタンドのゴール付近の大型モニターで観戦していたあかりと真嗣だったが、今ではフードコート内に設えてあるモニターの前にいるのであった。


 理由は、フードコート内にはビールショップがあり、わざわざ酒を売店まで買いに行かなくていいから。そして、立ち食い用のテーブル上には今までに飲んだ生ビールの紙コップがいくつも散乱しているありさまだった。


 競馬の番組編成は1日に12レースおこなわれるように組まれており、次の第11レースがメイン競争となる。 


「次のメインレースは絶対に当てるから!」


 そう強い意気込みを示すが、ただでさえ素人のあかりがそんな酩酊状態で予想した馬券など当たるはずもなく、連敗はついに「5」にまで伸びるのであった。


「~~~~ッ!」


 あまりの悔しさについに声もなく、肩を震わせるあかり。


「あの、先生、もうやめたほうが……」


 先程までの自信に満ちた姿から一変するあかり。もはや哀れみすら感じてきた真嗣はそう提案するのだった。


 しかし、次の瞬間、あかりはまるで小学生をカツアゲするヤンキーのように鋭い目つきで真嗣をにらみつける。


「宇高くん、誕生日はいつ?」


「へっ? 誕生日ですか?」


「そうよ! 宇高くんは何月何日生まれなの?」


 唐突に誕生日を尋ねてられて困惑する真嗣。


 しかし、瞬時にあかりの意図は理解できた。


 もちろん、あかりは真嗣の誕生日をハッピーにお祝いしてくれようとしているわけではない。


 今のあかりは完全に自分の予想が信じられない捨て鉢な状態。だから、真嗣の誕生日と同じ馬番の語呂合わせで馬券を買おうとしているのだ。


〝当たるわけがない……〟 


 最初のほうは、まだ競馬の事をよく理解していないながらも、自分なりに考えて論理的根拠を明確にして買い目を構築していたあかり。しかし、度重なる惨敗に、ついにあかりは運頼み・神頼みに縋りつくようになってしまったのだった。それは明らかな予想方法の退化に他ならない。


「先生、俺の誕生日は5月17日です」


「5月17日ね! わかった!」


 力強くマークカードにペンを走らせるあかり。


 しかし、実は真嗣の誕生日は8月24日である。


 もちろん、あかりにウソをついたのには理由がある。

 この最終レース。真嗣の本当の誕生日である⑧②④は三頭とも上位人気で、そのまま買えば馬券が当たって(・・・・)しまう(・・・)可能性がある。それに対して⑤と⑰は共に人気薄の穴馬なのだ。


 もはや、今の真嗣はあかりに馬券を当ててもらって競馬の楽しさに目覚めてもらおうなんて微塵も思っていない。むしろ、憧れだった新任教師の人生を狂わせないためには、競馬にとことん失望して、二度とギャンブルに手を出してくれないほうが望ましいとさえ考えていたからだ。


 そして、そんな真嗣の魂胆などつゆ知らず、あかりは近くの券売機で馬券を買ってくる。


「ほら見て! なんと、今回は宇高くんの誕生日と同じ馬番を買ったの!」


 あかりは意表をついたつもりで、そう宣言するが、もちろんここまでは真嗣の思惑どおり。


 あかりが買ってきた馬券は⑤と⑰の馬連(選択した2頭の馬が1、2着に入れば順不同でも的中する馬券)。しかし、驚いたことに、その馬券の購入金額にはしっかりと「10000円」と印字されているのであった。


〝なんで、また10000円も賭けてるんだよ! この先生は!〟


 真嗣が穴馬を推奨したもうひとつの理由。


 それは今までのあかりの言動から考えて、絶対にこの最終レースで今まで負けた金額を取り返そうとすることが予想できたからだ。


 そのためには、倍率(オッズ)の低い人気馬からの馬券ならば高額を賭けなければならない。しかし、穴馬である⑤番と⑰番からの馬連ならば500円ほどで今まで負けた金額を取り返せる計算になる。


 同じ的中ゼロの惨敗に終わるのならば、少しでも傷口が小さいほうがいい。そう思っていたのに……。


 もはや今の真嗣には、憧れだった新任女教師の笑顔が、どんな怪物よりも恐ろしいホラーに見えるのだった。


 そして、最終レースを前にして、あかりは観戦場所を移動する。


 やはり、最後のレースはフードコート内のモニターよりも最も競走馬が近くで見られる、スタンドの最前列が観戦したいようだ。


 屋外の立見席。季節は春だというのに、吹きすさぶ六甲おろしは時おり冬の冷たさを感じさせる。


 この日のメインレースが終わったとしても、競馬場はまだまだ多くの観客がスタンドに残って最終レースを観戦しようとしているのだった。


 しかし、その多くはメインレースを的中した者ではなく、ハズしたがゆえに一縷の望みをかけて最終レースでの的中を夢みるどうしようもないギャンブル中毒者たちである。


 そして、そのギャンブル中毒者の仲間入りをしかけているのが、真嗣の隣にいる新任女教師である。


〝だけど、まだ先生は引き返せるはずだ〟


 真嗣とあかり。さまざな思惑が交錯するなか、最終レースが始まるのであった。


 すると、あかりが買った⑤番と⑰番の馬は、絶好のスタートを決めて、すぐさま先頭に立つ。


「ほら! みて! 宇高くん! わたしが買った2頭が先頭よ!」


「そ、そうですね」


 あかりは興奮気味にそうまくし立てるが、最初に真嗣があかりに説明したように、競馬は道中や直線で順位が激しく入れ替わる競技。スタート直後の位置取りでそのままゴールするなんて事は滅多にありえない。


 ましてや、あかりが買った2頭は人気薄の穴馬。


 どこかで絶対にバテるはず。そして、その認識は真嗣だけのものではなく、周りにいる競馬オヤジたちもそう思っているはずだった。


 しかし、後続の馬群が第2コーナーを曲がり、向こう正面に突入した辺りでそんな空気が微妙に変化する。


 なんと、大逃げしている⑤番と⑰番の馬は、さらにスピードをあげて後続を10馬身近く突き放しにかかったのだ。


 いや、正確には⑤番と⑰番の二頭が加速しているのではない。(ひと)(かたまり)となった3番手以下の馬群のペースが完全に遅すぎるのだ。誰かが捕まえにいけば、前の2頭は潰れると分かっている。


 しかし、誰もその役目を自分がしたくない。その結果、逃げ馬はますます楽なペースで逃げてしまう。今がまさにその状態だった。


「おい、さすがに楽に逃げさせすぎやろ。そろそろ捕まえにいかなアカンて」


 真嗣の近くにいる競馬オヤジが、そう顔を青ざめさせる。それもそのはずだ。何度も言うが、⑤と⑰は穴馬。この場にいるほとんどの者が買い目に入れていないだろうし、ましてや両方の馬を買っている人間なんて皆無であろう。ただ一人あかりを除いては……。


「宇高くん! これは、あの2頭が勝つんじゃないの?」


 困惑のささやきを交わし合う競馬オヤジたちを尻目に、ボルテージが上がりまくっているあかりは掠れた声で叫びながら、真嗣の肩を大きく揺さぶるのだった。


 そして、大逃げしている2頭は差を詰め寄られるどころか、逆に15馬身ほど後続を突き放して最後の直線を迎える。


 もちろん後続の馬に乗っている騎手たちはさすがにこの段階になると、火の出るような勢いで腕を動かして猛追するが、何もかもが遅すぎる。先頭の2頭はスローペースで楽に逃げていたため全く脚色が衰えない。


 もはや、誰がどうみても前の2頭を捕まえることが不可能なのは明らかだった。


 直線に入るまでは困惑のささやきを交わし合い、阿鼻叫喚の様相を呈していた競馬オヤジたちだったが、今ではもう誰もが自らの馬券がハズレる事に対して覚悟ができている。ただただ死んだ魚のような目をして、レースを眺めているのだった。


 そして、場内がまるでお通夜のようにシンと静まりきっているなか、ただ一人あかりだけが固めたコブシを振り上げ「そのまま! そのまま!」と気勢を張りあげている。


 そして、あかりの声援を背に受けて、⑤と⑰の馬たちはみごとにワンツー・フィニッシュを決める。


「やったわよ! 宇高くん!」


 隣にいる真嗣の抱きつき、喜びの声をあげるあかり。


 彼女が両腕にチカラを込めるたびに、その女性らしい丸みを帯びたやわらかな肉体が真嗣の身体に押し当てられる。


 さらに、さきほど馬券指導をしている時に感じたフローラルな香りに加え、あかり自身の身体から発せられる煮詰めたミルクのような甘い香りも鼻腔に充満しているのだが、真嗣はまったく興奮していなかった。


 考えうる限り最悪な展開が起こった事に、ただただ絶望しているのだった。


「ねえちゃん、さっきから騒いどるが、今のレースを当てたんか?」


「なんぼ買ったんや?」


 周囲にいた競馬オヤジたちが次々とあかりに問いかけてくる。


 すると、あかりは人差し指と中指だけで挟んだ当たり馬券を取り出し、颯爽と競馬オヤジたちに見せつける。


「馬連で10000円よ!」


 そして、あかりが不敵な笑みをみせつけると、競馬オヤジたちのあいだから「おお~!」という歓声とどよめきが起こるのだった。


 そんな競馬オヤジたちの反応に、あかりは心の底から自尊心と承認欲求が満たされているであろう笑みを浮かべる。


「ごっつい馬券、当てたな~」


「えっ? 今日が初めて馬券を買った日やったんか。姉ちゃんは天才馬券師やな」


 そして競馬オヤジたちが口々に褒め讃えるたびに、あかりは口では「そうかしら?」などと殊勝な事を言いつつも、ますます満面の笑みで口元をとろけさせるのだった。


〝やめろ! やめてくれ! それ以上、先生の自尊心と承認欲求を刺激しないでくれ!〟


 頭を抱える真嗣。


 やがて、内馬場に設置されている大型のターフビジョンに最終レースの払い戻し金額が表示されると、そのあまりの高額配当に、一瞬の沈黙の後、まるでロックコンサートを思わせるような大きな歓声とざわめきが生まれ、場内を満たす。


「うふ❤ うふ❤ うふふ❤」


 そして、あかりは脳内からエンドルフィンやらドーパミンなどをドバドバ大量排出しているだろう。完全にトリップ状態に陥っているのであった。


〝ダメだ。先生は完全に脳を焼かれてしまっている。もう引き返せない〟


 真嗣は考えうる限り最悪な状況に頭を抱えて、絶望しているのだった。



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