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はじめての馬券購入

「それで、宇高くん、さっきも言ったけど、わたしは競馬場に来たのは初めてだから、予想の仕方とかぜんぜん分からないんだけど、教えてくれる?」


「はい。とりあえず、新聞を買って出走馬を確かめましょうか」


「新聞?」


「ええ。売店で売っている新聞にはその日の出走馬が載っているんですよ」


 そして、真嗣とあかりはスタンド内にある新聞を売っている売店へと向かう。


 パドックと呼ばれる馬の周回場所の近く、カウンター内の1坪ほどのこじんまりとしたスペースの中に店員がふたり存在している。フランクフルトや鶏のからあげなどの軽食やスナック菓子、ビールなどのアルコール類やソフトドリンクを販売している売店と明確に区別されているその店には、さまざまな新聞が置かれているのだった。


「へえ、ずいぶんと色々と新聞があるのね。それに、なんか聞いたこともない名前の新聞もたくさんあるし」


 呟くあかり。


「それは競馬新聞ですよ。先生」


 真嗣が答える。


「競馬場で売っている新聞っていうのは大雑把に分けて2種類あるんです。まず、ひとつが駅のキオスクなんかでも普通に売られているスポーツ新聞。そして、もうひとつが競馬新聞……いわゆる専門紙ってやつです」


「どう違うの?」


「野球やサッカーなど他のスポーツ記事にも紙面を割かなければならないスポーツ紙と違って、専門紙はその紙面がすべて馬券予想のための記事で占められています。だけど、その分スポーツ紙よりも高額ですし、情報量が多いから先生みたいな初心者にはシンプルな紙面構成のスポーツ紙のほうが扱いやすい場合があります」


「ふうん。一長一短なのね」


 真嗣の説明を聞き、頷くあかり。


「それじゃあ、安いし。スポーツ新聞でいいか」


 そして、あかりは棚のいちばん手前に陳列されていたスポーツ新聞を買って、手に取ってみるのだった。


「ねえ、宇高くん。今は昼休みが終わったところだから、次は第五レースよね?」


「ええ。そうです。この新聞に書かれている(ひょう)馬柱(うまばしら)馬柱(ばちゅう)と読む人もいる)といって、レースに走る馬の近走の戦績を始めとする基本的なデータが載っていて、この表を参考にして予想するんですよ」


「へえ。そうなんだ。それじゃあ、この、馬の名前に下のほうに書かれてる『◎』や『▲』とかの記号はなんなの?」


「それはですね。新聞記者の予想の印です」


「騎手の名前の横に55や57っていう数字が書いてあるけど、騎手って、みんな年齢が50代のオジサンばっかりなの?」


「違います。その数字は騎手の年齢じゃなくて、負担重量……騎手自身の体重にプロテクターなどの装備品も含めた重量なんですよ」


 そして、競馬の素人であるあかりは、まるで好奇心旺盛な子供のように質問をくりかえし、真嗣はその質問に対してひとつひとつ丁寧にくりかえすのだった。


「ねえ、宇高くん、競馬場って、この阪神競馬場以外にもどれくらいあるものなの?」


「ええ。北は札幌、南は小倉まで全国で9か所あります。でも、国の管理下でおこなわれる中央競馬の話で、地方自治体が運営する地方競馬の競馬場になるともっと多くありますよ。そして、これは予想するうえで重要な事なんですが、競馬場によって直線の長さや高低差なんかはぜんぜん違うんですよ」


「えっ? 競馬場って、コースが統一されてないの? なんで?」


「競馬っていうのはもともと自然の中でおこなわれてきたものですからね。たしかにスポーツとして見た場合、コースを統一したほうがフェアなんでしょうけど、同じコースでばかりレースをすると、どうしても勝ち馬のタイプが偏っちゃうんですよ。そうすると、ギャンブルとしての面白みがなくなっちゃうわけで」


「そうっか。だから、新聞には競馬場別の成績が書いてあるのね」


 気がつけば、もう、かれこれ30分ほど、競馬に関する基本的な知識をあかりにレクチャーしている真嗣。しかし、真嗣は子供の頃からの生粋の競馬好き。競馬の事ならいくらでも語ろうと思えば語れるので、説明する事に飽きたり、うんざりしているという事は一切ない。


 むしろ、あかりの研究熱心さに心の底から驚き、感心しているのだった。


 普通、まったく競馬に関する知識がない素人が馬券を買おうとすると、細かい文字で複雑な情報が記載されている馬柱を、よく読もうとしない。


 ましてや、あかりくらいの年齢の女性なると、「名前が可愛いから」とか「自分の誕生日と同じ馬番だから」という割と適当な理由で、買い目を決めがちだ(もちろん、真嗣もそんな馬券の買い方を否定しない。最初はよく分からなくても、とりあえず宝くじ感覚でもいいから馬券さえ買ってくれれば、そこから本格的に競馬に興味を持ってくれる可能性だってあるし、なにより競馬の楽しみかたなんて人それぞれなのだから)。


 しかし、あかりは先程から真嗣に熱心に質問を繰り返し、分からないなりにも、少しでも競馬の知識を仕入れて自分の頭で考えようとしているのだ。


「さっき、宇高くんは競馬場ごとに特徴があって、特定の競馬を得意にしている馬や不得意ににしている馬がいるって言ってたでしょ? それじゃあさ、この阪神競馬場で勝ち星があるけど、近走は他の競馬場のレースで負けて人気がない馬を買えば、儲ける事ができるんじゃないの?」


「はい。たしかにその通りです。でも、今の競馬ファンは研究熱心なんで、そのくらいの情報は織り込み済みなところもあるんですよ」


「ふぅん。そっかぁ……。世の中、そんなに甘くはないか」


 そして、さらに驚くべき事にあかりの質問は、ズブの素人とは思えないほど本質を突いていて、そのうえ的確だ。


〝凄いな。先生は〟


 真嗣は、それまで年上の女教師に抱いていた憧れと畏敬の念をさらに強くするのであった。


「あと、宇高くん、この蛸に似た字の『稍』って漢字は何て読むの?」


「それはですね。『やや』って読むんですよ」


 すると、顔を近づけてきたあかりの長い髪から――おそらく使用しているシャンプーの匂いなのだろう――フローラルな香りが真嗣の鼻腔をくすぐる。


〝うわぁ……先生の髪、めちゃくちゃいい匂いがするぞ〟


 しかも。それだけではない。


 そのキメの細かい白い肌からは、まるで温めたミルクのような甘い芳香まで漂ってくるのであった。


 それだけで、男子高校生の平常心を乱すには充分だったのであった。


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