大荒れの果て
「ちょっとー! なによ、あれ! あんな最後方で1頭だけポツンしてるなんて、あの騎手やる気あるの? 金返せーっ!」
案の定、あかりはビール片手に、負けレースでの騎手への罵倒をくりかえすのであった。
「ちょっと! 宇高くん! 今のレース、⑦番の馬、斜行したわよね? わたしの買った馬、妨害されたわよね? そしたら、わたしの馬が3着に繰り上がるわよね? 降着! 降着! 降着!」
そして、まるで新しい言葉を覚えたばかりの保育園児のように「斜行」や「降着」という単語を連呼する。しかし、真嗣は申し訳なさそうにかぶりをふる。
「あれくらいの接触だったら、走行妨害にはなりません。それに、仮に走行妨害だったとしても、1着になった馬の圧勝です。降着は走行妨害がなかったら被害場のほうが加害馬のほうが先着していたと決裁委員が判断された場合のみ適用されるので、あれだけ着差がついてたら、降着にはなりませんよ」
そして、真嗣の言うとおり掲示板には審議のランプが点灯せずに入着どおりの着順に決定するのであった。
「なによ! なんでわたしの馬券が当たりそうになった時だけ降着になったのに、今のレースは降着にならないの? 決裁委員は何者かに買収されてんじゃないの? 八百長よ。八百長! こんなレースはノーカンよ。ノーカン! 金返せ!」
騎手や調教師のみならず、今度は決裁委員に対しても痛罵の声を浴びせるあかり。もちろん、こんなところであかりがいくら喚いたとしても、一度くだされた裁定が覆るわけでもないし、ましてやお金が戻ってくる事もない。
「もういい。飲み物、買ってくる!」
むくれ顔で売店へ向かうあかり。もちろん、ここでいう飲み物とはアルコールの事で、すでにかなりの量のビールを飲んでいるにもかかわらず、あかりはさらに追いアルコールに手を出すのであった。昂子と出会い、そのストイックな馬券姿勢に影響を受けてからは、だいぶ悪癖はなりを潜めていたのだが、今日はいろいろな不運が重なり、一気に爆発してしまったようだ。もうこうなったら、嵐が収まるのを大人しく待つより術はない。
「なんだぁ。あかりんは酒乱なのか?」
挙句の果てにはカレンにまで呆れられる始末。
「いいか、カレン。お酒が飲めるようになっても、あんな大人になっちゃダメだぞ」
そうチカラなく呟くと、真嗣はカレンの肩にそっと手を置くのであった。
もちろん、それからのあかりの馬券成績はいつもに増して散々なものであったことは言うまでもない。
午後からのレースは一度も当たらない状態でメインの天皇賞へ突入したものの、あえなく爆死。
そして、普段は穴党のくせに、今までの負け金を最終レースで取り返すために賭け金を吊り上げて人気馬にぶっこむという、今まで何度も繰り返してきた典型的な負け組馬券師の勝負パターンに打って出るのであった。
「いけー! そこよ! 差しなさい!」
最後の直線、あかりの買った馬は猛烈な勢いで差し脚を伸ばして、先頭集団の3頭を猛追するのであった。この3頭をどれだけ抜かすかによって、払い戻し金額は天地ほど違ってくるのであかりの声援を自然と熱がこもる。
「届けぇっ!」
あかりがそう激を飛ばした瞬間がゴールだった。四頭の馬は一団となり、なんと1~4着まですべてが写真判定に委ねられるのであった。
「なんで、写真判定なのよ? どうみても、わたしの馬が勝ってたじゃない! バッカじゃないの?」
まるで人殺しのような血走った目で、威嚇のオーラを出し続けるあかり。
もちろん、真嗣と昂子はそんな状態のあかりに話しかけられるはずもなく、ただ黙って結果を見守る事しかできなかった。ちなみに、紳士・淑女の社交場である馬主席に於いて鉄火場の競馬オヤジ丸出しのあかりの言動は浮きまくっているのは言うまでもなく、周囲の人たちもまるで腫物を扱うような目つきになっている。そして、内心では間違いなく眉を潜めているだろう。
しかし、そんなあかりに対して2つの人影が淀みのない足取りで近づいてくる。
「勝て。勝て。勝て。一着よ。1着。1着以外は許さないんだから!」
ターフビジョンに映し出されるゴールの瞬間のスロー映像を、フーフーと闘牛のような荒い鼻息を立てて凝視するあかり。
「なにをやっとるんや。あかり」
真嗣でさえ声をかけるのに躊躇する状況にもかかわらず、その人影のひとつ――大柄の男は迷いなくあかりに声をかける。
「あーもう、ちょっと黙っててよ! 今は大事なところなんだからさ!」
しかし、結果はあえなく撃沈。あかりの視線は馬券とターフビジョンのみ向けられていて、大柄の男を見ていないのであった。
大柄の男は黙り込んでしまう。しかし、真嗣の眼には、その姿は意気消沈しているわけでも気圧されているわけもなく、ただ怒りに肩を震わせているだけのように映るのであった。 それでも、大柄の男はめげずに再度あかりに声をかける。
「おい、あかり!」
「あーもう、あんた、さっきからうるさいのよ! 邪魔よ! 邪魔!」
その瞬間、掲示板に『確定』のランプが点灯して、着順が決定する。
「いやーーーッッ!!!!」
顔面蒼白のあかりの喉から絶叫に近い悲鳴が迸る。あかりの買った馬は善戦むなしく四着に終わり、最終レースも不的中に終わるのであった。
「あかり……」
再び、あかりの名を呼ぶ大柄の男。
すると、あかりは殺意スレスレの剣呑な目つき大柄の男を睨みあげる。
「あんたが横からごちゃごちゃと余計なことばかり言うから、馬券
がハズれちゃったじゃないの。このバカ! どう責任とってくれる
の……よ……」
しかし、威勢がよかったのは最初のみ、その啖呵はみるみるうちにしぼんでいくのであった。
「ほう。オマエは親に対して、そないな口きくんか?」
「と、父さん……?」
その代わり口から出てきたのは、疑問を呈する弱々しい呟き。その顔には隠しようのない驚愕が張りついているのであった。
そして、大柄な男に続いて、もうひとつの人影があかりのもとに歩み寄る。
それは、あかりとよく似た面貌の着物姿の女性だった。
その凛とした立ち姿は、思わずため息が出るほどの美しさだった。
「あかり、これはどういうことや。説明してもらおか」
女性の口調は穏やかであるものの、その座りきった目は氷点下まで冷えきっているのだった。
「と……父さんと母さんが、なんでここにいるの?」
競馬場の馬主席。
あかりの前に突如、現れたふたりの男女。
それは、あかりの両親だったのであった。