あかりとカレン
雲の谷間にわずかに見える夕日が西の空へと進み、河原の水面をわずかに赤く染める。
空はいかにも不機嫌な顔を見せ、今にも雨が降り出してきそうだった。
「バカ真嗣……」
そして、カレンはひとりで河川敷の草むらで膝を抱えて座っているのだった。
どれくらいの時間、そこで座っていたのだろうか。犬の散歩をしている中年女性、キャッチボールをしていた小学生。カレンがこの河川敷で来た時にいた者たちも、いつのまにか姿を消していたのであった。
濃い夕闇が急速に周囲を包み込む。しかし、それでもカレンは動く気にはなれず、膝を抱えたままの体勢で座り続けるのであった。
「カレンちゃん」
すると、カレンは自らの名前を呼ばれた事に気づき、顔をあげる。
「おまえは……」
そこには先ほど真嗣と一緒にいた女教師……あかりが腰をかがめてカレンの顔を覗きこんでいたのであった。
「なにしに来たのだ?」
一瞥だけすると、すぐに顔をうつむかせて低い声で問いかけるカレン。
「カレンちゃんの事が気になって、お話ししたいと思って捜していたの。隣に座っていい?」
「勝手にすればいいのだ」
まともに対応する気にもなれないカレン。しかし、あかりは気にすることなくカレンの隣に腰を下ろすのだった。
「カレンちゃんの家って豪山ファームなんだね。わたし、びっくりしちゃった」
「……」
「今度の天皇賞に出るレッドベルリンもカレンちゃんのところの生産馬なんでしょ?」
「……」
一方的に話しかけてくるあかりに対して、カレンは無言を貫く。
「そうそう、レッドベルリンって調教でもまるで走らないから、牧場のスタッフ全員がそこまで期待していなかったのに、カレンちゃんだけは『絶対に走る』って断言していたんだよね?」
「あいつの馬体は、伸縮力があるのにやわらかい、競走馬としては理想的な筋肉のつきかたをしていたのだ。ただ頭がよくて、効率的な手の抜きかたを知っているから調教では走らないだけだったのだ」
ついに無視し続けるのも億劫になったカレンは、あかりに対して昔話を語るのであった。
「あー、それ、真嗣くんも言ってた。頭がいいから逆に人間を舐めてるところがあるって」
「真嗣はオマエにそんなことも話しているのか?」
「うん。そうだよ。最近わたし競馬にハマってるんだけど、真嗣くんにはいろいろ教えてもらってるの」
「そうか……」
晴れやかな笑顔でそう語るあかり。しかし、それに対してカレンの口調は重く、苦々しい者へと変化していくのだった。
今のカレンにとって、あかりが楽しそうに真嗣の名を呼ぶだけで、熱い血流が顔に昇っていくの自分でも分かるのであった。
「オマエは、教師のくせに真嗣のことを苗字ではなく下の名前で呼んでるのか?」
「そうだよ。真嗣くんとは休みの日になると、よく競馬場に行くんだよ。本当に真嗣くんって競馬に詳しいね。この前も競馬場でさー。」
そして、あかりはカレンに真嗣との競馬場での出来事を語りだす。
しかし、その内容にカレンは怒りすらも覚えるのであった。
幼い頃から騎手を志してものの、成長期を入り身長が伸びすぎてしまったために夢を諦めてしまったこと。祖父の仕事を手伝い、それが日常化していたため馬体だけで馬の調子を判別できる事。
あかりの語る真嗣とのエピソードは幼なじみであるカレンにとって全て昔から知っているようなものだった。それにもかかわらず、まるで自分だけが真嗣の競馬に対する愛情の全てを知っているかのような口ぶりなのだ。
「まあ、でも、騎手の夢は諦めざるを得なかったけど、背が低いと女の子にモテないから、真嗣くんも結果的に背が伸びてよかったんじゃないの? 実際、真嗣くんのことを狙っているクラスの女の子もいるみたいだし。そういうわけで、真嗣くんは関西に引っ越してきて楽しく学園生活を送っているようだからカレンちゃんは心配しなくていいよ」
そして、そのひとことでカレンの激情は堪えきれないほどの沸点にまで達する。
「オマエに真嗣に何が分かるのだ! あいつは競馬学校の規定に身長を超えそうになった時に摂食障害を起こしてしまうほど精神的に追い詰められていたんだぞ! 挙句の果てには成長を止めるために自ら睡眠時間を削ろうとして入院騒ぎまで起こしたんだ! よく身長が伸びてよかっただなんて言えるな!」
それはカレン自らも驚くほどの大声だった。しかし、それでもカレンは声を叩きつけず
にはいられなかった。
しかし、そんなカレンの激情を目の当たりにしてもあかりは動揺する事はない。慈母の
ような穏やかな表情を崩さないどころか、さらに目を細めて、カレンに対して微笑みかけ
るのだった。
「ふーん。本当にカレンちゃんは真嗣くんのことが大好きなんだ……」
「べつにカレンちゃんはあいつの事なんて好きじゃないのだ! 勘違いするななのだ!」
「でも、真嗣くんと話をするためにわざわざ学校まで尋ねてきたんでしょ?」
「それはあいつが手のかかる弟みたいなものだからなのだ! とにかく、あいつは競馬に携わっていないとダメなのだ! だから、うちの牧場で働くのが一番なのだ!」
「それだったら、もう一度、真嗣くんと話し合ったほうがいいんじゃないの?」
「でも、カレンちゃんは真嗣を怒らせてしまったのだ。だから、無理なのだ」
そして、カレンは再び黙り込み、顔を伏せてしまうのであった。
すると、その様子をみていたあかりは、くすりと小さな笑みを漏らす。
「それじゃあカレンちゃん。お姉さんが真嗣くんと仲直りする方法を教えてあげようか?」
「そんなことができるのか?」
それまで伏せていた顔をあげて、あかりの顔を覗きこむカレン。
「ええ。もちろん」
あかりは穏やかな笑みで頬をゆるめながら、頷くのであった。