豪山ファーム
「それじゃあ、このコ……カレンちゃんは宇高くんの幼なじみなの?」
「はい。俺のジイちゃんが働いていた牧場の代表の孫娘がカレンなんですよ」
思わぬ再会となった真嗣とカレン。
あかりは気を遣って部外者であるカレンも校内にある談話室に招き入れてくれるのだった。
「カレンちゃん、かわいいわね~。お姉さんがジュースおごってあげるわよ。何が飲みたいの~?」
典型的な猫なで声でカレンに接するあかり。
「カレンちゃんはブラックコーヒーでいいのだ」
「へ~。カレンちゃん、その年齢でコーヒーが飲めるんだ。すご~い。でも、ブラックコーヒーってお砂糖もミルクも入ってなくて苦いんだよ。カフェオレのほうが甘くて美味しいよ」
すると、カレンは目を剥いて声を荒げる。
「うるさいのだ! カレンちゃんは大人なのだ! ブラックコーヒーくらい飲めるのだ!」
そして、真嗣はぽかんとした表情で面食らっているあかりにそっと耳打ちをする。
「先生、こいつはこんなちんちくりんな見た目ですけど、中学生なんですよ。小学生じゃあないんですよ」
「うそぉっ?」
素っ頓狂な声をあげるあかり。
「本当です。年齢も俺とひとつしか変わらない中学3年生なんです」
まあ、あかりが困惑するのも無理はない。背も低く赤ん坊のようなぷにぷにのほっぺた。カレンは見た目だけなら完全に小学生。ランドセルを背負っていたとしても何の違和感もない容姿のだから。
そして、ブラックコーヒーを買ってもらったカレンは、円卓の周りに置かれているイスにドカッと座り込む。
「宇高くんはなに飲むの?」
「それじゃあ、イチゴミルクでお願いします」
「イチゴミルク? 宇高くん、甘いものはそんなに好きじゃなかったんじゃないの?」
「ええ。でも、今回はそれでいいんです」
訝るあかりを余所に、真嗣はイチゴミルクを手に持ってカレンの正面のあるイスに座るのだった。
「それで、俺の妹とまで嘘をついて学校にまで来て、いったい何の用なんだ?」
露骨に眉間にシワを寄せながら、ぶっきらぼうに問いかける真嗣。
「べつにカレンちゃんは嘘をついていないのだ。あのオッサンが勝手に妹だと勘違いをしただけなのだ。それに、何の用かはオマエが一番よく分かっているだろう!」
その幼い容姿とは不釣り合いな不遜な態度で唇を尖らすカレンに、真嗣は盛大にため息をつくのであった。
「オマエ、いい加減にしろよな……」
「いい加減にするのは、真嗣のほうなのだ!」
そんな、不毛な会話をくりかえしていると、あかりがにこやかな笑顔で横から割って入ってくる。
「ほらあ、宇高くんもカレンちゃんも幼なじみで久しぶりの再会なんでしょう。そんな仏頂面しなくていいじゃない」
重苦しい空気を払拭したかったのだろう。あかりは円卓の上に置かれたカレンのスマホのストラップに着目する。
「へえ~、カレンちゃんのストラップ、レッドベルリンじゃん。お姉さんもちょうど今週の天皇賞でレッドベルリンを買おうかと思ってたんだよ。気が合うね~。カレンちゃんはレッドベルリンのファンなの?」
「べつにファンじゃないのだ!」
「それだったら、なんでつけてるの?」
「うちの生産馬のグッズだからつけてるだけなのだ!」
そう憮然と言い放つカレン。
それに対してあかりはきょとんとした様子で驚き、目を丸くする。
「レッドベルリンは日本一の豪山ファームで生産馬。ということはカレンちゃんの実家の牧場って――」
「先生、こいつは豪山ファーム代表の孫娘なんですよ」
真嗣は横からそっと伝えるのだった。
「そういうことになるわよね? えっ? ちょっと待って! それじゃあ、宇高くんが少年時代を過ごした牧場っていうのも豪山ファームなの?」
「まあ、そういうことになります」
日本のみならず海外の大レースも毎年のように制し、いくつもの牧場を始めとした関連会社を有している豪山ファームは、従来の競走馬の生産・育成・販売のみとどまらず、今ではさまざまな多角的事業を展開している。とくに創業者であるカレンの曽祖父は馬産業界のみならず、近代競馬史を語るに於いて決して外すことのできない偉人と表現して過言ではない。
そして、真嗣の祖父が働いていた牧場こそが、その豪山ファームなのであった。
「なんだ。真嗣。オマエはそんな事も周りに言っていないのか?」
真嗣とあかりのやりとりを見ていたカレンが不服そうな視線でねめつける。
「言う必要がなかったから、言わなかっただけだよ。それに、競馬の世界で豪山ファームの名前は絶対だけど、世間一般ではそこらのひな壇芸人以下の知名度しかないんだよ」
「まあ、いいのだ。今はそんな話をしに来たわけではないのだ」
そして、カレンは紙コップに口につけて、ブラックコーヒーをぺろりと舐めてみる。
その瞬間、大きな目をさらに大きく見開いて、ゲホゲホと咳き込むのだった。
「大丈夫? カレンちゃん」
心配したあかりが声をかける。
「大丈夫なのだ。カレンちゃんは大人だからブラックコーヒーくらい平気で飲めるのだ! むしろこの苦さが心地よいのだ!」
そんなやりとりを見ていた真嗣もイチゴミルクが入った紙コップに口をつける。
「あー、カレン。久しぶりに甘いものが飲みたくなって買ってみたけど、これ、やっぱり俺には甘すぎたみたいだ。交換してくれないか?」
カレンの手元に自らのイチゴミルクを差し出す真嗣。
「ふん。仕方がないのだ! カレンちゃんはブラックコーヒーが飲みたかったけど、真嗣がどうしても飲みたいと言うのなら交換してあげるのだ! カレンちゃんの寛大な心遣いに感謝するのだ!」
すると、カレンはすぐにイチゴミルクを手に取り、その甘さに舌鼓を打ち、満面の笑みで飲んでいくのだった。
〝やれやれ、こいつは変わってないないな〟
心の中で真嗣はため息をつくのだった。
「それで、真嗣。オマエはいつこの学校をやめるのだ?」
しかし、イチゴミルクを飲み干すと、カレンは先程までと同じような仏頂面をつくり、無遠慮な質問を繰り返すのであった。
「だから、言ってるんだろ。俺は高校に入学したばかりなんだ。やめるわけないだろ」
「なにチャラくさいことを言っているのだ! オマエは将来うちの牧場で働くのだろう。だったら、一日でも早いほうがいいのだ! とっとと、こんな学校などやめて北海道に来るのだ!」
一方的に自分の言いたい事ばかり述べるカレンに、真嗣は片頭痛すら覚えてくる。
「あのな、たしかに厩務員や調教助手になることを考えたら、豪山ファームで働いたあとに競馬学校の厩務員課程に入るのが一番いいだろう。でも、今のところ俺はそんな気がない」
「はあ? それじゃあ、どうするつもりなのだ? まさか大学にいってサラリーマンになるのか?」
「その可能性だって充分ある」
「ふざけるな、なのだ!」
勢いよく握りコブシを円卓に叩きつけ、声を荒げるカレン。
「そんな、つまらない人間になってどうするつもりなのだ! オマエは競馬から足を洗うつもりなの?」
「べつにそうは言ってないだろ」
「だったら、さっさと退学届けを書くのだ!」
「だから、言ってるだろ。俺は学校をやめる気はないって!」
「なにが不満なのだ? 給料を含む待遇だってチーフクラスのものを用意してやるぞ!」
「だから、そうじゃないって言ってるだろ! それに、俺みたいなやつにチーフクラスの給料をやるくらいなら、いま働いてる従業員の待遇をあげてやれ!」
こちらの感情などまったく理解しようともせずに、ギャーギャーとうるさい金切り声を上げ続けるカレンとの押し問答に、真嗣は次第に苛立ちを感じるようになってくる。
「ほら。ふたりとも落ち着いて! 年下の女の子にそんな言葉を使うなんて宇高くんらしくないじゃない。そんなのじゃ、まとまる話もまとまらないでしょ?」
それまでプライベートな話題なだけに静観を貫いていたが、さすがにヒートアップする二人をみかねたのか、助け舟を出してくれるあかり。
しかし、真嗣のほうはそれで一旦、大きく息を吐いて平静を取り戻そうとするのだが、カレンはまるで威嚇する猫のように目を吊り上げて、あかりを睨みつけるのだった。
「そうか。この女なのだな!」
そして、持っていたカバンの中に手を突っ込む。
「まったく……。真嗣は仕方がないのだ。お子様で免疫がないから、こんなくだらない女にひっかかってしまうのだ」
カレンがカバンの中から取り出したのは1万円札だった。しかも1枚や2枚ではない。ずっしりと質量を保ったその札束には、帯封と呼ばれる紙テープが巻きつけられているのだった。
「ほら! これをやるから、さっさと真嗣から手を引くのだ! 失せるのだ! このズベタ!」
そして、その札束をあかりの顔面めがけて投げつけるのであった。
「なにやってるんだ! おまえは!」
血が逆流するような激しい怒りが、一瞬で真嗣の激情を沸騰させる。
気がつけば、胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いでカレンに詰め寄っていたのだった。
「いい加減しろ! 今すぐ先生に謝れ!」
「うるさいのだ! 真嗣が言うことを聞かないから悪いのだ! カレンちゃんは悪くないのだ!」
「ふざけるなッ!」
それまで出来るだけ平静を保とうとしていた真嗣の頭に血が昇った事によって、話し合いはお互いを罵る言葉のみが飛び交う泥沼の様相を呈する。
そして、ついに我慢の限界に達した真嗣は激情の赴くままに言葉を叩きつけるのであった。
「いいか。俺は学校をやめる気なんかない! たとえ牧場で働く事になったとしてもオマエのいない場所……豪山ファーム以外の牧場で働く! それが分かったなら、さっさとここから出て行けッ!」
その言葉を聞いた瞬間、「うっ……」と言葉を詰まらせるカレン。そして、両肩と眼球をふるわせながら下唇を噛みしめる。やがて、うるんだ眼球に張り詰める透明の膜は、限界まで膨れあがって零れ落ちそうになるのだった。
「うるさいのだ! バーカ! バーカ! 真嗣のおたんこなす! カレンちゃんは悪くないのだ!」
乱暴にそう言い放ったカレンはそのままダッシュで談話室を出て行き、姿を消してしまうのだった。
取り残された真嗣は立ち尽くし、荒くなった呼吸を整えるため瞼を閉じて深呼吸をくりかえす。
「すいません、先生。俺の幼なじみが失礼なマネをして」
そして、あかりに謝罪の言葉を述べ、頭を下げるのであった。
「ううん。わたしの事は別にいいの。それよりも宇高くんとカレンちゃんの事をもっと詳しく聞かせてほしいな」
「さっきも言ったとおり、あいつは日本一の牧場・豪山ファームの代表の孫娘なんですよ……」
そして、真嗣はカレンと自らの関係をあかりに語りだす。
小学1年生の時に父親の海外赴任に伴い、共に豪山ファームの従業員で、家族寮で暮らしていた祖父母のもとに預けられる事になった真嗣。
年齢も近く、同じ牧場の敷地内で暮らしている事もあり2人はすぐに仲良くなった。
真嗣は学校から帰ってくると遊びにも行かずに祖父の仕事を手伝わせてもらったり、騎手になるための稽古をつけてもらうなど、競馬と競馬に携わる者たちの生きざまにのめり込むようになっていく。
そして、それはカレンも同じだった。
クラスで流行っているゲームやアニメよりも、ふたりは馬の接している時のほうがはるかに楽しかった。馬の世話に夢中になるあまり、馬房で寝てしまい一夜を過ごしてしまう事もあったほどだ。
しかし、成長するにつれ真嗣の体格は、身軽さを要求される騎手には不適格だということを認識させられる。そして、中学2年生の時に海外赴任から帰ってきた父と共に暮らすため真嗣は北海道を離れたのだった。
「それから、中学を卒業する時になったら何度も豪山ファームで働けって誘いは受けていたんですけど、断わっていたんですよ。それでも、最近は何の連絡もなかったから諦めたのかと思ってたんですけど、あの有り様で……。あいつが先生に失礼な事を言って、すいません」
「ううん。わたしは別に気にしてないからいいよ。でも、さすがに、このお金は返しておきたいんだけどな」
あかりはカレンに投げつけられた札束を手に取って苦笑する。
「それは俺のほうから返しておきますよ。連絡先を知っている豪山ファームの関係者は何人かいますし」
「ありがとう。そうしてくれると助かるわ。ところで北海道に住んでいるカレンちゃんが、わざわざ大阪にいる真嗣くんのところまで尋ねてきたのは、どうしてなのかしら?」
「今は春のGⅠシーズンで、今週は京都競馬場で天皇賞もおこなわれますからね。豪山ファームの生産の出走馬を応援するために、この時期、しょっちゅう関東や関西の競馬場に遠征しているから、そのついででしょう」
「ふーん。それじゃあ、なんでカレンちゃんはチーフクラスの待遇まで用意して、宇高くんを引き入れようとしたのかしら?」
「あいつは見てのとおり、わがままで口を悪くて競馬のことしか興味がないやつだから、同年代の友達が少ないんですよ。だから、自分勝手に言いたい放題できる人間を手元に置いておきたいんでしょう」
呆れたような物言いの真嗣。
「ふーん。宇高くんの中ではそういう認識なんだ」
しかし、あかりは穏やかなほほえみを浮かべながら、そんな真嗣をみつめているのだった。