エピローグ:季節の終わりに
九月も終わりに近づいた頃、蒼一郎は原稿を書き上げた。題名は『季節の終わりに』。この山路館で過ごした数ヶ月の記録であり、そこで出会った人々への鎮魂歌でもあった。
一紀の展覧会は、予想以上の成功を収めた。多くの来場者が山路館に宿泊し、中には芸術家の卵たちも現れ始めた。千世の息子が描いた夢は、少しずつ形になりつつあった。
「東京に戻るんですか?」
灯子が、蒼一郎に尋ねた。庭には、秋の気配が漂い始めていた。
「ええ。この原稿を、出版社に持ち込むつもりです」
蒼一郎は、空を見上げた。
「でも、必ず戻ってきます。ここには、僕の魂の原点があるから」
灯子は、静かに頷いた。その瞳には、これから始まる何かへの予感が宿っていた。
出発の朝、千世が駅まで見送ってくれた。
「浅見さん、ありがとう」
千世の声には、深い感謝が込められていた。
「息子の夢を、こうして形にしてくださって」
「いいえ、僕こそ感謝しています」
蒼一郎は、心からそう答えた。
「芸術家には、温泉と時間が必要――その言葉が、僕を救ってくれました」
列車が動き出す。窓から見える温泉街の風景が、少しずつ遠ざかっていく。しかし、それは決して別れではなかった。
むしろ、新しい季節の始まりだった。
(了)