第九十六話
ファーレンハイトは、母親に似ず優しい性格の持ち主だった。そして自分が皇太子になることは、小さな頃から自覚していた。
そもそも皇帝になるには、『竜紋』がないとダメだったからだ。アレクは正妃の子でありながらも、『竜紋』がなくその資格がなかったころから、生まれた時から『竜紋』がある自分が皇太子になることは、周知の事実であったことも関係していた。
そんなファーレンハイトは、アレクのことを気の毒に思っていた。アレクの母であるベアトリスが亡くなってからの、ヨゼフィーネのアレクに対しての当たりが酷すぎたからである。
何度か見かねてアレクに食べ物をあげたことがあるのだが、それを知ったヨゼフィーネは、ちゃんと見ていなかったからだと、ファーレンハイトに仕えていた従事やメイドに叱責したり解雇にするなど、ファーレンハイト自身ではなく、周りの者に責任転嫁し処罰したのだ。このヨゼフィーネの理不尽な対応に、ファーレンハイトはアレクに近づくことができなくなってしまった。
『僕がアレクを助けてしまったら、メイド達が怒られて、クビにされちゃう・・・ごめんねアレク・・・』
手を差し伸べたくとも、それをすることで自分の周りの者に迷惑をかけてしまうと知ったファーレンハイトは、アレクのことを見て見ぬふりをしなければならなくなってしまったのだ。幼いファーレンハイトは心を痛めていた。
だけど、しばらくたった頃、アレクが明るい表情をしていることに気が付いた。庭で楽しそうに剣の稽古をしており、それはファーレンハイトが初めて見るアレクが鍛錬している姿だったのだ。
『アレクが笑ってる??』
今まで見たアレクの様子は決して明るいものはなく、唯一嬉しそうな表情を見せてくれたのは、自分が食べ物を持って行った時に、はにかみながら「兄上、ありがとう」と言ってくれた、その時以来だったのだ。
そしてそれからも、話しかけることはできないけども、アレクの様子を伺っていると、以前よりも明るい表情をしているアレクを見て、ファーレンハイトは少し安心していた。そしてアレクの様子が変わったのは、叔父のラムレスが関与していることがわかった。
『よかった・・・僕では母上に逆らえないけど、叔父上がでてきてくれたのなら安心だ』
ヨゼフィーネは、ラムレスが苦手だった。身分的にも皇帝の弟という立場から強くでられない相手だからだ。ファーレンハイトはアレクがラムレスに保護されたことを、心からよかったと思っていた。
ところが、しばらくしてからいつの間にかアレクを見かけなくなってしまった。
『どうしたんだろう?最近めっきりと見なくなったな?庭で鍛錬もしていないようだし・・・』
不思議に思っていたが、その疑問はその後判明した。
「アレクが失踪??!」
まさかのことにファーレンハイトは驚いた。
「父上や母上は一体何をしてるんだ?」
ファーレンハイトがそう思うのは当然で、仮にも一国の皇子の失踪なのに、そういったことを一切感じさせないほど王宮はいつもと変らない様子だったからだ。ファーレンハイトは、叔父であるラムレスならば何かを知っていると思い、すぐに叔父であるラムレスに連絡をとった。そしてラムレスから語られたことは、思ってもみないことだった。
「その件について、箝口令敷かれている」
「い、一体どうしてですか!!??」
ファーレンハイトは、驚きのあまり、聞き返さずにはいられなかった。
ラムレスはファーレンハイの目を見据え、真剣な表情で言った。
「・・・今から言うことは他言無用だ」
「叔父上、わかりました。僕は絶対に誰にも言いません。もちろん母上にも」
その言葉にラムレスは頷いた。そしてラムレスの口から語られたことは、ファーレンハイトが、信じたくないものだった。
「・・・母上、どうしてそんなことを・・・」
語られた内容は、ヨゼフィーネがアレクに対し、今までの虐待だけでは飽き足らず、ついに命まで狙ったこと、そしてアレクは魔の手から逃げるために国から脱出し亡命してしまったことをラムレスの口から語られた。だからアレクを見かけなくなったと。
ファーレンハイトはあまりにもアレクが不憫であること、そして執拗にアレクを狙う自分の母親のことが信じられなかった。
「ただでさえ、アレクには可哀想なことをしてきたのに、命まで・・・っ母上なぜ!」
話を聞いたファーレンハイトの目には涙が溢れていた。
「そういうことだから、箝口令が敷かれている」
「で、ですが、それならば、母上は処罰されなければいけないのではないですか?!」
ファーレンハイトは実の母でも、罪を犯しているのならば、償うべきではと言ったが、ことはそう簡単ではなかった。
「ファーレンハイト、将来の皇帝であるお前がそう言ってくれるのはうれしい。だが、」
「だが?」
「ヨゼフィーネは、その将来の皇帝である生母なのだ」
「あ!」
ラムレスの言わんとすることがファーレンハイトにはわかった。第二夫人とはいえ、皇族であること。そして自分は将来の皇帝と言われていること。
「国母を処罰するわけにはいかんのでな・・・」
それを聞いて、ファーレンハイトは愕然とし、膝から崩れ落ちた。何もしていないアレクは虐げられ、そして命を狙われたのにも関わらず、国母というだけで罪を免れるのかと、
「そんなことが・・・」
そんなことがまかり通る、なんと皮肉で理不尽なことなのだと、ファーレンハイトは思わずにはいられなかった。




