第四十四話(アレクの過去④)
それから数年が経ち、アレクは皇子という身分であるにも関わらず、あれからも酷い扱いを受けていた。
境遇は以前よりも改善どころか改悪しており、一日一食の食事内容も、より酷いものになっていた。日が経ち過ぎて、固くなったパンは当たり前。薄まったスープに、残り物まる出しの切れ端のハムなど。使用人の食事内容にも劣るものになっていた。
そして王族としての教育も、以前は少なくなったとはいえ、学べることはあったのだが、それすらも今となってはなくなってしまった。バルダザールがアレクに関心がないことをいいことに、ヨゼフィーネがそれらを辞めさせたからだ。
「『竜紋』がないような皇子には無用な教育。人件費もタダではなくてよ。」
ヨゼフィーネはそう言って、アレクをとことん窮地に追いやっていった。
ヨゼフィーネがここまでアレクに執拗に嫌がらせをするのは、亡きベアトリスの存在が大きかった。元々、侯爵出の自分が側室であることに不満を抱いていた。そして爵位が自分よりも劣っているのに、バルダザールの寵愛を一身に受けていたベアトリスが憎かったのだ。
ベアトリスがいなくなり、自分に向くかと思っていたバルダザールの寵愛は、亡くなったあともベアトリスのみに注がれていることを、ヨゼフィーネは憎々しく思っていた。だけど憎むべきベアトリスはもういない。行き場のない嫉妬は、ベアトリスの子であるアレクに嫌がらせをすることで、ヨゼフィーネの鬱憤を晴らしていた。完全な八つ当たりである。
だがその憎悪は、嫌がらせをするだけでは、気がすまなくなってしまったのだ。
ヨゼフィーネは嫌がらせをするも、アレクとは臣下を介してか、その様子を知らなかった。直接会ったのは、部屋を変えると公言した時のみだったのだ。そしてふと、今のアレクの様子を自分の目で確かめたくなり、こっそりとアレクの様子を見に行った。
『ふふ、あれだけしたのだもの。さぞみじめに怯えて暮らしているんでしょうね。』
なんとも悪趣味だが、蓋を開けてみればヨゼフィーネの思惑通りではなかった。
「?どういうこと?部屋にいないじゃない?あの子はどこにいるの?」
てっきり自室にいるものと思っていたが、部屋にいないアレクを不思議に思い、臣下に聞いたところ、
「アレク殿下は、その・・・恐らく、庭にいらっしゃるのではないかと・・・・」
「庭?」
臣下が窓の方を示すと、そこから庭が見えた。そしてそこにはアレクがいた。
「一体なにを?」
窓から見えたアレクの様子は、
「三百回、三百一、三百二・・・」
木刀を持って、ずっと素振りをしていた。アレクは部屋でじっとしているわけではなくて、自主的に鍛錬をしていたのだ。そしてその目は諦めたような弱者の目ではなく、今を必死で生きようとしている生気ある眼差しだった。
てっきり、アレクは打ちひしがれている様子だと思っていただけに、これはヨゼフィーネにとって、想定外だった。
「なっ!ちょっとどういうことなの?説明なさい!」
臣下は遠慮がちに、冷や汗をハンカチで拭いながら説明した。
「それが・・最近のことですが、王弟のラムレス様が、アレク殿下に直々に稽古をつけてるとお聞きしております。その一環で、今も自主的に鍛錬されているのではないかと・・・」
「王弟ですって!!」
「は、はい」
「なぜ、報告しなかったの?!」
「そのつもりではいたのですが・・・ラムレス様から。『この程度のことでいちいち報告するな』と仰られまして・・・申し訳ありません・・・」
「!!・・・・・舐めたまねを!!!」
バキィイイ!!!
「ひっ!」
ヨゼフィーネは全く予想していなかったことに怒りのあまり、持っていた扇を真っ二つに割ってしまった。
「これはこれは、麗しの。第二夫人が私になんの用ですかな?」
ヨゼフィーネは早速、王弟のラムレスを後宮に呼び出した。ラムレス・フォン・リンデルベルク。バルダザールの実の弟である。彼も『竜紋』があり、黒髪の短髪でグレーの瞳を持つ、美丈夫であった。王弟でありながら、外交官をしており、国外にいることが多い生活をしているが、国に戻った際に、アレクの現状を知り、こっそりと支援していたのだ。
「・・・わかっておいででしょう?アレクシス・・・アレクのことです。」
「私の可愛い甥っ子ですな。それが何か?」
「端的に申し上げますけれど、あの子は私が陛下から直々に面倒を見るように仰せつかってますの。ですから、余計な真似はしていただけないでくれます?」
「ほう・・・余計な真似とは?」
「あら?皆まで言わないとご理解いただけませんか?」
「ええ、全く。」
ラムレスのわざとらしい物言いに、ヨゼフィーネはイライラしていたが、そこは挑発に乗るまいと理性を総動員させていた。
「先ほども申し上げましたが、アレクのことは私が一任されていますの。ですから出しゃばらないでいただきと、アレクに関わらないでほしいと言ってますの。これはお願いではなく、決定事項ですの。ラムレス殿下おわかりいただけたかしら?」
ヨゼフィーネは、暗に逆らうなとラムレスに告げていた。しかし、相手が悪かった。
「ほう。側室如きが、私に命令だと?」
ラムレスが放った声色は先ほどとは違い、ドスの利いた声だった。これにはヨゼフィーネも焦りを見せた。
「め、命令でありませんわ。ですから王命にも等しいと。そういう意味ですわ。」
必死で取り繕ったが、ラムレスから返ってきた言葉は、思いも寄らないものだった。
「陛下にはちゃんと許可は取ってある。」
「え?」
「だから、陛下に兄上からは許可はとってある。久しぶりに会えた甥っ子だからな。構っていいかと聞いたら、好きにしろ。とな。」
「そんな!?」
「そんな驚くことか?普通に叔父と甥っ子が戯れることくらい、平民でもやってることだろ。」
「で、ですが、私の教育方針が「はっ」」
ヨゼフィーネが全部言い切らないうちに、ラムレスがそれを遮った。
「教育方針ねぇ。何もされていないように見受けたが?」
「くっ・・・」
今まではヨゼフィーネの職権乱用ともいえる暴挙を誰も諌めることはできなかった。唯一できるのは、皇帝であるバルダザールだが、バルダザールはアレクをいない者のように扱っていたことから、誰もどうすることができなかった。
しかし、ラムレスが外交から帰還し、アレクの現状をしるや否や、保護せんとばかりに動き出したのだ。ヨゼフィーネにすれば、ラムレスは目の上のたんこぶとなってしまったのだ。




