鏡よ鏡よ加賀美さん
「ねえねえカンナ『加賀美さん』って知ってる?」
と、私の前の席で2人の女子がそんな話を始めた。
「あ~なんか最近流行ってるよね。あれでしょ?夜中の12時に鏡の前で『鏡よ鏡よ、加賀美さん』とかなんとか唱えるってやつでしょ?」
「そーそー。私、それ昨日やったんだ」
「まじ?それで、なんか起きた?」
「いや、なーんも起きなかった」
「なーんだ、つまんな」
「加賀美さん」は、最近このクラスで流行っている遊びだ。夜中の12時ちょうどに鏡の前に立ち、
「鏡よ鏡よ、加賀美さん。毎日退屈なので、私とあなたの世界をとりかえっこしましょ」
と唱えると、鏡に加賀美さんが映り、加賀美さんのいる鏡の世界に行けるって言う……まあ、都市伝説的な噂よね。
「鏡の世界に行けるのは良いけど、でもその代わりに、加賀美さんに自分の体を奪われちゃうんでしょ?……ってことは、あんたもしかして……加賀美さんとか?」
一人の女子がそう聞くと、加賀美さんをやった女子はニヤリと怪しく笑った。
「ふふふ、バレちゃった?そうよ……私、加賀美なの」
「えっ、まじで?じゃあ、ほのかのスクバにさがってる、キラボ(キラキラボーイズ)のセイヤ君の限定キーホルダーもらっていい?加賀美さんはキラボなんてアイドル知らないでしょ?だったら私、それもーらお!」
「はっ!?ちょっ!?あげるわけないでしょ!?違う違う、私は加賀美さんじゃないよ!れっきとしたほのか!セイヤ君超推しのほのかです!」
と、2人はきゃっきゃと楽しそうにじゃれ始めた。
……あほくさ。
私は内心でそう呟きながら、席を立ってトイレに向かった。
◈◈◈
「ただいまー」
鍵を開けて家に入る。この家には、父母と私だけで住んでいるみたい。それと、私はどうやら一人っ子のようだ。
玄関そばの階段を上り、部屋の扉を開けた。
「あ、また間違えた。ここはお父さんの書斎だった」
そうひとりごちりながら扉を閉め、その隣の扉を開けた。今度はちゃんと、私の部屋だった。
「はぁ~……やっと、迷子にならずに学校に行き帰りできるようになった。それにしても、私の高校の頃とは全然違うわ。すまほ?も、未だに使い方がよくわかんないし……」
部屋に入るなり、私は制服のままベッドにダイブし、天井を見つめながら溜め息をついた。
するとふと、全身鏡が目に入った。こちらに背を向けて置かれた全身鏡。まあ、私がわざとそう置いたんだけども。だって、鏡を表に向けて置いてたら、あの子が煩いんだもん。
私はベッドから体を起こし、その全身鏡に近づきそして、その全身鏡の前に立つと、くるりと全身鏡を回転させて表をこちらに向けた。
すると、全身鏡に私の姿が映った。それだけだと当たり前のことだけど──違う。私は今、立った状態で鏡を覗いているけど、鏡に映る私は、体育座りをして頭を俯かせていた。格好も、今の私は制服を着ているのに、鏡に映る私は、パジャマを着ている。
コンッ。
と、ノックするように軽く鏡を叩くと、俯いて座っていた私はゆっくりと顔を上げた。私のことに気づくと、体育座りしていた私はばっ!と立ち上がって、向こう側から鏡をガンガンと叩き始めた。
「お願い!加賀美さん、私の体を返して!」
「しつこいわね。私は絶対に返さないって言ってるでしょ!それに、あんたが自分でこの体を手放したんでしょ?あんた言ってたじゃない『この世界はつまらないからもういらない。鏡の世界でも何処でも良いから行きたい』って。それと、私は『加賀美さん』じゃないから」
「そう……だけど。でも、鏡の世界がこんなに退屈でつまらないなんて知らなかったんだもん。それに、本当に加賀美さんがいるなんて……ただの噂って思ってたから……」
「理由はどうであろうが、あんたはもう取り返しのつかないことをしたの。ほら、こんなところにいないで、とっとと何処かに行きなさいよ。そんなにこの世界に戻りたいなら、私以外の別の体を探して奪いなさい。あんたのやった『加賀美さん』はまだ流行ってるし、他の鏡を覗いたら、あんたの同級生があんたと同じことしてるかもしれないし」
「嫌だ!!私の体を返して!!」
「はぁ~……っるさいわね~……」
そう言いながら私は机の方に行き、椅子を両手で掴んだ。そしてその椅子を持ち上げると。
ガッシャンッ!!!
私は鏡に映る私の顔面めがけて、椅子を思いきり振り下ろした。すると、鏡に映る私の顔は蜘蛛の巣のようにヒビが入った。
「もう、この体は私のものなの!諦めなさいよ!」
そう言いながら私は、椅子で何度何度も鏡を殴った。椅子を叩きつける度に、鏡の破片がボロボロと床に落ちていく。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
鏡を割る手を止め、椅子を下ろした。全身鏡は綺麗に粉々に割れ、床が破片まみれになっていた。
「これで少しは静かになるでしょ。まあ、他にも鏡はあるけど、覗かなきゃいいことだし。しばらくは、引き出しに入ってる小さい鏡も、お風呂場の鏡も覗かないようにしよう」
そう言って私は、手を切らないように鏡の破片を集めた。
ずいぶん昔から「加賀美さん」って遊びはあった。この子と同じ歳に、日々に退屈していた私は、半信半疑でその噂のものをやってみた。すると……今のこの子のように、誰かに体を奪われた。
それから今までずっと、たくさんの鏡が浮かんだり並んだりしているあの真っ暗な世界を、独りでずっと彷徨っていた。
そんなある日。たまたま覗いた鏡で「加賀美さん」をする、私と同い年くらいの女子が映った。その子が例の呪文のようなものを唱えると、視界が眩い光に覆われそして、気づいたら私の魂は、この子の体を奪っていたのだ。
「……悪いけど、あの鏡の世界にはもう戻りたくないの。だから、さようなら」
そう言いながら私は、鏡の破片を新聞紙に包んでごみ袋に入れた。
◈◈◈
それから私は、この奪った体で日々を送った。時々、周りの人たちが「性格変わってない?」って言ってくるけど、どうにかこうにか誤魔化した。ていうかまさか、この子の体が別の誰かに奪われてるなんて、誰も思わないだろう。
この体にも、そしてこの他人の生活にも慣れてきたそんなある日のことだった。
「あ、ひなこおはよ~……?」
朝、いつものように学校に行くと、私の下駄箱の前にこの体の主の友達……まあ、今は私の友達か、その子が立っていた。けど、なんだか様子がおかしいと言うか、頭を俯けてぶつぶつと独り言を呟いていた。
「……えし……」
「ん?なんか言った?」
「かえして……私の…を」
「返す?なにを──」
ぶつぶつ言う声が小さく、なにを言ってるのかよく聞き取れなくて。私がその子のそばに近づこうとした、時。
「返せええええ!!!」
急にその子は大声を上げながら、私に勢いよく向かってきて、そして。
ドンッ。
その子は私に体当たりしてきた。それと同時に、腹部辺りになにかがぶつかった……いや、なにかが刺さった。瞳を震わせながら視線を腹部に落とすと、私のお腹に包丁が刺さっていた。
「え?……え?なん……!もしかしてあんた……?」
「……それは私の体よ。返して」
虚ろな目で私を見ながら、その子は言った。
「ば、馬鹿じゃないの?これはあんたの体なのよ!傷つけたら、もうもとに戻れないかもしれないわよ!?う”ぅっっ!!」
ズブズブと、腹部に刺さる包丁がさらに奥に入っていく。不気味ににやつきながら、その子は握る包丁をぐりぐりと、執拗に私のお腹に刺していた。痛くて涙が出てくる。
「おねが……ごめんなさい、許してください。どうにかしてこの体を返します!だから、殺さないでください」
その子の体に寄りかかりながら、声を震わせて命乞いをした。けど。
「きゃっ!?痛っ!!」
その子は私の腹部に包丁を立てたまま、包丁から手を離し私の肩を掴むと、私を床に押し倒した。仰向けに倒れて私は頭を打った。するとその子は、仰向けに倒れている私に馬乗りになり、私の腹部に刺さる包丁を抜いた。抜いた包丁の先から、大量の血液が飛び散ったのが見えて戦慄した。
「やだ……やめて。殺さな……」
その包丁を両手に握り、その子は振り上げると。
「……かえして、私の体」
ぐじゅっ。
と、血塗れの包丁で私の左目を突き刺した。