薔薇の夢
自宅の扉を開けると、魔王さんはエプロン姿でフライパンを振っていた。
「……おかえり」
「……た、ただいま」
やっとの思いで、言葉を紡ぐ。それだけでどっと疲労感が襲ってくる。
頭がくらくらして、よたよたとリビングにたどり着くと、ソファに倒れ込んだ。
魔王さんの足音がする。どうやら料理の手を止め、ソファのところまでやってきたようだ。
額にひんやりとした手が当てられる。
「……熱はないようだな。疲労か?」
「……わかりません……」
「何か食べられそうか?」
「すみません、あまり食欲が……」
「そうか。無理するなよ。今日はゆるりと寝るが良い」
次の瞬間、体がふわっと宙に浮いた。
「へ?」
状況が把握できなかったが、魔王さんが……いわゆるお姫様抱っこをしているようだ。私を。
「え、あ、あの、下ろしてください」
恥ずかしさのあまり暴れそうになったが、手足に力が入らない。
慣れない環境で、思ったよりも体が疲れているんだろうか……。
「遠慮するな、寝室まで連れてってやる」
私は大人しく、魔王さんに身を委ねた。
「魔王さん……」
「なんだ?」
私って……ほんとは……だれなんでしょうか……
薄れゆく意識の中で、魔王さんに何かを問うた気がするが、返事は聞けなかった。
目の前に無数の薔薇が咲き乱れている。
むせ返るような香りに満たされた空間。
とても広いだが、きちんと剪定されている。
庭園の入り口には美しい薔薇のアーチが作られており、そこに私の愛しい人が立っていた。
「申し訳ありません、ここまでしていただいて」
私は彼のもとに駆け寄り、腰を折り礼をした。
こんなに美しい薔薇、用意するのも大変だったろう。
「気にするな。薔薇が好きだと言っていただろう?」
そういって微笑む彼に、胸が暖かくなる。
「本当に、……私がこのお庭をいただいてよろしいのですか?」
私は改めて庭を見渡した。
「ああ、誕生日の贈り物だ。庭師たちも喜んで剪定していた。お前のために素晴らしい園を作るのだと張り切ってたぞ」
そう言って、いたずらっぽく笑う。
本当に、この人はいつも私に優しくしてくれる。どうしてなんだろう。
私が……聖女だから?
利用価値があるから?
でなければ、私のようなただの小娘に、こんなに良くしてくれるはずがない。
そう思うと、胸がひどく痛んだ。
「……マナ!」
「え……?」
彼の声に振り返った瞬間、魔力の波に弾き返された矢が見えた。
矢は力なく庭の隅に転がる。
彼は、それを拾い上げ、忌々しそうに二つに割った。
矢の羽には金色の小さなリングがつけられている。間違いない。王から支給されたモノだ。国家認定の戦士にしかこれは扱えないことになっている。彼もそれを知っていた。
「この矢はあいつの……」
あいつ。それが誰のことかはすぐわかった。
「……俺ではなく、マナを狙っていた」
「嘘……!」
「お前の力を目印にするよう魔法がかけてある。この羽につけられている金のリングがあるだろう」
「は、はい」
「これに、特定の人間の持ち物から摂取したエネルギーを含ませれば、矢の的として使える。どこまでも追うことができる」
たしかに、彼ならば私の持ち物を手に入れるのは簡単だ。
でも……にわかには信じがたかった。
あの人がそんなことをするはずない……。
だってあの人は……。
だれより優しい人だから。
そこで映像は途切れた。
「気がついたか」
目の前に、魔王さんの顔のドアップがあった。
「ひゃい?!」
変な声が出てしまうと同時に、私は飛び起きた。
魔王さん……マジマジ見るとほんと美形なんだから、顔を必要以上に近づけないでほしい。
すっかり寝入ってしまった気がするが、今何時だろう。
時計を見ると、針は深夜2時を指している。
帰宅したのがたしか20時くらいだったので、7時間ほど眠っていたようだ。
視線を魔王さんに戻すと、手にタオルが握られていたことに気づいた。
「……寝汗がすごかったから、拭いていた。勝手にすまない」
気まずそうに魔王さんは視線を外す。
もしかして定期的に様子を見てくれてたのだろうか。
めちゃくちゃ面倒見がいい魔王だ。
「とんでもないです。ありがとうございます……」
「服はさすがに着替えさせていない。気持ちわるいならシャワーを浴びてくるといい」
シャワー。魔王さん、現代社会に馴染んでるな……
変なところに感心していると、お腹がぐぅと鳴った。
夕食を食べ損ねたので、お腹が空いている。
魔王さんはふっ、と笑った。
「もし、食べられそうなら粥も作っておいた」
「…食べたいです…」
「少し待っていろ」
魔王さんは立ち上がってキッチンのほうへ歩いて行った。
私は布団に突っ伏した。
変な夢だった。妙にリアルだったけど、相手の顔はぼんやりとして見れなかった。
男の人だったとは思う。
そして、私は相手に好意を抱いていた、ような気がする。
……私はそこで考えるのをやめた。
たかが夢だ。
考えても仕方ない。




