眠いので魔王とか知りません
「……こうして、お前にまた相見える日を夢見ていたぞ。マナ」
目の前に黒髪を靡かせた青年が出現した。
文字通り、突然、出現した。
黒いもやの中から。
自分の目の前で起こっていることなのに、状況がよくわからない。
ここは私のワンルームのアパート。
ベッドでうとうとと微睡んでいたところ、天井に謎の黒いもやがズズズと現れたのだ。
その黒いもやから謎の青年が這い出てきた。
青年の背中には、黒いコウモリのような翼。
頭にはツノ。
一昔前のハードロッカーみたいな、エナメル素材だと思われるツルツルした生地の服を纏っている。
「……」
私の頭には、はてなマークがいっぱいだ。
きっと残業続きのせいで、脳が疲れて幻覚を見てるに違いない。
明日の朝も早い。睡眠時間をなるべく確保せねば。
そう思い、掛け布団を頭からかぶった。
「ちょっと待てーい!!!!」
無情にも、布団は盛大に剥がされた。
青年の体から紫色のオーラが立ち上っている気がするが、たぶん、やっぱり、幻覚に違いない。
「忘れたとは言わせんぞ!」
なぜか青筋を立てた青年が私の肩を揺さぶり、がくんがくんと体が揺れる。
「……いやもう寝る……」
「寝かせぬ! 私はこの刻を665年待ったのだ!」
「あ、あの。人違いでは……?」
そもそも私の名前はマナではない。美結だ。
青年はこの世のものとも思えない妖艶な笑みを浮かべた。
「姿や名前が変わろうとも、貴様の魂の色は変わらぬ。さぁ、お前の魂を私に差し出せ」
「いや、だから、もう寝ます」
よくわからないことをぶつぶつ言ってる青年は放置しよう。
自分の睡眠の方が大事だ。
「寝かせぬと言っておろう!」
突然、部屋の中に、ごう、と風が吹いた。青年が風の中心に立ち、浮き上がる。風の音もうるさいし、声もうるさい。とりあえず出てって欲しい。
「もーうるさい! 寝かせて!!!!!」
そう言った瞬間、青年が部屋の隅に飛ばされた。
壁に激突するかと思われたが、激突する直前、彼の体を紫の光が包んだ。
よくわからないが、受け身みたいなオーラだと思った。
そして、彼はひどく驚いたような表情でこちら見ている。
「なっ……なんという聖なる力……。くっ! 結界を張られたか……。
今日のところはこれで下がるが、また来る」
「来なくていい!」
青年の姿が半透明になって消えたのと同時に、私の意識も闇に溶けた。
----
「……変な夢を見た気がする」
窓からは既に朝日が差し込んでいた。
朦朧とする頭で目覚ましを止めたあと、私はぼんやりと昨夜のことを思い出した。
リアルだったけど、とっても変な夢。
羽の生えた青年が665だか666がどうたらこうたら……。考え始めた途端、頭がズキッと痛む。
ここ数日、納期に追われて寝不足なのだ。
昨夜もよくわからない夢のせいで睡眠が中断された。
そのせいか頭がひどく痛い。
しかし頭が痛くても会社を休むわけにはいかない。残念ながら私は社畜である。頭痛薬に手を伸ばし、私は出勤準備を始めたのであった。
「ミユ、顔色悪るぅーい」
「お互い様だよ」
会社に着くと、隣の席のレイナが人の顔を見るなり失礼な一言を言う。
レイナも連日の終電帰りで、肌荒れしているのが一目でわかる。
それでも徹夜にならないだけマシだが、もっと納期が迫ったらそうも言ってられなくなるだろう。
「次の納品終わったら、今度こそ転職考えないとなー」
レイナがボロボロの爪を眺めながら呟いた。
彼女は私と違って美意識が高い。
ちゃんとネイルサロンに行っているのにすぐに爪がダメになる、と言っていた。
きっと、忙しくて鬼のようなタイピングをするからだろう。
彼女の言うとおり、こんなブラックでちっぽけなソフトウェア開発会社勤務では、夢も希望もない。
早く転職するか、寿退社したい。
そうは思うが出会いもない。
会社の人は既婚者が多いし、若い子はすぐにメンタルが潰れて休職していく。
運良く社外の人と出会ったところで、そもそもいつ呼び出しが来るかわからないので、予定が合わない。
「どこかにいないかな……。寿退社させてくれる人」
つい口から出てしまった一言に、レイナが苦笑しつつ相槌を打った。
「王子様でもアラブの石油王でも魔王様でもいいから、この状況から攫って欲しいよね」