1章 陽気に始めよう。何事も…… 009
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魔大陸。
魔属なる者どもが世界を蹂躙してのち作られた、魔属のための理想郷。
暴力のみが支配する終わりかけの世界。
そんなこの世界は現在、大きく分けて四つの勢力によって分断されている。
北部を支配する、悪魔属。
南部を支配する、龍属。
西武を支配する、魔獣属。
東部を支配する、亜人属。
世界の覇権を握った魔属たちは、各々の成り立ちの相違から、お互いを忌み嫌い。
そして、どの種属が魔属、ひいては魔大陸を統べるに相応しいかの戦争を始めている。
血で血を洗う、終わりのない闘争。それが百年以上も続いているのだった。
……
…
「ふぅ……」
東部を支配する魔王。ヴァティ・パールは、小さく息を吐く。
魔王に相応しい禍々しくも立派な玉座に足を組んで座り、頬杖をついている。
亜人属の今後を憂いて、小さいながらも深いため息を零したのだ。
目の前には、ヴァティを挟む様に、腹心であり盟友でもあるダークエルフの双子。ドゥールーにカーリーが屹立し。
玉座の前には、首を垂れて傅く七曜闇武のメンバーが四人。その四人のすぐ後ろに、膝をつくどころか無作法に突っ立ている男が一人。もっと言えば、暇そうに後ろ手を後頭部に回してあくびまでしている。
この男は、ドゥールーとカーリーの発案により、龍属の因子を組み込んで創造した亜人生命体で。対魔属のための亜人側の秘密兵器……に、なる予定なのだが。
失敗作という言葉が頭をよぎり「チッ」、と誰にも気付かれない位の小ささで、ヴァティは舌打ちをした。
布一枚だった見窄らしい格好ではなく、軽装鎧などを装備させてもらった様で。今は、それなりに亜人属に相応しい見てくれにはなっている、が。
先だって、自身の胸を揉んだことも思い出されて、ぶり返す怒りに額の青筋がピクピクと脈動するのを感じるヴァティ。
しかしそれは、胸の奥に飲み込んだ。
「大体は分かった。それで、地盤沈下の原因は、龍属の攻撃とは関係ないんだな?」
ヴァティは体勢を崩さずに、ドゥールーの方へと視線を向ける。
「ですかねー。今の所……です、ヴァティ様」
「エヘヘー、沈下した砂を霊視したんですけどー。龍属が暴れた場所では、はっきりと龍属特有の魔力残滓が見て取れたのに、地盤沈下した場所では一ミリも残滓は確認できなかったです、ヴァティ様」
カーリーは敬礼でもする様に額に手の庇を作り、ドゥールーの話の補足をした。
「そうか……分かった。龍属の仕業でないというのならば、そちらの優先度は今は下げて良いだろう。
――では、ヴィジューにアナハタ」
「はい、ヴァティ様〜」
「はっ、御身の前。前に、この不祥アナハタ……」
「うむ。そうだな、その……ソイツの、どうだ? 二人とも。その……」
ヴァティは片手をヒラヒラと泳がせ、肩首をクイっと上げた。そして、無作法に突っ立ているだけの男に、目線を向けるのだ。
ヴィジューにアナハタはその視線の先へと誘導される様に、自らの後方を振り返る。
そこには、直立不動を命じたはずの龍属の尻尾を持つ新入りが、腕を後頭部で組んで実に暇そうにあくび。さらに、片足に体重をかける様にして、腰をくの字に折り曲げているのだ。
その瞬間。
二人は目にも止まらぬ速さで、その尻尾の男。シーヴァと呼称された生体兵器の頭を、ガシッと掴んで。直ちに床に沈めた。
「あは〜、申し訳ございませんヴァティ様〜」
「いや、いや、本当に。これは、これは、なんというか……」
冷たい床に突っ伏されたシーヴァは、避難の声を上げる。
「うわっ! なんだよ、おい! 立ってろってヴィジューにアナハタが言うから、立ってただけだろ?」
「あんたねぇ、立ってろってのは、直立不動で、礼節を弁えて、一ミリも動くなって事っ!」
「貴様は本当に、本当に。ヴァティ様の御前でなんという、恥……恥をっ」
「なんだよっ! だったらそう言えばいいだろっ!?」
顔面を床に押し付けられたまま、シーヴァは手足をバタつかせる。
「しぃっ。黙って。次にその薄汚い口を開いたら、殺すからね」
ヴィジューは青白いホワイトブルーの瞳を大きく見開いて、シーヴァの顔の数センチ手前で睨みをきかす。
「……なんだよ。あぁ、分かった。分かったよヴィジュー。一ミリも動かない」
シーヴァの頭蓋がミシミシと音を立てるのと反比例する様に、彼はジタバタするのをやめていく。
「ふぅ、もういいよヴィジューにアナハタ。大体理解した……」
魔王ヴァティ・パールは、玉座で頬杖をついたまま、軽く手で制する。
「はい、ヴァティ様」
「はっ」
ヴィジューにアナハタは軽く頭を下げるも。シーヴァの頭は離さず、床に擦り付けたままにしている。
と、ここで二人の男の笑い声が響く。
「かっかっか……」
「ハッハッハッ」
一人はオレンジの髪色で、額に角を生やした浅黒い肌の男。
もう一人は、黄色い瞳が特徴的で、どこか狼を思わせる鋭利な顔立ちをした男。それら二人が、嘲る様なニュアンスを含む笑い声を上げたのだ。
「あんたらねぇ……笑ってんじゃないわよ」、ヴィジューは瞳を尖らせ笑い声の男二人に目線を飛ばす。
「ハッ、笑わずにいられるかよ。かなりぬるいぞヴィジューにアナハタ」
「くっ、マニプラ。そうは言ってくれるな、言ってくれるな……」
アナハタにマニプラと呼ばれた黄色い瞳の狼顔の男は、「ハッ」と言って肩をすくめる。
「かか、いやいや。マニプラの言う通りだねぇ。なんなら俺が、ソイツの頭に入って矯正してやろうか?」
「ちょっとスワディス。それって、ヴィジューちゃん達に、コイツのお守りは荷が重いって意味かしら〜?
――喧嘩売ってるってことなら、買うけど〜?」
七曜闇武の四人の視線が、交互に行き交う。そして、一気に膨れ上がる殺気。
「やめろ……」
魔王ヴァティ・パールの凜としたよく通る一言は、速やかに玉座の間に響き。七曜闇武の四人は刹那で押し黙る。
ヴァティは玉座から立つと、片手を水平に伸ばした。彼女が立ったのと同じくして、両脇に控えていたドゥールーとカーリーは、跪き首を垂れる。
「今は内輪で言い争っている場合ではない。龍属による、我ら亜人領土への侵攻は確定的なものとなっている。
――そう見ていいだろうな、ドゥールー?」
「……ですねぇ。はい、妥当……と考えますヴァティ様」
「エヘー、だよねだよね〜」、軽い調子のカーリーが相槌をうつ。
「だろうな。ふむ……となれば、か? ふぅ、残りの七曜闇武は今、どうなっている?」
「かかっ、ヴァティ様。ムーにアージュニャは、北部の状況を視察してるとこですねぇ」
「んじゃ俺からも。確か……サハ・スラーラは、この前会った時に。魔獣属の動向が気になるってんで、西に……」
スワディス、マニプラ、と交互に話していく。
「なるほど。南部の警戒を緩めた隙が、今回の襲撃だったわけだ。頭の悪いトカゲどもにしては……か? なぁ、ドゥールーにカーリー」
「ですねぇ。その通りです、ヴァティ様」
「エヘ。龍属どもに、亜人と侮った報いはさせましょうねぇ、エヘヘー」
やる気のなそうなドゥールーに、軽い調子のカーリー。その声音と反するように、二人は『喜』とも『怒』ともつかない、不気味な笑顔を作った。
「ふぅ、ここからは私の推測の域を出ないが、一応この場のみなに言っておく。
――この百年続く、魔大陸の戦争。その均衡を龍属は破る術を手に入れたと仮定する。むしろ均衡を破る為に、悪魔属が秘密裏に何かしらの知恵を龍属にもたらした可能性もある……」
ヴァティはこの場にいる者たちを、ゆっくりと端から見ていく。
「最悪な可能性を考えれば、悪魔属、龍属、魔獣属すらも共闘しているかもしれない」
一拍置くヴァティ。そして。
「我ら亜人属は、魔属において半端者と誹られ、辛酸を舐め続けた歴史が長い」
ひと息吸い込み、力強さを瞳に浮かべる。
「いいか、みなの者。我ら亜人属の罪深さを、他の魔属どもに知らしめる頃合いに入った。そう、我ら亜人が魔属を統べる時が。
――みんな、そんな私に……ついてきてくれる、な?」
凜としたヴァティの声には魔力がこもっていて、ことさら強く玉座の間に響く。
訪れる静寂。
ダークエルフの双子に、七曜闇武の四人は、今にも溢れそうになる感情を抑えて。静かに、だが深く深く、自身が仕える魔王に。その頭を垂れる。
そこには、主君に対する敬意と、戦を欲する魔属の性とが同居していて。
各々の肩を微量ながら震えさせた。
局地戦ばかりに追われて今に至る亜人属だが、膠着状態からの脱却は、亜人の国の住民の総意でもあるのだ。
「では各自、各々の魔を示せ……」
魔王ヴァティ・パールは、ほっそりとした長い腕を頭上に振りかざす。
「はっ」、とダークエルフの双子に七曜闇武の四名は、気合を含んだ発声でそれに応える。
ただ一人。
床に突っ伏したままの亜人の生態兵器であるシーヴァを除いて、だ。
転生してきて間もない彼には、今この場の状況がどうなっているのかは、当然の如く分かるはずも無い。
その証拠に「なるほど、いいねいいね。みんなで団結してる感じは、なんかすげぇゴキゲンで楽しそうだ……はは」、と小さく呻く様に零し、自嘲気味に口角を上げるにとどまっている。
終わりかけの世界に転生してしまったLv.1の破壊神。
彼は何を思い、そして何を破壊していくのだろうか。
今はまだ、それは誰にも分からない。
彼をこの世界に転生させた、身なりの小綺麗な例の中年男にも、それは分からないだろう。
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