1章 陽気に始めよう。何事も…… 007
「ギャワッ、ギャワッ! 亜人の存在をここまで憎く思った事はないぞ、小僧っ」
突進に押される形で後方へと流されながら。ワニが持つ炎戟を、オレは素手で受け止めている。
そして、イキリ立った様子で鰐口から噴き出る言葉を、そんな事言われてもなぁ、と眉尻を下げて聞いた。
気付けば、フランベルジュを受け止めている両の手が赤く発熱し。
痛い。
「あぁ……まぁ、まぁ、ワニさん。落ち着きなって、なぁ? 短気は損気って、よく言うらしいぜ?」
「ギャワワッ! 小僧っ! さらに拙僧を愚弄するかっ」
グッと手に持つフランベルジュに力を入れて、ワニは自身の剛腕に任せてオレを上へと放る。
「うおっ!?」、地に足が着いてなかった為に、オレは軽く空へと投げ出されてしまう。
正直なところ、ワニを愚弄する気も、龍属のホコリだとかなんとか。ましてや、ヴィジューやアナハタの身勝手な命令(ワニを倒さないと、オレは殺されるらしい)も。
ほんと……知ったこっちゃない。
オレは、そもそも戦った事すらないのだから。
生前(で、いいのだろうか?)は、ダンスバトルや、趣味でカポエイラをやってはいたが。やはり、踊りが主体で、自分が楽しむ為のものだ。
誰かを傷付けたいなどと思ったこともない。
「ギャワワワ! その肉片、一つも残さず切り刻み、焼き尽くしてくれるっ」
たださえ裂けている鰐口を、さらに大きく開けて吠えるワニ。
宙に投げ出されたオレへと、その文言は放っているに違いない。
「はぁ……楽しくねぇなぁ」、放り出されて絶賛、空中をキリモミ状態で滑空したままに溜息を一つ。
体勢を整える為に、右足に左足をぶつけた。
踏ん張るところの無い空中では、遠心力を利用しつつ、自身の手足を使っての空中姿勢制御。
カポエイラを習っていた事が生きてくる。
くるくると、あらゆる方向へ散らばった力の指向性を、自分の意図した方向へと変えていく。
途中で、ケツに生えている爬虫類の尻尾も、手足同様、十分に使える事を発見し。試しに着地に使えるか、も試してみる。
「っと、お……おお、中々いいじゃん」
尻尾のみの着地は綺麗に決まった。
この尻尾自体で、それなりに強度は備わっているらしい。オレの体ごと楽々支えて、なおかつ着地の衝撃にも耐えているのだから、もっと慣れればイイ感じになりそうだ。
「ギャワッ、なんと奇怪な動き。それが貴様の武術か……だがっ!」
ザスザスザス、と着地したオレの方へ、地面を抉りながら方向転換するワニ。そのまま勢いで突っ込んでくる。
「おいおい、まぁ待てって。話せば分かる……」
「ギャワワ、問答無用っ!」
デカい図体の割に素早いワニは、すでにオレとの距離を詰めて。フランベルジュを振りかぶる。
迎撃。しなくてはいけないのだろう。
「ちっ……」、オレの両手は、先ほどのワニの一撃を防いだせいで、炎に巻かれてボロボロと崩れ落ちていた。しかし、幸いに痛みはそこまで無い。
残った手のひらを地面に当てて、逆立ち。両足を水平に開いて、回転していく。
どうやらこの体。柔軟性も申し分無い様だ。
ワニが放った上段からのフランベルジュの一撃を、スレスレで躱わす。
後方へバク転。
距離を取る。
が、すぐさまワニの追撃。
横を薙ぐかたちで急接近してくる。
オレは間髪入れず地面にうつ伏せになって、それを凌ぐが。ワニは攻撃が空振った瞬間に、地面に寝っ転がるオレの頭に目掛け、踏み潰すように足を出した。
見えている。
二、三回転、地面を転げ。背中と手を使って、跳ね上がり、回転し、ブレイキンで使うウィンドミルよろしく両足と腰で円を描いていく。
「ギャワ! 小癪なりっ! たかがLv.1の分際でっ」
ワニはフランベルジュの持ち手を短く持ち直し、オレとの間合いを詰める。
今度は、細かい斬撃の応酬に切り替えたのだろうか。
という事は、オレも細かい動きで、ワニの攻撃を凌がなくてはいけない。
いけるだろうか。なんとなくワニの動きは、目で追えるからいけそうな気もするが。
「どうかなぁ……」
ポツリと漏らしたそんな言葉を、当然の如く相手が聞いてくれる訳もない。
「ギャギャ、ギャギャーーっ!」
上下左右に打ち分けた、無数の斬撃が飛んでくる。どれも炎を纏ったホットな攻撃だ。
オレは頭の中のリズムを、細い十六ビートに切り替え。ステップを踏む。
ッツー、ッタットドッチー、タット。
巡るリズムで、円を描く様に、体を揺らす、踊らす。
時には左右にズレる事で、時に手をつきかがむ事で、時に足と手をぶつけその反動を使う事で。ワニの攻撃を紙一重で躱していく。
手は足だし、足は手なのだ。
フランベルジュの炎に照らし出された衣服は、チリチリと燃えていくが。耐えられない熱さではなかった。
「小癪、小癪、小癪ーーーっ!」、ワニは叫ぶ。
乱打のスピードが上がった様に感じる。
だが、そのくらいのテンポアップなら余裕で追いつけた。
「は、ははっ……」、いいね。なんだか本当にダンスしているみたいだ。
タッ、トッ、タッ、トッ。
踊る炎舞。
ようやく楽しい所を見つけた。
そうか、踊ればどこでも楽しいよな。心を委ねられる音楽が無いのが、ちと寂しいが。
オレの頭にはちゃんと鳴り響いている。
……
…
どのくらい、踊っていただろうか。
フランベルジュを受け止めた事で焼かれてしまった指はすでに、完全に生えてきている。
そして心臓の高鳴りに合わせて、ダンスのキレは増していく。
が、反対に、ワニの動きはあからさまに落ちていっている様に感じられた。
「おいおい、いい感じなんだ。もっと踊ろうぜ、兄弟っ!」、いつの間にかワニは、オレの兄弟になってしまう。
そのくらいの高揚を、オレが受け取っているという事なんだが。きっと、ワニには伝わっていないだろうな。
自然と口角が上がっていくのを感じる。
そんな最中。
「もう、長いってのっ! いい加減にしなぁ!」
どこからか、ヴィジューの声がした。
したと思った瞬間には。パックリと。
ワニは左右に分断したのだ。
竹でも割ったかの様に、綺麗に。断末魔の叫びも何もなく。ワニだった半分ずつの身体はそれぞれで、それぞれの方向へと倒れていく。
どちゃ、どちゃ。
何が何やら、オレには分からなかったが。ワニの身体から噴き出る薄いブルーの体液に混じって、透明でキラキラした水が霧散しているのをオレは見た。
そして視線の先には。今まで何処で見ていたのか、両腕を組んで佇む、牡羊の角を生やした金髪ボブカットの女が、特になんの感情も読み取れない様な冷たい眼差しでオレを見ている。
「あんた、このヴィジューちゃんを、どんだけ待たせるつもり〜? 龍属をなぶろうってゆぅ、その気概は褒めてもいいけどぉ……」
褒めてもいいけどの割には、冷たい視線と態度は崩さないヴィジュー。
その横には、これまたいつの間に現れたのか。アナハタが、やれやれと言わんばかりの仕草で立っている。
二人とも、身体にはワニの体液は一ミリも付いていない。
オレは頭からつま先まで、もろにワニの液体をひっ被って、ドロドロだ。
「わっ、わっーーーーっ! おい、おいおいおいっ! なんで殺すんだよ! 殺す事ないだろ!
――見ろよ、内臓とか、もう。めちゃくちゃじゃねーか! マジかよっ! 信じられねぇ! オレはスプラッタが苦手なんだよ、くそっ」
マジかマジか、血が薄いブルーなのも逆になんかグロいってぇーー。と、言葉を添えつつ頭から被ってしまったその青い血を、手で拭う。
べトリと纏わりつく様な粘度の、ワニの血糊。うへぇ……
「はぁ……ヴィジュー。もう少し待てない、待てなかったのかい? コイツの試験運用としては、確実に不十分。不十分だ……」
「え〜、だってヴィジューちゃんは短気なの〜。待てない時は、待てないわ〜。あんな動きを見せて、さっさと倒さなかったコイツが悪いのよぉ」
好き勝手言ってくれる。
「はぁ、まぁいいか……」、踊れた楽しさはまだ残っていた。
グロテスクな惨状が広がる地面には目をやらずに、オレは空の方を見る。
何度見ても、どんよりと曇って晴れやかな。とはいかない空がどこまでも続いているが。
踊れる事を確認できた事で。オレの心は一気に晴れやかで。
それでいて、幾分、清々しい。感じ。
だった。
それだけでいいのかもしれない。