1章 陽気に始めよう。何事も…… 005
「っーー、がはっ!」
オレは、地面とアナハタの蹴りでサンドイッチ状態と言っていいだろう。
ついでに氷の刃が突き刺さったままの、穴だらけでもある。落下した背中の痛みもかなり強烈であったが、氷の刃の方の痛みも、今は切り裂く様な鋭い痛みをともなって全身に行き渡る。
冷やされる分、痛覚が麻痺していて、遅効性の細菌ウィルスみたいに徐々にやってくるのかもしれない。――なるほど、陰鬱な表情のアナハタには、似合ってると思った。
「僕に……触るな、触るな……」
地面にめり込むオレを足蹴に、ブツブツと呟くアナハタ。
痛いのは痛いが、我慢できない程ではない。
「やぁ、悪かったよアナハタ。ついつい調子にノっちゃって……はは。分かった、もうお前には触れないから、そこを降りてくれないか?」
いたる箇所が穴だらけで、地面に打ち付けた背中もタダでは済まなそうだが。まだまだ動けそうな感じはする。
どうやら、本当に身体は頑丈らしい。
ありがたくて泣けてくる。
「ちょっとアナハタ〜、やりすぎだって〜。部屋が一つダメになっちゃったじゃない、も〜。ヴァティ様になんて言うのよぉ〜」
ストン、と軽やかに飛び降りてきたヴィジューは、アナハタへ声をかける。
「ヴィジュー……済まない。つい、カッとなってしまって、しまって……」
どうやら二人ともオレへの心配は皆無の様で、アナハタが図らずも壊した部屋の心配をしている模様。
まぁ、いいんだけどな。オレは全然、一向に構わない。
楽しいわけではないし、身体中が痛いが、うん。問題は無いように思う(……多分)。
変な世界に追いやられ、吹っ飛ばされ、めり込んで、身体じゅう穴だらけで、おまけに足蹴にされて地面に埋まっていることなんて。
大した事はない。
オレの陽気さを消し去る程じゃないと思う。
あっ!? そういえば、事故とはいえ、オッパイを触れたじゃないか。お金を払わずに。
そう考えると、なんだかラッキーな気がしてきた。ゴキゲンじゃないか。
「いいね、サイコーだ……」
ポロッと口をついて出てしまったオレの言葉に、アナハタはこちらを睨む。
「貴様……何が、何が……」、続く言葉をヴィジューが手で制す。
「もう〜、やめなってアナハタ。とりあえずコイツの沙汰は、ヴァティ様が決めるんだから〜
――しかし、まだそんなに喋れるなんて、あんたホントに頑丈なのね……ちょっと、想像以上だわぁ、へぇ……ふふぅん」
ヴィジューは穴だらけのオレを見回し、舌なめずりをした。心なしか、頬が紅潮している様な気がする。
「……ん?」、オレはその表情の意味が分からず眉根をひそませた。
と、その時。
ドォォォンッ――!
遠くの方で、何かが衝突したような音と、地面を揺らす衝撃が走る。
瞬間で、ヴィジューとアナハタはそちらの方へと顔を向け。真剣な表情を作り出す。
緊張感が張り詰めた。
「アナハタ……これって……」
「ああ、ああ、ヴィジュー……これは……」
二人は交互に見合って、もう一度音のする方向に視線を移し同時に呟く。「下級街の方……」、と。
「下級街?」
オレの疑問の言葉は無視して、二人は見合って頷き。アナハタは瞬時に体を霧状の何かに変え、オレを踏んづけるのをやめて空中に霧散していく。
ヴィジューは背中に黒い、まるでコウモリを思わせる様な翼を生やし、一足飛びで空へと舞い上がる。
「おおっ、すげぇな……」、穴ボコだらけのオレは、その様をただ見ているだけで。感心とも、感嘆とも取れる様なあいまいな吐息を零して小さく手を振った。
「アンタも来るのぉ〜」
空中に舞い上がったはずのヴィジューの声が耳元で鳴ったと思ったら、見えない何かによって、オレの首は掴まれる(掴まれた様な感触がする)。
そして、引っ張られる形で、強引に空へと連れ出されたのだ。
オレを穴だらけにした氷の刃は、いつの間にやら無くなっていて、今やその穴達も塞ぎたがっている様に感じる。
再生能力というヤツだろうか。
「なるほど。お次は、お空をお散歩ってワケね……いいよ、いいよ」、できる事なら優しく持ち運んでくれると、嬉しくって涙が出ちゃうかもな。なんて、聞いちゃいない事は分かっていながらも、呟いてみた。
超能力は使えるし、霧みたいにも成れるし、背中に翼だって生える。
そしたら、空中遊泳を楽しんでも、別に違和感はない。
これから何をするのかされるのかは、さて置いて……な?
……
…
空に上がって今一度、オレが転生したっていうこの世界を、具に見てみた。
どんよりとしたいかにも重たそうな雲が、空の一面にピタッと張り付いていて。掛け値なしに、今が昼か夜かも分からない。
形容しがたい歪な建物(子供が、粘土をこねくり回して作った泥の家のようだ)がちらほら見え。先ほどまで居た場所は、それよりも多少マシで周りのどの建物よりも高さがある。
対比すれば一番立派な建物なのだろうが、変に歪な印象を受けるのは変わらない。
なんて観察しているオレは、もちろん見えない力によって、首を締め上げられたまま、だらりと運ばれている状態だ。
前方には、片手をこちらに向けたまま、黒い翼を広げて空を飛ぶヴィジューに。霧状のモヤが、風に流される事なく、並走する形で漂っている。
それが多分、アナハタなのだろう。
「なぁなぁ、オレはこれからどこに行くんだ?」、応えてくれるとは思わなかったが、一応聞いてみた。
すると、見えない何かに掴まれ締め上げられている喉が、さらに強く締め上げられる。
なるほど、これ以上は喋らない方が良さそうだ。
オッケー!
暫くして見えてくるのは、小規模な隕石でも落ちてきたかの様な、線引きされたクレーターの跡。その近くを、大小様々な点が右往左往している。
それら一つ一つの点が、はっきりと詳細を帯びて実像として結びつく。
しかし、はっきり視認できたとはいえ、一個一個の個体が何かを説明するのは、オレの頭では難しい。
見て分かる事といえば。
大きいナニカに攻撃を受けている、または攻撃をされている。それよりも一回りは小さい、人型のナニカ。と、いう所だろう。
大きいナニカも人型ではあるが、正直、言葉に表すならば二足歩行のワニ。が、感覚として一番近い。
一回り小さいナニカは、ヴィジューやアナハタや、最近出会ったアイツらみたいに、ほぼほぼ人間っぽく見えるが細部が微妙に違った人間に近しいナニカで、コスプレっぽい奴ら。
なるほど……亜人の意味が、ここに来てなんとなく分かる感じだ。
二足歩行の爬虫類と戦っている人間っぽい複数の亜人は。ベースは人間で、尻尾やら頭にツノやら獣の耳やらが生えてる感じなのだろう。オレのケツに生えてるトカゲっぽい尻尾みたいに。
対する敵は、二本の足で立っている以外は、およそ人間には見えない奴ら、って事なんだろう。
「あぁ〜、人種が違うから争ってるってぇ事かぁ……」、どことなく自身の記憶から引っ張ってきた事柄から当てはめても、納得はできる所ではある。
なるほどねぇ。
先にヴィジューが大地へと降り立った。その瞬間に、黒い霧状のアナハタも、元の姿に戻って隣に颯爽と並ぶ。
オレはというと、無様にズドンと地面とキスをした。
さほど痛くはなかったからいいけれど、中々の扱われようである。
「ギャワワッ、これはこれは……七曜闇武の水曜姫殿と木曜鬼殿とお見受けいたす。相違ないか?」
なんと、二足歩行のワニは流暢に喋り出した。
それまで他の亜人に対して、攻撃や防御を繰り返していたのを止めて、だ。
亜人達も、ヴィジューやアナハタの到着に、すぐさま攻撃をやめて後方へと素早く距離をとり、膝をついて首を垂れる。
「そうよ〜、魔王ヴァティ・パール様より下賜されし、水のプラーナを受けし者。ヴィジューちゃんよ〜」
「ああ、ああ、そうだな。同じく木のプラーナを下賜されし、闇の慟哭。アナハタ……アナハタだ。この名を呼ぶ事をお前らには許可しないがな……」
「ギャワワワ! 素晴らしいっ!」
二足位歩行のワニは、何故か大きく笑った。
三者の間で、沈黙の風が吹く。
もちろんオレは、何が何やらさっぱり分からない。
だがいいのだ別に。
「ふぅ……」、短い息を吐いて、乱暴に地面に落ちたために付いた、服の埃を。控えめに払った。