1章 陽気に始めよう。何事も…… 002
オールバックで、涼しげな表情のおっさん。
『よぉ、まぁ……正直、お前がどうなろうと知ったこっちゃねぇーんだがな。
――いちおう、説明はしとかねぇとな、ってな』
五十代ぐらいの端正な顔立ちのおっさんは、そんな事を言った。
面倒くさそうに、時の止まった(そう、おっさんが言っている)白い世界の中で。声は出せるけども、一ミリも動けないオレに向かって、すげぇ上からな物言いだ。
「おっさん、なんだよ。この状況を説明できるってのか? いいじゃん、ゴキゲンに頼むわ。オレは正直、すっかり頭の中はグルングルンよ。火遊びしてて、間違って自分のナニに火を着けちまった時ぐらいには、焦ってる」
ヴァティと呼ばれた女に、足蹴にされ今にも殴られそうな格好のまま、少しも動けず。オレはおっさんに向かって言葉を吐く。
『はっ、ゴキゲン……にね。期待には添えそうも無いけどな。まぁ、いいか。
――ここは異世界だよ。お前は、死んで。この世界に、転生したんだ』
「え? オレ……死んだの」
『そうだな。俺が殺した……』
「え? おっさんがオレを殺したの?」
『そうだ。いいぞ。バカなお前でも、理解が追いついてきたな。その調子だ』
おっさんは、小馬鹿にしたように、小さく手を叩く。
「え、マジかぁ……えっ!? じゃあ、イングランドのプレミアリーグ見れないの、オレ?」
『ははっ、いいぞいいぞ。その理解で間違ってない。やればできるじゃないか』
「おいおい、マジかよ……推してるチームの、ジェイワンやジェイツーリーグも、もう見れないのか?」
『すごい。まさしくその通りだ。少し賢くなったな、お前』
全く抑揚なく喋るおっさんの言葉には、全然オレを褒めている気配は微塵も感じられない。
が、別に今はそんな事はどうでもいいのだ。
「待て待て……そしたらなんか。オレの買ったスポーツロトの結果も知れずに、オレは、今、ここに居るって事かよ、おっさん!」
『……いいぞぉ』
おっさんは少し間を溜めて小さくそう呟くと、ゆっくり歩き出す。
固まっている三人のコスプレ女たちの間を、スルスルと抜けて。オレを中心に円形に移動している。
「マ、マジかよぉ。今回のはかなり自信があったんだ。え、マジでオレ死んだの?」
サッカーのスポーツロトに関しては、自信はあると言いながらも本当に当たるだなんて思っていない。正直、あんなのを当てるなんて最強の無理ゲーだ。
何十試合という勝ち負けだけでなく、それぞれの試合の得点までもピタリと当てなくていけないのだから。
当てたら、それこそ億の金が簡単に入ってくる。
『……お前は、当てるんだよ。その最強の無理ゲーをな』
おっさんはまるで、オレの頭の中を覗いているみたいな言い方をする。
「は……?」
『お前は、当てるんだよ。三回もな。その無理ゲーをな。最初は十二億。次は五十億。最後に六十五億を……
――お前は当てるんだ』
おっさんは変わらず抑揚の無い言い方だった。
「え、オレ……当てる、の? 三回、も……?」
『そうだ、当てる』
「マジかぁ……えっ。マジかぁ……」
両手が動けば、オレは頭を抱えていた所だろう。
『ふっ、正体不明の俺の言葉をすぐに信じるのかお前は……まぁ、いい。
――それで、その金を元手に、お前はもっと多くの金を稼ぐ』
「マジかよぉぉぉっ! え、いくら? いくら稼ぐのオレ!?」
『一兆、行かないくらいだな』
「すげぇぇぇっ!」
思わず叫んでいた。体は一切動けなかったけどな。
オレって、かなりすごい奴だったんだ。体さえ動けば、この場で踊り出したい。
『そう! お前は踊る。踊り狂う。その特異で最悪な狂乱は、周囲の人間を巻き込んでどんどんと膨れ上がり。ガソリンが注がれた火みたいに大きく大きく、爆発的に燃え拡がって……』
おっさんは再びオレに、冷徹な視線を投げた。
拳を握って、それから素早く開く。言葉には表さないが『ボンッ』、と口の動きを添えて。
『大量の人間を殺す』
白い世界に、静寂が訪れる。
「は? え……は?」
『お前が良いとか悪いとかじゃ、ない。断じてな……
――踊り狂ったお前を、誰も止められない。だから、お前が踊り出す前に、俺がお前を殺さないといけなかった。ちなみに、謝る気は無い』
悪いな、と小さく付け足すおっさん。
「え、マジかぁ……」
オレが人を殺す。
『落ち込んだか?』
「……はは、まぁ、な。そりゃ、人を殺すなんて言われたら、な」
『おいおい、お前はポッと出の俺の話を信じるのか?』
「え、あぁ……わかんないけど。ホントっぽいじゃんか。あんた。
――知らないおっさんが、ここで嘘を言うかってハナシ……」
整った相貌を崩して、おっさんは驚きの表情を作る。
『ははは、なんだっ。お前は俺が思った以上に賢いのかもな。バカには違いないけどな……』
褒めてるのか貶しているのか、イマイチ反応に困る。
「え? いや、たださ。あんた……そしたらオレが人を殺す前に、止めてくれたって事だろ?」
オレの言葉を待って、おっさんはむっつりと黙り込む。
何か変な事を言ったか?
『……お前』
「いや、いいよおっさん。あんたはオレが人を殺すのを止めてくれた恩人なんだな。ありがとう。
――正直、あんたの事は好きになれそうにないけど、感謝だけは言っておく」
おっさんは苦虫を噛み潰したような表情を作って、その鋭い眼光でオレを睨む。
いや、睨んでいるようにオレには見えるってだけのハナシなんだけどな。
『はぁ、こんな事を俺から言う事になろうとはな。いや、仕方がない……の、かもな』
おっさんは静かに息を吸い込んで、その視線をオレに移す。
『お前の性。本質は……破壊神。どうしても何かを破壊し、何かを始めてしまう。どうしようもなく、な……
――だから、お前にはこれから成長していく世界は、どうしても無理なんだ。破壊して欲しくないモノばかりを壊してしまう。だから……』
なんだよおっさん。
すげぇ、バツの悪そうな表情を作るなって。そんなにオレは気にしてない。多分……
『だから、お前にはすでに終わりかけてる世界が似合ってるんだよ。暴力が圧倒的に勝ってしまった、この世界がな。だから、お前をここに転生させた。
――アッチの世界で消滅させるのには、お前の魂の総量は、デカ過ぎる』
壊しても問題なさそうな、終わってる世界で。そこを壊すのか、それとも、ただただ苦しんで死ぬのか。それだけは選ばしてやる。
そう言っておっさんは、人差し指と中指を銃の形に見立てて、オレに向けた。
『――(バンッ)』、と言葉なく。
指を上に弾く。
どことなく、わかっていた。
あの世界で、オレはお呼びじゃないってね。でも、いいんだ。
オレは人を殺したいわけじゃなかった。
白い世界は、各々で色を取り戻していく。
もう、おっさんは消えていた。
何者だったのだろう。いや、誰でもいいか……
確かな事は、そう。
オレは今、弾かれた。ハッキリと。
あの世界に。
再び時間が動き出したこの世界の片隅で、オレは顔面を鋭く――翠髪のコスプレ女に、顔面を思っきしブン殴られる。
頭蓋に響く音は、いっそ清々しくすらあった。
オレは陽気なんだ。
だから別に悩まない。そして、何も目指さない。
ほんとにほんと。だからきっと、あの世界にハジかれたんだろう。
なんとなく、踊りたい気分だ。
いつかは……誰かは。
オレと一緒に踊ってくれるかな。まぁ、誰でもいいんだけど。
コスプレ女の一撃は、まぁまぁいろんなものを砕いて。オレの脳天を破壊した。
どこにある、なんていう建物なのか知らないけど。この建物も大きく割れたんじゃないかな。
ビヨーンて、頭をカチ割られて、勢いそのままに空に投げ出されたオレは。
この世界の空を見る事になる。
確かに、おっさんが言ってた終わりかけてる世界ってのは、なんとなく理解した。
どんよりと、臭そうな煙がそこら中に濛々と広がっていて、見るからに汚らしい。
太陽の光なんてどこにも見当たらないし、夜か昼かも分からないんだ。
だけど、頭をカチ割られた、壊れた脳みそでオレが感じた事は。
臭そうな空気が、意外と美味しいって事だった。
そりゃオレのケツにも、変な尻尾の一本や二本なんて、当然生えてくるわな。
どうやらオレは、破壊神らしい。
まぁまぁ、自分が何者か知れただけでも、良しとしようじゃないか。
とかなんとか、オレの意識は消えていく。
暗い海みたいな底に、沈んでいったのだ……
……
…