2章 破壊神、家出する。012
「う〜ん、聞こえたよね〜。誰だボクちゃんをキモいとか言ったやつ〜。ブンブン〜」
巨大な蠅は地面に降り立って早々、オレが口走った言葉に反応する。
「貴様は、確かルシフエルの……」
「う〜ん、そうそう。ルシ様直属、魔属界最速のベルゼビィだよ〜。損ない姫のヴァティ・パール〜。ブンブン〜」
ベルゼビィと名乗った巨大な蝿が、『損ない姫』と言った刹那。
ドゥールーにカーリー、ヴィジューの殺気が一気に膨れ上がった様に感じる。
「ふっ、貴様が魔属界最速? 笑わせるな……」
ヴァティは、侮蔑混じったベルゼビィの言葉を嘲笑。それが、殺気だった亜人女三人の行動を制している様にもとれた。
それが証拠に、ドゥールーにカーリー、ヴィジューの三人は。じりじりとベルゼビィとの間合いを保ちつつ、ヴァティを守る様に、ベルゼビィを包囲するようにゆっくりと広がっていく。
「う〜ん? ブンブン〜」
ベルゼビィは、左右に展開していくドゥールー達を交互に見るように。頭部を素早く、何往復も揺らす。
その首振りの速さに、頭部の残像が残るほどである。
「うわ、キモっ」、また言ってしまった。
こんな大きな蝿(?)を見たことはなかったし。高速に首を振っている所も、こんな解像度で見たことはない。
複眼やら触覚やら、その他諸々の詳細が、ちゃんと……気持ち悪かった。
「あっ、あぁ〜、またキモいって言ったな〜! お前か〜、ブンブン〜」
二メートル以上はありそうな体躯に付いているには、とても脆そうな虫の手足が、一斉にオレへと差し示される。
オレがいる場所は、ちょうどヴァティの後ろらへんだ。
「あらシーヴァ。意見が合うわね。このヴィジューちゃんも、そう思うわ〜」
「エヘヘー、私も私もー」
「……そうねぇ。確かに……コイツはキモい」
じりじりとゆっくりベルゼビィを囲もうとしている三人と、どうやらオレは意見を同じくするらしい。
「ふふっ、まぁそうだな。どうやら、亜人としての心構えの部分は、見直しても良さそうだな。シーヴァ……」
ヴァティも続く。
オレの呟いてしまった言葉が、亜人達四人の共感を刺激した様だ。
亜人達にしても、まぁまぁ理解できない事が多すぎる。が、巨大な蠅は気持ち悪いっていう部分は、共有できるみたい。
まぁ、それがどうしたという話だけど。「そりゃ、どぉもっ……」、なんて半ばため息混じりに頭を掻く。
「うわぁ〜。亜人の分際で、お前ら言いたい事言ってくれるよね〜、ブンブン〜。ぶん殴っちゃうぞ〜」
「殴る? お前ごときが、か? ベルゼビィ……この私、ヴァティ・パールを? 随分と大きくでたな……」
ヴァティの圧力が一気に増していく。
「うっ……、あ、いや〜。ははのは、ブンブン〜」
ベルゼビィはヴァティの圧に、少し後ずさった印象を受ける。
とすると、力の差はあるという事なのだろうか? 巨大な蠅の口ぶりから察するに、大分と見下げた言い方ではあったと思うのだが。
単に、種族的な差異から来るただの差別意識。それゆえの、稚拙で挑発的な言葉選びだったのか。
オレは「う〜ん……」、と唸って、どうでもいいかと結論づける。
と、同時に。
ブーーーン、と悍ましい羽音が、あたりに響く。
ベルゼビィだ。
瞬間で巨大な蠅の体が、二重三重にブレて見えたかと思った次には。
その場から姿を消していた。
文字通り、忽然といなくなったのだ。
耳障りな羽音はそのままに、ベルゼビィはいなくなっていた。
いや、速すぎて目で追えないのだ。多分。少なくともオレの目には。
蠅は速いんだなぁ。そんな事を思った。
「ドゥールー、カーリー! アレを出してくれ! 私がやる。
――ヴィジューは水術で、結界をっ」
それだけを素早く言い放つ魔王ヴァティ・パール。「はっ!」、と三人の女が短く応答。
ヴィジューは両手を広げて、何やらブツブツと呟く。すると大気中に、次々と水の球が浮かび上がり、またそれらが結合して、なんだか網目状になって広がっていくのだ。
ドゥールーにカーリーは、一足飛びでヴァティの前まで移動すると。お互いの手と手を取り合って、輪を作る。
呪文みたいな言葉を二人で同時に復唱し、それに合わせて、繋いだ手の輪の中央の空間が歪んでいく。
ヴィジューが創り出した水の網は、その範囲を広げ、ヴァティを中心として囲む様に、さらに範囲を広げた。
オレには正直、ヴァティ達が何をやっているのか、サッパリ分からない。
基本的には眼前で繰り広げられているので、位置的にオレが一番後方に居る形だ。が、全てを視界に納めることができるのにも関わらず、理解ができない。
分かる事と言えば、オレには全く関係ないだろうという事。なので手持ち無沙汰、と言っていいだろう。
とりあえず手を頭の後ろで結んで、傍観する事に決める。
ヴィジューが創ったであろう水の網が、所々で弾けた。
何かがぶつかった様な弾け方だ。
すると。
『う〜ん、ブンブン〜、小癪だねぇ〜。水の結界とはね〜。でもボクちゃんの速力を殺すには至ってないね〜、ブンブン〜』
出所は分からないが、ベルゼビィの声がこだまする。
一方ヴァティは、ドゥールーとカーリーが創り出した、歪んだ空間に手を突っ込んでいる。
後ろ姿を見ているので、イマイチ動きが分かりづらい。が、たぶん手を突っ込んで、何かを引き抜こうとしている動きに感じられた。
ヴァティ・パールの周囲が赤に染まる。
そして、高々に手を掲げるのだ。
その手には、一本の剣が握られている。
「見よ、悪魔属。これが、我が宝剣『炎神の剣』っ! 貴様を須らく灰にする」
ヴァティはその、凜とした透き通る声色でもって、どこに居るのか分からないベルゼビィへと。まるで勝利宣言でもする様に、声高に呼ばわった。
一体どこからその剣を取り出したのか。なんて事を聞くのは、野暮なんだろうな。きっと……
まぁ、いいんだ。きっとどっかから出したのだろう。
『う〜ん、ブンブン〜。当たらなければさ〜、どうって事は〜』
反響するように、ベルゼビィの声がそこら中から聞こえてくる。
それと同時に、ヴィジューが創ったであろう空中の水球が、どんどんと弾けては消え霧散していく。
「あぁ、なるほど……」、とオレは手を打った。
もしかしたら、ヴィジューの水球は、敵の居場所を感知する様な役目があるのかもしれない。
なんて思っている矢先だった。
「ブンブン〜、お前を盾にするのってボクちゃん、ナイスアイディア〜」
背後からの急な声に振り向く隙間もなく、オレは大きな蠅の、その節足に全身を掴まれる。
そして刹那で景色が歪み、記憶がプッツリと途切れ……
◾️◾️
魔王ヴァティ・パールは、『しまった』と思った。
まさか、使えるか使えないかが微妙な、己の軍の秘密兵器が、今しがた敵の悪魔属に鹵獲されてしまったのだ。
水使いのヴィジューによる結界で、素早い相手の捕捉を指示し。
副官のドゥールーとカーリーが揃った時のみに使用可能な、宝物庫へのアクセス権限。それでもって、自身の単体高火力神具を召喚したまでは良かったが。
とりあえず今は戦闘の邪魔と捨て置いた、秘密兵器が狙われるとは。もしかして、このまま連れ去られでもしたら、悪魔属に少なくないこちらの情報が渡ってしまう。
そんな可能性が、一気に浮上する。
「ちっ……」、ヴァティは思わず舌打ちをしてしまう。
戦闘の最中、頭の後ろで手を組んでいかにも暇そうに構え。あまつさえ何を閃いたのか、手をポンと叩いて『なるほど〜』、などと間抜けヅラを披露する奴を狙うなよ、と。瞬間で、イライラも高まった。
が、重要なことは。亜人側の秘密兵器だという認識が、敵にあるかどうか、である。
捕縛の際に、盾にするという言葉は確かに聞こえた。
それが、こちらに聞こえる様に、牽制の意味も込めてベルゼビィは投げかけたのだとすると。シーヴァはただの足手纏いで捕まえ易く。また、亜人が同胞を見捨てない種族特性を、割合高く有するという事も想定していての事だろうから。人質よりかは、判断を鈍くさせる為の肉の盾。と、現状は見ていいだろう。
ここまでをヴァティは、歯噛みしつつもある程度、客観的に分析。
もしシーヴァが秘密兵器だと悟られれば、あのスピードである。ヴァティ達には追う術は無い。
「もう、本当に……」、むざむざ敵に捕まった間抜けヅラが思い出されて、ヴァティは自身のこめかみが、ピクピクと痙攣しているのを感じている。
もう、いっそ。敵に、こちらの情報が渡るくらいなら。もろとも、塵芥に帰した方が被害は最少で済むのではないだろうか。
そんな考えが頭によぎり。
ヴァティの鋭い瞳は、さらに鋭く、そして冷たさを帯びていく。




