第70話 元・獣人姫
「き、貴様! 陛下になんてこと──」
犬獣人の兵がミーナに掴みかかろうとする。
「あ゛?」
「ひ、ひぃっ!」
しかし、彼女の鋭い殺気を浴びて怯んでしまった。
「そこで大人しくしていれば、殺さないでいてあげるニャ」
ミーナがキレてる。
めっちゃ怖い。
犬獣人は無言で首を激しく縦に振った後、下を向いて蹲った。
獣人の中でも犬系の彼らは上位の存在に対して忠誠心が強いらしい。そんな犬獣人の兵を、睨みつけるだけで動けなくしてしまうミーナさんがヤバい。
「トール、大丈夫かニャ? 痛いことされてないかニャ?」
「う、うん。手荒なことはされてないよ」
「良かったニャ。あの、ごめんニャ。ウチが問題ないって言ったのに……。こんなことになっちゃって、ほんとに申し訳ないニャ」
ミーナのせいじゃない。
水精霊の予言のせいだ。
「とりあえず、逃げちゃって良いのかな?」
「魔法使いなのに杖を取り上げられて、しかも拘束されてる状態でも好きな時に逃げられるって余裕なトールは、自分が普通じゃないって思っておいた方が良いニャ」
「き、貴様、自分が何をしたのか分かっているのか!?」
獣人王が戻ってきた。
右の頬が大きく腫れている。
「レオル、久しぶりニャ」
「……えっ。も、もしかして。ミーナ先生?」
「たった2年くらいで、もうウチの顔を忘れたのかニャ」
知り合いだったのかな?
獣人王がミーナに“先生”を付けて呼ぶのはなんで?
「まさか、この人族はミーナ先生のお知り合いなのですか?」
「そうニャ。ちなみに今、お前が生きていられるのは彼の気まぐれだニャ。くれぐれも発言には気を付けろニャ」
「それは、どういう……」
「トール、もうそこから出て良いニャ」
「おっけー」
「あっ、お待ちください。すぐに鍵を──」
「水よ、回れ」
獣人王が鍵を探し始めてくれたが、時間がかかりそうだったので水魔法で鉄格子を切断して外に出た。やっぱり牢屋に入れられるのは嫌だな。
牢屋を壊しちゃったけど、まだ何もしてないのに罪状も知らされずに無理やり投獄されたんだから、これくらいは許してよ。
「は? えっ、水の魔法使いが、杖もなしに檻を斬った、だと?」
「これでトールのヤバさが分かったかニャ? レオルはさっきまで、杖を取り上げただけで彼が魔法を使えないと侮り、トールの射程圏内に立っていたのニャ」
ミーナの言葉を聞いて、獣人王の顔が青くなる。
「し、しかし彼はこの国に破滅をもたらす可能性がある存在で」
「客人としてもてなせばトールはそんなことしないニャ。だよニャ?」
「うん。俺はミーナと同族の皆さんを傷つけたくはありません」
「逆にこんな風に拘束して、もしトールがキレてたら……。今頃、この国は壊滅してたかもしれないニャ。だって彼、ひとりで魔人を倒しちゃう魔法使いだニャ?」
鞭で打たれたり、熱した鉄の棒を当てられるような拷問されなきゃそこまで暴れようとは思わないけどね。
「そんなトールに対して、お前がとった態度を良く振り返った方が良いニャ」
「も、申し訳ありませんでした!!」
獣人王が頭を下げてくる。
王様がこんなことしちゃって良いのだろうか……。
この場には俺たちしかいないからセーフなのかな。
「もういいですよ。俺はこの国に危害を加える気はありません。俺たちが滞在することでみなさんの不安を煽るようであれば、物資だけ補充させてもらったらすぐに出ていきますから」
本当ならこの王都で少し休憩したかった。
その考えはミーナも同じだったようだ。
「ねぇ、レオル。ウチらに出て行って欲しいかニャ?」
「め、滅相もございません! おふたりの旅の疲れが癒えるまで、いくらでもご滞在ください。その間の宿代、飲食費などは全て俺が負担します!!」
「って、ことで。ゆっくりしようニャ、トール」
──***──
そんなこんなで俺たちは、かなり豪華な宿屋の一室に来ていた。
「ここ、タダで泊まれるってニャ! トールを拘束したって聞いた時は軽くキレちゃったけど、結果オーライだったニャ」
ミーナがベッドの上でしゃいでいる。
牢屋の前に来た時の彼女は、“軽くキレた” なんてもんじゃなかった。
「てかさ、王様を殴って吹っ飛ばしてたよな? なんで怒られないの? それに先生って、どういうこと?」
「怒られないのはウチが先代獣人王の娘で、現獣人王の戦闘指導員だったからニャ」
「せ、先代獣人王の娘? それって、ミーナはお姫様ってこと!?」
「元はそうだったニャ。でもウチのお父様が現獣人王のレオルに負けたから、ウチは姫じゃなくなったニャ」
脳筋が多いとされる獣人族でもミーナが博識なのは、王族としての教育を受けてきたからなのだろうか。
「だったら元お姫様でも、今の王様を殴るのはヤバくない?」
「もちろん通常時、獣人王に手を出したら普通に死刑だニャ。でもさっきのは非公開の場所で、王が国民を危険に晒す愚かなことをしてたから、戦闘指導員として諫めただけ──ってことで処理してもらうから問題ないニャ」
そ、それで良いんだ。
……ん? ちょっと待って。
「元獣人王のミーナのお父さんを今の獣人王が倒して王位を継いだんだよね?」
「そうニャ。国民の前で戦って、今の獣人王は堂々と王の座を継承したニャ」
王の血族が次の王になるのではなく、強い獣人が王になるシステムなんだ。
「でもミーナはその獣人王の戦闘指導員で、彼より強い?」
「そうじゃなきゃ、戦い方を教えてあげるなんてできないニャ」
「じゃ、じゃあミーナって、王様になれちゃうのでは」
「なれるけど、なる気はないニャ。ウチにはそーゆーの向いてないし、今はトールと一緒に旅してるのが一番幸せだからニャ。でも、もしトールがこの国を欲しいって言うなら、ちょっとあの王様を倒してくるニャ!」
そう言って部屋から出ていこうとするミーナを慌てて止めた。
「待てまて! 落ち着きなさい。王様なんかにならなくて良いから」
「了解ニャ。でもトールの気が変わって、王様になるつもりになったら教えてニャ。強者には絶対服従の獣人族60万人、いつでもトールの支配下に置いてみせるニャ!!」
あ、あの……。
冗談、ですよね?