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短編集

政略のために捧げられた聖女ですが、ウブな魔王に溺愛されているようです

 人間と魔族は長らく対立していた。


 各地で諍いは絶えず、とうとう種族の存続を賭けた大規模な戦争が始まるのでは、と危惧されていた矢先に、魔族の王である魔王からとある打診があった。




『和平及び不可侵条約を結ぶ代わりに、聖女を花嫁として捧げよ』と。




 そこで白羽の矢が立ったのが私、リリアーナ・ヴァンガルだ。


 伯爵令嬢として生まれたのに、癒しの力があるばかりに聖女の一人として担ぎ上げられ、魔族と睨み合う戦場に放り込まれた。


 過酷な生活を強いられ、命を賭して戦ってきて、ようやく平和な世になると思った矢先にこれだ。

 結局は政治の道具として消耗される自分にうんざりしつつ、少しは元の生活よりもいい待遇ならば、と一抹の希望を抱いて輿入れした。

 けれど、当の魔王様は出迎えてもくれないし、私を視界に入れようともしない。城内でバッタリ出くわしても眉を顰めてフイッと目を逸らされる始末だ。



 つい先ほど執り行われた結婚式でだって、誓いのキスはおろか手も繋いでくれなかった。



 そして今、専属侍女にピカピカに磨き上げられた私は、シルクの上質なネグリジェを着て夫婦の寝台にちょこんと座っている。

 そんな私を見下ろし、夫となった魔王様は眉間に海溝のように深い皺を刻んでいる。



(ああ、ここでも変わらないのね)



 結局は政略のために捧げられた花嫁だもの。言わば世界の安寧のための生贄よね、と密かに諦めのため息をつく。


 私の前ではいつも険しい表情をする魔王様。

 その頭には漆黒の角が二本生えている。

 よく見ると瞳は海のように深い碧色で、目鼻立ちもクッキリしていて驚くほどの美貌の持ち主だ。肩まで緩やかに伸ばされた黒髪も羨ましいほど艶やかだ。



「俺は、君に触れることはできない」



 低く色気を孕んだ声が鼓膜を震わせる。

 ああ、やはり。求められていないことはこれまでの態度でもよく分かっている。



 でも、聖女を花嫁にと望んだのはあなたでしょう?

 もしかして、私が来たことが気に入らない?

 聖女は他にも数人いる。そんな中、愛想のかけらもないハズレが来たと、そう思っているのかもしれない。



 半ば諦めに似た気持ちを抱きつつ、今後の身の振り方を考えながらジッと魔王様を見上げる。こんなにマジマジとご尊顔を拝めるのも最後かもしれないもの。

 そんなことを考えていると、パチリと視線が交差して、数秒見つめあったのち――魔王様が膝から崩れ落ちた。



「ぐぅぅ……もう駄目だ。そのような可愛い顔をして見つめないでくれ! 心臓が破裂してしまう……!」


「………………え?」



 えーっと? 何とおっしゃいました?

 あ、もしかして何か病気を患っているのかしら?

 一応癒しの力は使えるし、魔族にも効くことは実証済みなんだけど……果たして嫌われている私が触れてもいいのだろうか。



「あの、どこか具合が悪いのですか? もしかして、いつも眉間に皺を寄せているのは痛みを堪えているからではありませんか? よろしければ私が診ます」


「ぐっ、なんと慈悲深い……天使、いや、女神か? くそ、やっぱり好きだ……! 君と結婚できるなんて幸せすぎてどうにかなりそうだ」


「え?」



 待って待って、今好きって言ったの?

 堰を切ったように次々とこぼれ出す言葉に、私は戸惑ってしまう。



「無理だ。好きすぎて触れられない。こちらはすでに可愛いを致死量摂取しているのだぞ!? 眩く美しいピンクブロンドの髪に、秋の稲穂のような琥珀色の瞳も好きすぎる。どうしてそんなに可愛いのだ!? 存在がもはや奇跡では!? 花嫁姿を思い出しただけで動悸が……ウッ。それなのに……それなのに、何だその防御力皆無の格好は! あああ、眩しすぎて目が潰れる……直視できない。浄化されてしまう!!」


「ええ?」


「うう……すまない、せっかくの初夜だというのに。人間は初夜に夫婦の契りを結ぶのだろう? そんな、君と……そのようなことを……わあああ!! 俺には到底無理だああ!!!」



 目をぱちくり瞬いていると、とうとう魔王様は頭を抱えてゴロゴロと床を転がり始めてしまった。



(な、なんだか、戦場の姿と違いすぎません? 実は魔王様って、とっても個性的なお方なのかしら)



 とりあえず、落ち着いた方がいい。お互いに。



「ええと……とにかく少しお話ししませんか? 私はまだあなたのことを何も知りません」


「ぐ……そ、そうだな……君には俺のことをたくさん知って欲しい。……あ! それ以上は近づかないでくれ! 爆発しそうだ」



 何がですか。


 とりあえず、爆発されては困るので、目一杯伸ばされた手で渡されたガウンを羽織り、居住まいを正す。

 魔王様は床に正座して一定の距離を保っている。


 この状況は何?



「ええと……先ほど、私に触れることができないとおっしゃいましたが、それは触れたくないほど私のことがお嫌いというわけではないのでしょうか?」


「なっ!? 何を言う! 君を嫌うわけがないだろう!? ようやくこうして夫婦となれたというのに……ウッ、待ってくれ、そのような穢れなく美しい瞳であまり見つめないでくれ。心臓が止まる」


「えっ、あ、すみません……?」



 よく分からないけれど、とりあえず魔王様の角でも見ていよう。



 しばしの沈黙が流れる。

 魔王様は依然として胸をギュッと掴みながら肩で息をしている。



 先ほどから紡がれる言葉が真実なのだとしたら……根本的に勘違いをしていたのではないかと思えてきた。

 魔王様が落ち着きを取り戻したことを確認し、私は少しずつ質問を始める。



「えーっと、私が来た日に出迎えてくれなかったのは……?」


「君の姿を見た途端、心臓発作で倒れていた」


「えっ!? 大丈夫なのですか!?」


「問題ない。身体は至って健康だ」


「はあ……では、城内で顔を合わせても怒ったように眉間に皺を寄せていたのは……?」


「怒っているように見えたか!? すまない、そのようなつもりは毛頭なかったのだが……君を目の前にすると、頬がだらしなく弛んでしまうのだ。そんな情けない顔を見せることはできないだろう? 魔王の威厳というものがある。ニヤけてしまわぬように力を入れていた」


「結婚式で、キスはおろか、手も触れてくれなかったのは……」


「この俺にできると思うか!? そんな……恥ずかしいではないか!!! ウエディングドレス姿を見ただけでも卒倒しそうだったのだぞ!? むしろよく最後まで立っていたと褒めて欲しい」



 ――なんということでしょう。


 どうやら目の前で身悶えしている魔王様は、随分とウブらしい。それに、どういうわけか私のことを大事に思ってくれているようだ。



 答え合わせをするように、気になっていたことをたくさん尋ねた。魔王様はそのひとつひとつに律儀に答えてくれる。たまに胸を押さえて背を丸めてしまうけれど、概ね誤解は解消されたように思う。


 とりあえず、私はここにいていいらしい。


 さて、では最後に大切なことを聞いておかなければならない。



「旦那様」


「ぐっふぅ……破壊力っ!」



 旦那様と呼んだだけなのに、魔王はガンッと床に頭を打ちつけてしまった。びっくりするからやめて欲しい。



「旦那さ……こほん、あなた様のお名前を教えてくださいませんか? 私はそれすらも知らないのです」



 そう尋ねると、魔王様はガバッと顔を上げて信じられないとばかりに目を見開いた。



「ま、さか……俺はそんなことも教えていなかったというのか……?」


「ええ。出迎えもなく、顔を合わせてもすぐに立ち去ってしまわれましたから」


「愚かな過去の自分を跡形もなく消し去りたい」



 チクリと皮肉を言うと、魔王様はシュンと頭を垂れてしまった。あんなに険しい顔をしていた魔王様が、少し可愛く見えてきた。



「では、改めまして、私はリリアーナ・ヴァンガルと申します。本日あなた様の妻となりました」


「妻……良い響きだ……ハッ、俺の番か。こほん。俺の名はロディアス。どうかロディと呼んで欲しい」


「ロディアス……ロディ様。ふふ、素敵なお名前ですね。これからどうぞよろしくお願いしま……」


「……ウッ」


「ロディ様!?」



 名前を呼んで微笑みかけると……どうやらキャパオーバーだったらしく、魔王――もといロディ様は泡を吹いて倒れてしまった。


 夫婦としてこれから先が思いやられるけれど、不思議と私の胸はほわりと温かな気持ちに満たされていた。




 ◇◇◇



「とにかく、せっかく夫婦となったのですから、少しずつでもロディ様と時間を重ねていきたいです」


「わ、分かった……善処しよう」



 結婚式の夜に誤解を解いた私たちは、次の日から一緒に食事をするようになった。

 ロディ様は私の好みを把握しようと瞠目しながら観察してくる。



「ロディ様、そんなに見つめられては食べにくいです」


「はっ! すまない。あー……デザートは何にする? なんでも好きなものを用意させよう」


「うーん、悩みます。用意していただけるお食事はどれも美味しくて……全て大好きなのです」


「大好き……! ぐっ、俺も君が大好きだ……ウッ」


「ロディ様!?」



 ふたしたことで発作を起こすロディ様には困ったものだけれど、時間を重ねれば改善されると信じよう。



「リ、リリ……リリリリ……ッ! はぁ、はぁ、ごほん。き、君、今日のドレスはどれにする? ああ、どれも似合いすぎて決められん……!!」


「ふふ、今日はこちらの宵色のドレスにします。ロディ様の瞳の色に似ていますね」


「……きゅう」



 ドレスを選ぶだけでも目を回し、



「そっ、そんなにうなじを出してどうする!? 俺にとどめを刺すつもりか!?」


「え? そんなに出ていますか……? せっかくメアリが綺麗にまとめてくれたので気に入っているのですが……」


「最高だと思う」



 髪型ひとつにも毎日反応を返してくれるようになった。



 次第に、ロディ様は今日の装いをどう思うだろうか、褒めてくれるだろうか、可愛いと思ってくれるだろうか、と彼の反応を楽しみにしている自分がいた。



 専属侍女のメアリも、私に誠心誠意に尽くしてくれる。

 サキュバスだという彼女は色気に溢れ、隙あらばセクシーなドレスを着せようとする。そんなことをしてはロディ様が卒倒するに違いないのに、分かっていて楽しんでいるようにも見える。快活で裏表のない彼女の存在にはとても助けられている。


 そんな魔王城での生活は、幸せに満ちているのだけれど、ロディ様は一向に私に触れる素振りがない。


 ジッと見つめれば顔を真っ赤にして「勘弁してくれ」「見ないでくれ」とそっぽを向いてしまう。ススス、と距離を詰めれば、ズザザッと後退りされてしまう。

 いつしかそんな照れ屋なロディ様が可愛くて、愛おしくてたまらなくなっていた。



 でも、やっぱり夫婦なのだから、触れて欲しいと思うのも必然で――



「どうすればロディ様と触れ合えるようになるかしら」



 ヘアセット中に思わずこぼした言葉に、メアリがピクリと反応する。



「あらあらあら、まあまあまあ! むっふふふん。リリアーナ様からお気持ちをお伝えしてみてはいかがでしょうか? いっそのこと押し倒してしまっては!?」


「はあ……メアリ、そんなことをしたらロディ様がどうなってしまうか分かって言っているでしょう?」



 鏡越しにウキウキ楽しそうなメアリを見つめる。メアリは魅惑的なピンクの瞳に、同じく鮮やかなピンクの髪をツインテールに巻いた可愛くも妖艶な女性だ。愛読書は恋愛小説ということで、色々な知識を私に話して聞かせてくれる。



「そもそも、どうしてロディ様はあれほどまでに私を好いてくださるのかしら」



 ついでに溢した言葉に、メアリは愕然とした様子でコームを落とした。



「う、嘘……ご主人様ったら、そんなことも話していないのですか!? はぁ……仕方がありませんね。あのヘタレが」



 メアリはぼそりと毒を吐いた後、落としたコームをサッと拾い上げると、「少々お待ちください」と一言残して部屋を出ていってしまった。間も無く、ワゴンに何かを乗せて戻ってきた。



「メアリ、それは?」



 見たところ、一般的な銀のトレーのように見える。

 私の興味津々な様子に得意げなメアリが胸を張る。



「むふふ、使ってみてのお楽しみです。このトレーに水を張って、ご主人様と一緒に水面を覗いてみてください。月の光に満ちた時、面白いことが起こりますよ。幸い今夜は満月です。ベランダに用意しておきますので、ご主人様をベランダにうまく連れ出してくださいませ」


「? 分かったわ」



 一体何が起こるというのだろう。


 メアリが私に、ましてやロディ様に危害を加えることはあり得ないので、彼女を信じて試してみよう。




 ◇◇◇



 そして太陽が月に主役を譲り、辺りはすっかり暗くなった。

 雲一つない星空は、眩い月に圧倒されて控えめに淡い瞬きを放っている。



「リ、リリ、リリリリリリリ……ごほん。君、こんな時間にど、どうかしたのか?」


「ロディ様。夜分にお呼び立てして申し訳ございません。来ていただいてありがとうございます」


「君に呼ばれたら飛んでくるのは当然のことだ。気にするな」



 夕食後、メアリを通じてロディ様を自室に呼び出した私は、早速ベランダに視線を向けた。



「今日は月が綺麗ですよ。ベランダに出ませんか?」


「ベランダに?」



 所在なさげにソワソワしているロディ様は、突然の誘いに首を傾げている。



「はい。美しい夜空を、ロディ様と一緒に見たいのです」


「よし、ベランダに出よう。すぐに出よう。夜は冷えるからな、こ、これを羽織っていなさい」


「あ、ありがとうございます……」



 即答してくれたロディ様は、バサリと外套を外して私の肩にかけてくれた。

 ほんのり温かくて、ロディ様の温もりだろうかと考えると自然と頬が緩んでしまう。


 そのままロディ様にエスコート(手は触れてくれない)されて、並んでベランダに出た。あっさりロディ様をベランダへ連れ出すことに成功してしまった。

 ベランダには丸テーブルが用意されていて、その上には昼間にメアリが見せてくれたトレーが置かれている。トレーにはなみなみと水が注がれており、まんまるな月が水面で揺蕩っている。



「ロディ様、見てください。今宵は満月ですよ」


「ああ……美しいな……ん? こ、これは!? 何故こんなところに!?」



 さりげなくトレーの側にロディ様を誘導し、二人して水面に映り込むような位置につけた。

 優しい表情で夜空を仰いでいたロディ様だけれど、ふと視線を下げてトレーを視界に捉えたらしい。ギョッと小さく飛び上がり、慌ててトレーに手を伸ばした様子から、これが何なのかご存じのようだ。しかし、ロディ様がトレーに触れるより早く、ゆらゆら揺れていた水面の月がぐにゃんと円を描くように歪んだ。



「ああっ!」



 ロディ様の悲痛な叫び声が響くと同時に、水面にパッと映像が映し出された。

 場所はどうやら森の中だろうか。天から俯瞰するような視点で映像が流れ、やがて一人の女性を映し出した。



(え? これって……)



「私?」



 そこにいたのは、簡素な服装をしたかつての自分だった。

 足首を隠すほど長いワンピースが汚れることを厭わずに、川辺で山積みのタオルをゴシゴシ洗濯していた。元は白かったはずのワンピースは、すっかり土色に褪せていた。

 聖女とは名ばかりで、兵士の怪我を癒しの力で治療するだけではなく、炊事や洗濯、さらには薪割りも私たちの仕事だった。生家にも帰れず、戦地を転々として基本は野営をする生活。そんな生活に身を置いていた頃の私がそこには映っていたのだ。



「あ、あ、あああ……」



 隣のロディ様は、両手で顔を覆いながらも指の間からチラチラと水面の映像を盗み見ている。

 とりあえず映像はまだ続いているようなので、引き続き水面に視線を落とす。



「あれ?」



 大量のタオルを洗い終えた私が、額の汗を拭って立ち上がったところに、腕を負傷した一人の魔族が現れた。

 彼のことはよく覚えている。確か、そう。二年ほど前のことだ。彼の怪我を治療して、初めて癒しの力が魔族にも効果があることを知ったのだ。


 映像の中の私が何か魔族の男に声をかけている。初めは警戒していた彼も、恐る恐るといった調子で腕を差し出した。そして白い光が弾け、次の瞬間には魔族の男の怪我は見る影もなく治っていた。


 なるほど、どうやらこれは過去の記憶を映し出しているのか。けれど、どうしてあの時の記憶が映し出されているのだろう。


 うーん、と首を傾げていると、ロディ様が「もういいだろう」と消え入りそうな声でトレーを持ち上げた。そしてベランダからザーッと水を流してしまったので、続きを見ることが叶わなくなってしまった。



「あっ……もう少し見たかったのに……」



 しゅん、と肩を落とすと、ロディ様は「ぐふぅ」と数歩後退りした。そして胸を押さえながら、懺悔するように口を開いた。



「うう、すまない。俺が耐えられなかった。あの時は、うっかり不注意で怪我をしてしまったのだ。そんな情けない姿を見られたくなくてだな……」



 ……うん?



「人間たちの様子を確認するために姿まで変えたというのに……だが、怪我のおかげで君に治療してもらえたのだから、僥倖だったのか? 今こうして夫婦でいられるのも、あの日、他種族にも分け隔てなく慈悲の心を見せてくれた君の姿に魅了されたおかげだしな」



 んんん?



「あの日以来、俺は定期的に君の様子を見守っていた。不自由な暮らしはしていないか、身に危険は及んでいないか、とな。だが、君の生活はひどいものだった。それも全ては人間と魔族の諍いのため。まあ、いつも人間が魔族の領地に攻撃を仕掛けてくるから返り討ちにしていただけなのだが……だから俺は和平条約を結ぶ準備を進めていた。そんな中、君と第二王子の婚姻話が浮上したと聞いて居ても立っても居られずに、君を花嫁に求めてしまったのだ」



 待って、私の知らない話まで出てきた。

 ロディ様は目を泳がせながら言い訳をするように矢継ぎ早に全部語って聞かせてくれた。



 どうやらあの日、私が治癒した魔族の男はロディ様だったようだ。敵対する魔族であるにも関わらず治療を施した私に好意を抱いたロディ様は、この不思議なトレーを使って私の様子を時折見守ってくれていたらしい。

 聖女の扱いの酷さに心を痛め、さらには癒しの力が強いからと、世継ぎのために第二王子に嫁がせる話が浮上していたという私を憂いてくれていた。これ、戦場にずっといた私には一切知らされずに勝手に進んでいた話だとか。

 第二王子は随分と我儘で横暴だと聞いていたので、今更ながらゾワリと背筋が粟立った。



 本当に、私は消耗品でしか無かったのかと、かつての生活を思い出して辟易とする。

 そんな地獄から掬い上げてくれたのが、今目の前で顔を真っ赤にして弁明しているロディ様というわけだ。


 政治のために犠牲になったのだと、言うならば生贄のようなものだと、輿入れした時はそう思い込んでいたけれど、違ったのだ。



「私、聖女であれば誰でもよかったのかと思っていました。でも、違ったのですね。私だから、ロディ様は妻にと求めてくださったのですね」



 もしロディ様の妻になれなかったら、横暴な王子の妻にされて、国に一生力を搾取されていたのだろう。結果として、私はロディ様に救われていたのだ。



「あ、当たり前だ……! 俺にはもうリリアーナ以外眼中には……アッ」



 身を乗り出して必死で訴えるロディ様は、言葉を切ると、慌てて自分の口元に拳を当ててしまった。



「ロディ様……初めて名前を呼んでくださいましたね」


「う、あ……すまない……」



 狼狽えながらロディ様は後退りをするけれど、すぐにベランダの柵に行き着いてしまう。逃げ場をなくしたロディ様に、ゆっくりと近付いていく。



「どうして謝るのですか? 嬉しいです。いつも頑張って呼ぼうとしてくださっていることは察しておりましたが……ふふ、好きな人に名前を呼ばれると、こんなにも幸せな気持ちになるのですね」


「す、き……だと?」



 信じられないとばかりに目を見開くロディ様。さっきから百面相のようで、思わずクスリと笑みが溢れる。


 私のことが大好きだと言うのに、一向に触れてくれないウブで愛しい旦那様。私を一人の人間として、大事に扱ってくれる素敵な人。彼の優しい心に触れて、惹かれない人はいないだろう。


 私はそんなロディ様の胸に手を当てて、ズイッと迫る。


 これでもかと眉を下げ、真っ赤な顔をして目を泳がせるロディ様に愛しさが込み上げる。



「ええ、大好きです。愛しておりますよ、ロディアス様」


「……へあ?」



 情けない声を出して呆けている隙に、ロディ様のきめ細やかな頬に唇を寄せた。



「◎△$♪×¥●&%#?!」



 声にならない悲鳴をあげながら、バッと頬を押さえて瞠目するロディ様が可愛くて仕方がない。手のひら越しに伝わるロディ様の心臓は驚くほどに早い鼓動を刻んでいる。

 それだけで、ロディ様の気持ちが伝わってきて、どうしようもなく愛おしさが込み上げてくる。



「唇には、いつかロディ様からしてくださいね」



 こてりと首を傾けて見せると、ロディ様は頭から湯気が立ち昇るほど全身真っ赤に染まってしまった。



「な……っ!? は、は、は、破廉恥だぞ!!」


「ふふ、破廉恥な私のことなんて、嫌いになりました?」


「ぐっ、大好きに決まっておるだろう!! ぐあああ俺の妻が可愛すぎて死にそうだ」


「いやです。冗談でも死ぬなんて言わないでください」


「ウッ、今寿命が五十年縮んだ」


「あら、ではキスをしたらどうなってしまうのでしょうか」


「この……可愛い小悪魔め!! ぐぬぬ、そんなリリアーナも愛しておるわ!!」


「ふふ、きちんと名前で呼べましたね。偉いです。その調子ですよ」


「あっ!」



 目一杯手を伸ばして、サラサラの黒髪を撫でる。

 ロディ様の潤んだ瞳いっぱいに、幸せそうに微笑む私が映っている。



「では、次は抱きしめることができるようになりましょうね。私、ロディ様にギュッとして欲しいです。願わくば、寝所も一緒にして、あなた様の温もりに包まれて眠りたいです。きっと温かくて、心地よくて……よく眠れるのでしょうね」


「ウッ」



 少し意地悪かなと思いながらも、奥手なロディ様にグイグイ迫っていると、とうとう限界を迎えたロディ様はバタリと白目を剥いて倒れてしまった。



「もう……」



 倒れたロディ様の頬をツンツン突きながら、まだまだ夫婦としての道のりは遠そうだと息を吐いた。それでもいい。少しずつ、私たちなりに夫婦としての時間を重ねて行けたら、きっと今よりずっと大きな幸せが待っているはずだ。



「さて、ロディ様を運ばなくっちゃ。メアリを呼びましょう」



 ベランダに置いたままにはしておけないので、私は助太刀を求めて城内へと向かった。そんな私の背を、柔らかく眩い月の光が照らしてくれていた。

見つけてくださりありがとうございます!


楽しんでいただけたでしょうか?

少しでもクスリと笑っていただけたら嬉しいです( ˘ω˘ )

可愛い夫婦はゆーっくり関係を深めていくことでしょう。

ロディ様がんばれ。


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