16-地下水路にて
16話 地下水路にて
冷水へ頭からダイブし、全身びしょ濡れとなったルークはかじかんだ手で龍石を握りしめ、歯をカチカチ言わせながら唱えた。
『暖よ・・・来たれ』
瞬時に服から蒸気があがりウールの肌触りの良い暖かな毛布に深く溶け込んでいくような感覚に耽り、その快楽から抜け出すのに幾ばくか時間がかかった。
その間に、フリージアとロックふたりの後に続き地下水路へ這い出たサルウィンは、松明の光を頼りに手についた泥をハンカチで拭きとり、ルークの前に手を差し出していた。
「ルーク様、仮面をお渡しください。それぞれ皆さんの性別、髪の色、背丈等、これらの要素に当てはまる人物をご用意いたしました。彼らなら十二分に替え玉として務まりましょう」
「サルウィン待って!」
ルークは自分に対しいつも親切にしてくれる人たちを巻き込みたくないその一心で、父上の忠言を用いることに躊躇うことはなかった。
「身代わりを立てる必要まであるとは思えない。自分がグレン殿下に龍神の力を行使した理由をご説明に上がれば替え玉なんて必要ないだろう?自分の従者を盾にするなどバロバロッサ家の名を汚す行為だ、父上もよく仰っていた・・そうだろ?」
しかしサルウィンはルークの本心を理解しているのか眉ひとつ動かさずにルークの目を見つめ淡々と話し続ける。
「ルーク様、私がここにいる理由はコロシアムに関わる問題だけではないのです。今は情報を入れず混乱していない明敏な頭脳で速やかに行動されることが1番大切なのです」
「いやだ!だって・・・」
ルークは懇願するように必死に訴えた。
「オール栽培人のオルフェンは赤ちゃんが生まれたばかりだし、メイドのアベリアは毎朝3階にある僕の部屋までいつも重い水桶を持ってきてくれる。門番のルウ爺は僕が小さい頃から剣の稽古に付き合ってくれた。とっても大切な人たちなんだ・・・」
サルウィンは眉間に皺を寄せて困った顔になった。
「仕方がありません、事態の重大さをお話しする必要があるようです。どうか私の発言に対し一言も口を挟まずに、そしてお聞きになった後は速やかな行動を心がけてください」
長く枝分かれする暗い水路から水の滴り落ちる音が耳に入ってくる、皆は黙ってサルウィンの次の言葉を待った。
「聖火教会にて展示されていた無煙龍石が龍神の力を行使する何者かに盗まれる事件がございました。犯人は未だ逃亡中。パウロ辺境伯が直々にご調査されるようです、皆さんがここにいるこの事実がどれほど危険なことなのかご理解頂けますか?」
「なんだと?」「きゃっ!」
ルークはあんぐり口を開けたまま呆然とサルウィンを見つめ、フリージアも声にならない叫びをあげて口に手を当てた。
聖火教会にある無煙龍石は龍素が尽きており龍石としての力は完全に失っているが、3世紀前の大戦争で使用された無煙龍石はいわばこの国の豊かさを顕す象徴であり、無煙龍石を盗むことは国への叛逆を意味するのだ。
皆さんがここにいるこの事実がどれほど危険なことなのか・・・ルークは水路がぐるぐる回転するようなめまいに襲われ、全身の血が冷えわたり動悸が高まっていく。
サルウィンの言った意味・・・
「父上は・・・無煙龍石を盗んだ犯人がここにいる僕たちと関わりがあるやも知れないとお疑いになると?」
「私もその場を見てはおりません。しかし信頼できる情報筋では拝廊から突如ひかめく光が放たれた後に天井が崩れ落ち、気づけば無煙龍石は消失していたとのこと。そして・・・」
サルウィンの目線は松明からルークに移り、不憫に思う哀れみの眼差しを向けて穏やかな口調で続きを話した。
「その強奪事件とほぼ同時刻にまたもや神格者の手によって龍造人形の無力化工作が行われました」
「偶然なんだ!」
サルウィンの声色から自分が盗人でないことを信じてくれていると理解していたが、どうしても叫ばずにはいられなかった。
「私はもちろん承知しております。しかしどちらも神格者絡みの事件として結びつけられる可能性がございます。旦那様は謹厳実直なお方、たとえご子息のルーク様に白羽の矢が立ったとしても調査を緩めることはないでしょう・・・」
その続きはサルウィンが口にしなくてもわかっていた。
たとえ無実だと証明されても噂は独り歩きし、それはどんどん尾鰭がつき足されていくだろう。バロバロッサ家の汚名は全国に広がりそれは笑いの種だけにはとどまらず、最後には身分の剥奪に行き着く可能性だってある。
ロゴス帝国は徳によって統治することを第一の柱としている。そのため悪名が広がれば王は介入し、徳の高い人間に首をすげ替えるのだ。
「彼らに仮面をお渡しください」
ルークはサルウィンの言われるがままに自分の使用人に仮面を手渡した。もう自分の罪を自らの手で贖うことができない段階にまできたことを理解したのだ。自責の念に耐えられず身代わりとなる使用人たちの顔を避け、自分の足元に視線を落とした。
「ごめんなさい」
門番の老人は背を丸めて小さくなっているルークの手を握り子供を宥めるような落ち着いた口調で話した。
「ルーク様、ご安心ください。私たちにも武の心得は多少ではありますがございます。自らの身を守るぐらいなら問題ありません。どうかルーク様、貴方のやるべきことをなさってください」
ルークは申し訳ないという罪悪感に押しつぶされそうになりながらもゆっくり頭を上げて老人の、ルウ爺の顔を見た。ルウ爺は確かに微笑んでいたが、口元はわずかにピクピクと痙攣している。ルークは何も言えず使用人たちがコロシアムへ続く道を這って行く後ろ姿をただ眺めていた。
サルウィンを先頭に迷路のようなに枝分かれする地下水路を誰もが無言のまま、ただ前へ、くるぶしまである水をかき分けながら進んだ。
半時間は経ったろうか次の道を右へ曲がると舗装された水路はここで終わり、人の手がかかっていないゴツゴツとした岩場となった。そこを猫のように縫いながら進み続けると、こじんまりしているが上から一筋の光が差し込む円形の空間に出た。
「酒屋!着いたぞ」
サルウィンは光の差す方へ吠えるよう声を張り上げると、綱紐が上から垂れ下がり「登ってこい」と、酒屋と呼ばれる者の声が響いた。
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