クラス代表試合前夜1
それから時間は瞬く間に進み、クラス代表試合前日になった。
まあ勝つためには必死に練習する以外、他にするべきことがなかったからな。大事なことは日々の鍛錬の積み重ねだってことは俺もアリスもよくわかっていた。だから目の前のことに集中していたら本当にあっという間に時間が進んでいた。
俺とアリスはこの日も迷うことなく稽古に励んだ。
例年クラス代表試合は男女別で試合をするらしく、俺の相手はニースとかいうファナさんの取り巻きであるため、いまある力で十分に勝てる自信がある。
まあ俺のことはさておき、注目するべきはファナさんと試合をすることになっているアリスの著しい成長だ。
アリスには俺の魔力を供給することで超負荷をかけた魔力トレーニングをこなし続け、確実に魔法の威力がパワーアップしていた。魔力制御はそっちのけでひたすら魔力だけを強くしていったので、その道の先達から見れば邪道と非難されるかもしれないが、俺とアリスは結果として強ければ問題ない派だったので二人で大いに喜んだ。
また、アリスに俺の魔力を使ってもらった思わぬ副産物として俺が魔力切れしづらくなった。魔力切れになると頭痛がしたり妙にふらふらして耳鳴りがしたりして立っているのが辛くなるんだけど、それが現在はなくなった。
エクセリオンによるとアリスのために毎回魔力を供給した結果、俺の魔力脈が大きく鍛えられた結果らしい。蛇口が捻れば捻るだけ水が出る状態になっているから、早々魔力切れを起こすこともないだろうとのことだ。
ちなみに魔力とはなにかというと、魔臓で作られる事象干渉力であり、現実に一時的に干渉して世界の法則を騙すことで、魔法を発現させられる力のことを言うそうだ。
この程度の基礎知識すら押さえてねえのかよ、とエクセリオンは不機嫌そうだったが、それでもちゃんと俺に教えてくれるあたりサポーターとしていい働きをしてくれている。
そんなこんなで俺たちはいま寮でクラス代表試合前夜を迎えつつあった。
「ねえ、明日のクラス代表試合勝てると思う?」
「まあ悪くない勝負になるんじゃないか」
この日はなぜかアリスが俺の部屋に来たいと言い出したので、周りには気づかれないようにこっそりと案内した。
なにせ男子寮なだけに女人禁制、しかも俺は人族かつ一年生だから寮の全員から色々と目を付けられているんだ。
こいつにだけは女を近づけるな。もし女から近づく場合があっても裸にされる恐れがあるから近づかないほうがいいって言って全力で引き離せって寮生たちは俺に嫌がらせしているらしい。先輩も同学年も関係なしでだ。こんなところでも人族を下に見て差別するなんて見下げ果てた同じ寮の仲間たちだ。
『いやいや、どう考えてもマスターは嫌がらせになんか遭ってないだろ』
えっ、これは嫌がらせじゃないって? いやいや、どう考えても嫌がらせだろこれ。
ともあれ、そんな俺が女子と接する機会はアリスと、それに稽古をしてくれるアストレアぐらいなもので、この二人と仲良くなっていくのは必然。そこでアリスが俺の部屋に来るとなれば……まさか俺に惚れたということかっ!?
『馬鹿、そうじゃねえだろマスター。童貞丸出しの思考は捨てろ』
「なっ!?」
とても痛いところを突かれた俺は思わず声を上げた。アリスがきょとんと首を傾げる。俺は慌てて何事もない風を装って反論した。
ど、童貞だっていいじゃないかっ!? ど、童貞を守らずにしていったいなにを守ることができるっていうんだよっ!?
『訳のわからねえことを格好よさそうに言うな』
「どうかしたの?」
「い、いやっ!? な、なんでもないっ!?」
「どこに座ればいいの?」
「とりあえずはベッドに座ってくれ」
事態を正確に理解するため、俺は椅子に座るとエクセリオン先生に教示をこう。
なあエクセリオン、俺に惚れたんじゃないならなんでアリスは俺の部屋に来たんだ?
『不安なんだよ。いくらアリス嬢ちゃんが強くなったところで、明日の戦いはアリス嬢ちゃんが惨敗したファナ嬢ちゃんが相手なんだ。だから依然と同じく明日も負けるんじゃないかって悩んでいるんだ』
えっ、なんでそんなことがわかるんだ?
『これまでの話を聞けば察しはつくんだ。むしろ察せないマスターが鈍すぎる。毎日アリス嬢ちゃんと会っているんだからこれぐらいわかってやれよ、これだから彼女いない歴=年齢の男は……』
俺が悪いのはわかったけど、エクセリオンの言葉がいちいち痛いところを突いてきてなによりもまず心が痛い。わ、わかったっ!? ほ、本気で反省しているからっ! お、お願いだから、童貞とか彼女いないとかやめてくれっ!?
これ以上エクセリオンからの叱責は受けられないので、俺はできるだけ誠実に、そして注意深くアリスに向き合うことにする。
「なあアリス、なにか悩みがあるんじゃないか?」
「どうしてそう思うの?」
「お前がわざわざ俺の部屋に来るなんてよっぽどのことだろ。普段は元気いっぱいで勝ち気なお前が、今日はなんていうか緊張していたような気がしたからな」
『気づいていたのなら最初から気にかけてやれよ』
しかたないだろ、お前に指摘されてから違和感が繋がったんだよ。
「正解よ。でも、あんたにここまで見透かされるなんて思ってもいなかったわ。わりと鈍いタイプだと思ったのに」
「ならファナさんとなにがあったのかを教えてくれないか? 前に俺が尋ねたけど、結局なにがあったのか教えてもらえなかっただろ」
入学初日にアリスがファナさんとトラブルになったとき、理由を尋ねてもアリスは目を泳がせるだけで教えてくれなかったときの件だ。
「いまの人族の世代で、あたしが『最強』って呼ばれているのは知っているわよね」
史上最年少で第二魔法を発現させたはたしかに俺たちの世代でそう呼ばれている。ちなみに俺は五歳のときにはそう呼ばれていたかもしれないが、魔法が使えないと判明してからはずっと裏口扱いされていたから最弱だった。アリスとはちょうど立場が対になっている。
「人族の地位を向上させる必要があるのは陛下やその考えを聞いていた貴族の一部にとっては命題だったよの。『最強』になる可能性が少しでもあるならと陛下は身分を問わず魔法士として高度な教育を受けられるように制度を整えられたわ。もちろん教育環境も国力が許す限り便宜を図ってくれた」
それで考えると、魔法を使えない俺が王立魔導士学院に進学できたのは国策の影響だったってことか。
王立魔導士学院時代では、アリスが死に物狂いで努力をして第二魔法起源に至ったことが、俺の記憶の中にも存在する。
「あのときは偶然あんたも現場に居合わせたけど、あたしが第二魔法を強引に発現してロクに制御できず周りだけでなく自分の身すら焼き焦がしかけたわ。教師が止める中、何度も挑戦して命を懸けることでようやく【紅蓮の龍】を支配することができたの」
意志を持つ魔法である第二魔法を従えることは容易ではなく、気を抜けば術者が魔法に喰われることがあるとすらいう。強靭な精神力はあっても、魔力制御に秀でていないアリスには、第二魔法を制御することで支配下におくことは相当な困難が伴うことであるのは想像に難くない。
アリスの第二魔法である【紅蓮の龍】の力は、対峙したことがある俺がよくわかっている。そして暴れ狂う【紅蓮の龍】に勇敢に立ち向かって行ったアリスの姿も覚えている。
だから、アリスが決して天才ではなく秀才なんだ。秀才が努力を積み重ねて辿り着いた先に俺たちの世代の中で人族最強と呼ばれるに至るという逸話は俺の胸を熱くさせる。
最初からなにもかもそつなくこなせる天才より、俺は泥臭く努力し続けて高みに至る秀才のほうが好きだからだ。
「そのことがファナさんとどういう関係があるんだ?」
「ファナとあったのはエルフの国であるレーム連合王国からの使節団と親善試合をしたときよ」
「当時あたしは自分が周りの大人たちからあたしなら人族が最弱でないことを証明できると持て囃されていたこともあって、あたしが人族の未来を変えるんだって意気込んでいたわ。だから、人族より上にいるエルフ族との親善試合も相手の胸を借りるとかっていう下手に出るつもりなんかなくて、むしろここでファナを叩き潰して人族を下に見るエルフ族のプライドを折る気概で望んでいたわ。でも、結果は――」
『あら、お怪我はありませんか?』
それが全力を出したすえに敗れたアリスにかけられた言葉だったらしい。
力の限り放ったありとあらゆる攻性魔法を軽々と破られ、切り札である【紅蓮の龍】も【原初の森の王】の前にあっけなく敗れ去ったそうだ。
その後、魔力が枯渇していまにも倒れそうになるアリスの前で、涼しい顔をしたファナに件の言葉を投げかけられた。
「敗れたあたしにファナが発した言葉は、あたしを気遣うものじゃなくて、誰が上で誰が下かとはっきりと格の違いを教えるものであったことは確かなことよ」
いわゆる外交儀礼というものを守りながら、ファナは最大限の屈辱をアリスに与えたのだ。
「戦闘中のファナの眼差しはまるで羽虫でも見るかのような態度だったわ。でも、そうなって当然のことだったの。決して弛むことなく毎日必死で足掻き続けてきたあたしの魔法がファナには全部通用しなかったわ。あたしの全力なんて相手にする価値なんてない。ファナは一貫した態度でそれを示してみせた。あたしの全力はファナの足元にすら届かなかったって知ったとき、あたしは悔しくてそのまま消えてしまいたいとすら思ったわ」
それまで自分を支えてきた最強という自負が粉砕されたアリスだが、彼女の屈辱はそれだけに留まらなかった。
「なにをやっても勝てないという壁を前にわたしが崩れ落ちたとき、周りがわたしを見る目が一瞬で変わったの。期待の星ではなく、腫れ物をみるかのようだった」
人族が他の種族に勝てることを証明してみせる、というアリスの信念。
奇しくもアリスは、それが不可能であることを自ら証明してしまったのだ。
完全な敗北を喫したアリスの前で誰かぽつりと誰かがつぶやく。
『やはりどんなに強くともしょせん人族は人族なのだな』
その言葉を皮切りに、アリスの敗北は人族の大きな絶望に姿を変えていった。
周囲の大人たちがアリスに向けるのは、落胆、失望、悄然としたものになり、当時まだローティーンだったアリスは体調不良という名目で二度とエルフの使節団と顔を合わせることはできなかったという。
「それから色々あってあのとき大人たちからわたしに与えられた評価を払拭しようとして、あたしは一層努力したわ。でも、いまのあたしが通用するかどうか、負けたらまたあの目を向けられると思うとわたしは自分が嫌になるわね」
しかし、妙だな。そのわりにはファナさんのほうがアリスを意識しているような気がしなかったか?