第7話 見知らぬ母
俺は1通の封書を受け取った。それは見知らぬ『母』からの手紙だった。向こうの世界で両親のいなかった俺は母を知らなかった・・・。
ググトのいる世界から来た「俺(小川涼介)」の話。
俺が大学から帰ると、ポストに1通の封書が入っていた。差出人は角野祥子と書かれていた。
(角野祥子? 知らない名だなあ。一体誰だ?もっとも平行世界だから知らない人がいても当然だが・・・)
俺はそう思いながら封書を開けた。そこには手紙が入っていた。
『涼介。寒くなってきましたが元気にやっていますか?・・・・
あなたにはすまないことをしたと今でも思っています。・・・
あなたはなかなか会いに来てくれないので、私がそちらに行くことにしました。多分、27日は東都ホテルに泊まっています。もし私に会ってくれる気になったら電話ください』
そして最後に「母より」と書かれていた。
「母?」
俺は不思議そうにつぶやいた。俺にも向こうの世界でも両親がいるはずだった。だが俺が物心つかない頃に死んでいた。成長してからググトに殺されたと聞かされた。
だがそんな子供は向こうの世界では大勢いた。その子供は政府の施設で養育され、学校に通わせるなど政府が責任をもって面倒を見てくれた。俺もその施設で育った。もっともその施設の職員は事務的で子供に愛情を注ぐということはなかったが・・・
だから俺は母というものを知らなかった。というより考えたことがなかった。母とは一体、どういう存在なのかを想像することもできなかった。いわゆる母の愛を知らずに俺は育ってきたが、それが俺とこの世界にいた『俺』の性格の違いにつながったのであろうか・・・
俺はその『母』に会う気はなかった。向こうの世界に行った『俺』の母であって、俺の母ではないのだから。俺はその手紙を封筒にしまってポケットに突っ込んだ。それでその手紙のことが忘れてしまった。
理沙が待ち合わせ場所をLINEしてきた。俺は理沙から無理やりスマホを持たされていた。もう壊れたと言って嘘をつくのも面倒くさくなって、そのまま理沙の言うとおりにした。マサドになるときはスマホを放り出せばいいのだから。
俺がその場所に行くと理沙はもう待っていた。そして封書を俺に差し出した。
「何?」
「見覚えないの? これに」
俺は渡された封書を見た。それは『母』からの手紙だった。その手紙のこともすっかり忘れていたし、どこかに落としたようだが気がつかなかった。
「あ、それ。もういいんだ。捨てようと思っていたんだ」
俺がその手紙を取り返そうとしたが、理沙はその手を上げて渡さなかった。
「いいことないわ。昨日、公園で別れた後に拾ったの。そこで落としたんでしょう。悪いけど中を読ませてもらったの」
(理沙が見たのか・・・面倒なことになりそうだな)
俺はそんな予感がしていた。
「どうしてお母さんに会ってあげないの! こんなに手紙まで書いて涼介に会いたいと言っているのに」
「いや、いいんだ。いつでも会えるから・・・」
俺は何とかごまかそうとしていた。『母』と会っても俺はこの世界の涼介ではないのだから、変だと思われるだけという気がしていた。
「だめよ!今日は27日じゃない。電話してあげなさいよ!」
理沙はそう言うが、俺は見知らぬ人にどう電話したらいいかもわからず、口ごもっていた。
「いいわ!私がかけてあげる」
理沙は俺のスマホを取り上げると、手紙に書いてある番号にかけた。
「あ、もしもし。私は涼介さんの友達の中村理沙と言います。お手紙をいただいて・・・」
理沙は電話の向こうの『母』に話をしていた。そこから聞こえてくる声は嬉しそうだった。そしてついに近くの喫茶店で会うことになった。
「私がいなくちゃ、何もできないんだから」
理沙は俺を引っ張っていった。
(会って何の話をすればいいんだ?とにかく何と呼べばいいんだ?)
俺は歩きながら考えていた。
その喫茶店に入るともう『母』は来ていた。理沙が手を振るとその『母』は立ち上がって顔を向けた。
(これが俺の『母』か・・・)
俺は何とも言えない複雑な気分になった。上品で優しそうな人だった。この世界では平行世界とほぼ同じ人が存在するのだから、もし俺の母が生きていたならこういう人なのだろうと思った。だが俺は何と声をかけたらいいか、わからずに困っていた。
「さあ、お母さんよ。何とか言いなさいよ」
理沙が肘でつついて促した。
「お母さん」
俺は初めてその言葉を口にした。すると目の前にいる『母』はうれしそうににっこり笑った。
「涼介。よく来てくれたのね。お母さんはうれしいわ」
理沙はそれを見て、あきれたように言った。
「まるで他人行儀ね。さあ、座りましょう。積もる話もあるでしょう」
俺と『母』は向かい合って座った。だが何を話していいか、わからなかった。横にいる理沙はじれったくなったようで、俺に訊いてきた。
「会うのは何年ぶり?」
「ええと・・・」
それを俺が答えられるはずがなかった。
「15年ぶりかしら。でも小さい頃と変わっていないからすぐにわかったわ」
『母』はそう答えた。
(15年もあっていなかったのか?一体、何があったんだ?)
俺は疑問を感じつつも話を合わせた。
「ああ、もう、そんなになるかな」
「今はどうしてるの?」
『母』は尋ねた。
「香鈴大学に通っている。今、2年生だよ。お母さんは?」
「今は一人。主人は亡くなったし、子供たちは家から出ていったし・・・」
『母』は結婚して『俺』が生まれたが、その『父』はすぐに死んでしまった。一人で『俺』を育てるつもりだったらしいが、いろいろ事情があってある男性と再婚した。それで『俺』は祖父母に預けられた。それ以来、『俺』は『母』と会おうとしなかった・・・ということらしい。
(そういうことか・・・)
俺は納得した。俺にとっては他人事だが、この世界の『俺』は『母』を許せなかったのだろう。
それからいろいろ話したが、やはりその会話はぎこちなかった。15年ぶりに会った『俺』と初めて会った『母』との会話では致し方なかった。
「ちょっと外に行きましょうか」
理沙はもどかしさを覚えたのか、俺たちを誘った。俺は訳が分からなかったが、「いいよ。」と応じた。『母』も優しくうなずいた。
「さあ、着いたわ」
理沙が連れてきたのは小さな遊園地だった。
「私が子供の頃、ここによく連れて行ってもらったの。今日は子供に戻って」
「そうね。いいわね」
『母』は笑顔だった。そこは観覧車だの、コーヒーカップだの、回転木馬や小さなジェットコースターがあった。
「覚えている?あなたが5歳の頃に来たことあるのよ」
『母』はそう言ったが、もちろん俺に覚えがあるはずがない。だがもう一人の『俺』には楽しい思い出として残っているのかもしれないが・・・
理沙は乗り物に乗って大いにはしゃいでいた。まるで自分が楽しみに来ているようだった。それにつられて俺も楽しんで、徐々にリラックスして『母』への気まずさも薄れた。
「涼介。大丈夫だった?お母さんは心臓が飛び出しそうよ」
『母』は俺に話しかけた。
「ああ、でも楽しかったよ」
俺は『母』と気負わずに話せるようになっていた。
「ちょっと休憩しましょう。あそこにベンチがあるわ。涼介。ちょっとジュースでも買ってきて」
「ああ、いいよ。」
俺は近くの売店に走って行った。
俺は思っていた。幼い頃、俺は親と遊園地に来たことはなかった。もし来たとしたらこんな感じなのだろうか・・・考えてみると、俺には幼い頃の楽しい思い出があまりなかった。
俺はジュースを買って『母』と理沙のところに戻ってきた。声をかけようとしたが、2人が何か話しており、それを陰から聞いてしまった。
「理沙さん。あなたのおかげです。ありがとう」
「いえ、涼介は、本当は会いたかったと思いますよ」
「あの子には申し訳ないことをしたわ。夫が死んで私一人で涼介を育てようとした。でも生活はかなり苦しかった。そんな時、勤め先の社長が私を再婚相手にって。これで涼介に苦しい思いをさせなくても済むと思ったわ。でもそこの子供が涼介と一緒に住むのだけは嫌だと言い出した。それは後でよく説得すればいいかと考えて私は再婚して、しばらくの間だけと思って涼介を実家の母に預けた・・・それがいけなかったんでしょうね。それから涼介は幼心に捨てられたと思って、私に会うのを嫌がった。一緒に住めるようになっても私の下には来なかった。いえ、私には絶対会おうとはしなかった。今まで・・・」
『母』は悲しそうにそう話していた。
「お母さんが悪かったわけじゃないわ」
「いえ、私のせいよ。涼介を深く傷つけてしまったわ。でも今日会うことができてうれしかった。理沙さん。ありがとう」
『母』は理沙に深く頭を下げていた。俺はこの世界にいた『俺』にこれを聞かしてやりたかった。それなら『俺』のかたくなな心も『母』を少しは許すのではないかと思った。
俺はちょうど今、戻ってきたように2人の前に出た。
「お待たせ!買って来たよ。」
俺は2人にジュースを渡した。
「ありがとう。そうそう、今、話していたの。お母さんは明日朝の電車で帰られるそうよ。だから今晩、2人で私の部屋で泊まったら。まだ話したいこともあるでしょう。涼介の部屋じゃあ、狭いから。私は隣の友達の部屋に泊めてもらうから」
「いや、それはすまないよ」
「いえ、そうして。そう決めたの。遠慮しないで」
理沙は笑顔でそう言った。
3人で夕食を済ませた後、俺と『母』は」理沙の部屋に泊めてもらった。理沙は『母』をベッドに寝させて、その下に俺用に布団を敷いてくれた。『母』は俺に話しかけた。
「覚えている?あのクマのぬいぐるみ・・・」
『母』は次から次に昔の話を俺に聞かせた。『俺』は『母』と5年くらいしか一緒にいなかったはずだが、多くのことを思い出として持っていた。それを聞きながらこの世界にいた『俺』がうらやましくなった。
(これが母の愛情か・・・)
それを知らない俺にもそのぬくもりが感じられた。
次の日、起きてみると何やら部屋の外が騒がしかった。ベッドに『母』はおらず、俺は部屋を出た。すると台所で『母』と理沙が朝食を作っていた。それも大きな声で話しながら・・・
「あれはこうよ」「こうですか?」「そうよ」
そうしてようやく朝食は完成した。
俺は並べられた料理を食べて、
(これが『母』の味か!)
と何だか感慨深い気持ちになった。
「おいしいでしょう。私もお手伝いしたのよ。また作ってあげるね」
「理沙さんなら大丈夫よ。いいお嫁さんになるわ」
『母』が笑顔で理沙に言った。
「まあ、お母さんったら!」
理沙は顔を赤らめたがまんざらでもないようだった。
朝食が済むと、俺は『母』を見送りに駅に向かった。理沙は気を利かしたのか、用事があるとか言ってついてこなかった。『母』と俺は歩きながら話した。
「いい娘さんね。理沙さんは」
「ああ」
俺は考え事をしながら返事をした。『母』はこのまま帰る。この俺を本当の涼介と信じて。それでいいのか?だましたままで・・・俺はこの人の本当の息子ではないのに・・・。
その時だった。
「ぎゃあ!」
いきなり悲鳴が聞こえた。俺たちが歩くその先にググトが姿を現した。触手で若い女性をつかまえようとしていた。
(すぐに助けに行かないと・・・でも『母』が横に・・・)
俺は一瞬、考えた。だがすぐに余計な考えは捨ててスマホを放り出すと、「エネジャイズ!」とマサドになった。そしてググトに向かって走って行った。このググトはC級でも小型の奴だった。俺はすぐにチョップで触手を叩き折った。
「ううっ! マサド! どうして貴様が!」
「この世界でもマサドはいるんだ!」
俺はググトに強烈なキックを食らわせた。
「ぐぐぐ・・・」
そのググトは体を破壊され、やがて泡になって消えていった。
それを見届けて俺は元の姿に戻った。その様子を『母』はずっと見ていた。だが俺が戻ってきても『母』は何も言わなかった。2人とも黙ったまま、駅の改札を通り、プラットホームのベンチに座った。気まずい雰囲気に、俺はもう隠しておくことはできなかった。
「ごめんなさい。俺はあなたの息子の涼介じゃないんです」
俺は『母』に告げた。『母』は黙って俺の顔を見た。
「いえ、俺も涼介なんですが、この世界の涼介じゃないんです。信じてもらえるかどうかはわかりませんが、別の平行世界から来たんです。この世界の涼介と入れ替わって・・・だからさっきはあのググトと戦えたんです」
俺はすべてを話した。だがこんな話、普通は信じてはもらえないし、頭がおかしくなったと思われても仕方がないと思っていた。だが『母』はやさしく言った。
「わかっていましたよ。あなたが私の息子でないことは、最初から」
「えっ!」
俺は意外な答えに驚いた。
「母親ですもの。それぐらいはわかるわ」
『母』はにっこり笑った。
「あなたは本当の息子じゃない・・・でもうれしかった。あなたが『お母さん』と呼んでくれたのが・・・あの子は一生、私を許そうとしないから、そう呼ぶことはないでしょう。でも・・・あの子の母は私だけだから・・・」
『母』は少し悲しそうに言った。それを聞いて『母』の苦しみが俺にも感じられた。元々あった親子の絆が断ち切られているのは、俺の想像以上に両者を苦しめているということを・・・。だがこの絆はまたいつかは元に戻ると俺は信じていた。母の大きな愛情がある限り・・・。
「あなたと理沙さんが私にいろいろとしてくれて楽しかった。あなたが本当の息子のように思えていたわ。ありがとう」
『母』はそう言って電車に乗って帰っていった。俺は『母』を見送りながら思っていた。
(本当はこの世界にいた涼介に会いたかったんだろう。この俺ではなくて。そして『お母さん』と呼んでもらいたいんだろう・・・)
「きっと元に戻します。この世界に涼介を戻します。必ず・・・お母さん」
俺は電車を見送りながらそうつぶやいた。